こないだ観た映画「空気人形」には
吉野弘の詩「生命は」が引用されていて
非常に印象的だったんだけど
それで思い出したこと
むかし「ファーブル昆虫記」の宣伝を担当して
新聞広告にこんなコピーを使ったことがありました。
「虫には生きる意味がある。人間はどうだろう」
あの有名なスカラベ(フンコロガシ)は
動物の糞で球をつくり、そのなかで子供を育てる。
それによって土壌も豊かになる。
さて、人間は自然のために何か役に立っているだろうか
…というような
エコロジーに結びつけた広告だったのですが
翻訳者の先生に、その原稿案の了解をもらいにいったところ
こころよくOKしてくれたあと
にっこりしながらこう付け加えられました。
「ほんとうは、ファーブルの考えていたことはちょっと違うんだけどね」
つまり
スカラベが糞球をつくるのは
「地球にやさしく」なんて考えてるわけじゃなくて
ただ習性として行動しているだけで
そうやって
それぞれ勝手に生きている昆虫たちが
生態系のなかで見事に調和を保っている、
ファーブルはそのことに
驚いたり、感じ入ったりしてるんです。
「価値目的」的に生きるのは人間だけですよ、と。
誤解をおそれずあえて言うなら
「自然保護のため」とか「未来のため」とか
あるいは
「家族のため」とか「幸せになるため」とか
人間は生きる意味を求めるけど
それが正しいこととは限らないのかもしれない。
もちろん、
意味や目的を求めず「ただ生きる」ってことが
なかなかできないのが人間ってやつですが。
困ったもんだね。
吉野弘の詩「生命は」が引用されていて
非常に印象的だったんだけど
それで思い出したこと
むかし「ファーブル昆虫記」の宣伝を担当して
新聞広告にこんなコピーを使ったことがありました。
「虫には生きる意味がある。人間はどうだろう」
あの有名なスカラベ(フンコロガシ)は
動物の糞で球をつくり、そのなかで子供を育てる。
それによって土壌も豊かになる。
さて、人間は自然のために何か役に立っているだろうか
…というような
エコロジーに結びつけた広告だったのですが
翻訳者の先生に、その原稿案の了解をもらいにいったところ
こころよくOKしてくれたあと
にっこりしながらこう付け加えられました。
「ほんとうは、ファーブルの考えていたことはちょっと違うんだけどね」
つまり
スカラベが糞球をつくるのは
「地球にやさしく」なんて考えてるわけじゃなくて
ただ習性として行動しているだけで
そうやって
それぞれ勝手に生きている昆虫たちが
生態系のなかで見事に調和を保っている、
ファーブルはそのことに
驚いたり、感じ入ったりしてるんです。
「価値目的」的に生きるのは人間だけですよ、と。
誤解をおそれずあえて言うなら
「自然保護のため」とか「未来のため」とか
あるいは
「家族のため」とか「幸せになるため」とか
人間は生きる意味を求めるけど
それが正しいこととは限らないのかもしれない。
もちろん、
意味や目的を求めず「ただ生きる」ってことが
なかなかできないのが人間ってやつですが。
困ったもんだね。