これもかなり昔のお話でございます。
ウチのかみさんと外洋船にっぽん丸に乗って、グァム・サイパンクルージングに出かけることになりました。まだその頃は、かみさんと結婚はしていませんでしたが、長年一緒に暮らしておりました。
1991年12月の暮れのことです。まだバブル時代だったものですから、ボーナスを次ぎ込んで、1人45万円のクルージングに参加しました。費用は私の全額負担でございます。(;つД`)
日程は、オール船中泊の8泊9日、グァム・サイパンへの船旅です。
主催者はClub Med(地中海クラブ)でございます。
晴海ふ頭からの出航でございます。船旅はロシアにおふくろと行った後、大島へ行ったのも含めて3回目でございますが、規模も豪華さも全く違うお金持ちの遊びのクルージングなのでございます。(笑)(゜∞゜)y-゜゜ 今回の船は、今までの船とはちょっと比較にならない、全長166.7m、全幅24m、総排水量21,903㌧の超豪華客船で、客定員も600人収容可能でございます。このにっぽん丸は1年前に完成したばかりだそうです。
Club Medのツアーに参加した客は、450人でございました。
出航当日は、天気も良好でございまして、前回(ナホトカへの航海)のような暴風圏への突入は無いと思っていたのですが・・。
私たちの部屋はステートクラスでございまして、まぁ全体のクラスの中では中の上程度でございますが、部屋にはシャワー、トイレも完備しております。こんな贅沢な船旅を思いついたのも、完全にバブリーだったんでしょうネェ・・。(笑)
スイートルームはお一人様165万円だとか・・。(`Д´)マヂデスカ!?
最初の1日目は穏やかな航海でございまして、私のツレはめっぽう船に弱い体質でございますが、デッキを散歩したり、豪華なディナーを楽しんだのでございます。私もデッキで日光浴しながら読書したりうたた寝したりと、もうセレブ気取りでございます。w
12月の暮れでございますから、まだもう少し南下しませんとプールで泳ぐのは無理でございます。(´・ω・`)ガッカリ・・・
二日目の夜から海が荒れだしました。ちょうど小笠原諸島付近を航海している頃で、同じ日に小笠原のヨットレースの最中、遭難事故が発生して死者が出たほどの凄い嵐でございました。
日本最大級の大型豪華客船でも、もの凄い揺れを感じるのでございます。
この船の高さは海面から7階建のビルに匹敵する大きさですが、波のうねりが4階あたりまで上がるのでございます。
(゜Д゜;∬アワワ・・・
私はまだコレぐらいの揺れでは全く動じませんが、ウチのツレは完全にダウン状態でございます。もうそれっきり帰国するまでベッドに寝たきり状態でございました。嵐の日は、確かに何人もの人が激しい船酔いになったと思いますが、7日間、ずっとベッドがお友達だったのは間違いなく私のツレだけでございます。w
(金返せ、コノヤロ~!と言いたい。w)
確かに凄い嵐に揉まれましたが、そこはにっぽん丸でございます。食事も毎回きちんと出まして、私は毎食独りでディナーやらランチを食べ続けたのでございます。ウチのツレにはたまにフルーツとサンドイッチを部屋に差し入れするだけでございます。 私は自由気ままな一人旅状態となったのでございます。w
グァムに近づくにつれ天気も回復し、穏やかな航海となったのですが、ツレはベッドから起きてこないのでございます。
「気持ち悪い~!」と呻きながら・・。w
どうも私は船旅する度に人格を疑われるのでございます。
ツレに必ずお前は冷たいとか、薄情だとか・・。w
船旅は快適でございました。朝は大きな共同浴場でのんびりと朝湯でございます。朝ごはんをいただいてから、デッキに出て散歩したり、日光浴しながら読書でございます。ランチの後もMedが主催するデッキ上でのゲームに参加した後、トレーニングルームで大好きな筋トレでございます。
トレーニングの後は、また風呂やサウナに入りまして、夕食の連絡があるまでゴロゴロしております。知り合いになった人達のテーブルで楽しい会話を交えながら食事したりワインを飲んだり・・。
食事が済みますと、その日指示された服装でホールへと参ります。船旅は、船長から毎朝、船の新聞が配達されまして、本日のイベント案内や参加者の服装をフォーマルでとか、カジュアルでとか指定されるのでございます。フォーマルと言っても、タキシードでなければ駄目と言うことも無く、ブレザーにネクタイすればOKでございます。(タキシードなんか持ってねぇよ・・。w)
そのホールのステージでは、毎晩Club Medのスタッフ達のショーがございます。 又、10時頃になりますと、カジノが開催されます。但し、残念ながらお遊びでございまして、お金を掛けることは出来ません。船のクルージングの旅は朝から深夜まで乗客を飽きさせない工夫がテンコ盛りなのでございます。wそれにClub Medのスタッフは、70%が外国人で構成されておりまして、外洋航路の雰囲気は十分あるのでございます。w
結局、私は一人旅のようなもんですから、夜毎BARに入り浸りでございます。wバーテンさんとも仲良くなっちゃって、やはり家族で来ていた若い美女が1人でBARにやって来ると私の席の近くに座らせまして、自然に会話が出来るよう仕組んでくれるのでございます。
私がいつものように10時頃、BARに行きますと、次の日も、又次の日も1人で来てくれるようになりました。この店で密会するように・・。彼女は大学の4年生でロシア語を専攻しているとかで、私もロシアには2週間旅行に行ったことがあったものですから、もう話題はバッチシでございます。^^)v
部屋にゲロ女がいなければ、もしかしたら・・・?でございます。w
嗚呼・・、もう少し早く、タイタニックの映画があれば、オレも 船の先頭に立って・・。(以下省略)w
グァムとサイパンに1泊(船中泊)づついたしまして、帰路に向かったのでございます。 陸に上がる時はウチのツレもベッドから抜け出して来ましたが・・。w
いよいよ晴海埠頭に着岸する頃になりますと、ツレもやたら元気になりまして、私のそばを離れません・・。最後に彼女に伝えたいことがあったのですが、彼女もご両親と一緒ですからどうもタイミングが合いません・・。下船する際、遠くで微笑んでくれたのがせめてもの救いでございます・・。(´ー`)/~~
結局、20歳離れた男と女の物語は、BARで飲むこと以外、何も発展しないままでお別れとなってしまいました。w
7日間たっぷりと寝続け、吐き続けてダイエットしたツレと我が家にトボトボと戻ったのでございます。^^;)
「お腹減ったから何か食べて帰ろうネ?」だとさ・・。w
でも彼女と会えて本当に楽しい船旅になったのでございます。
あれが無かったら、100万円を1週間で使ったなんて・・・。
"( ゜,_ゝ゜)バカジャネーノ"