ポエ活

村田活彦 a.k.a.MC長老のブログ。ポエトリー・スラム・ジャパン代表。ラップスクール2期生。

時を止めたいと僕らは願う

2009年05月31日 09時03分49秒 | 日々
おはようございます。6月の前日。ポエム係長ざます。


「睡眠は死のいとこ」って言ったのはNASさんでしたっけ。
夢も見ないほどぐっすり寝ていきなり起きると、
確かになんだか変な気がしませんか。

本当に眠ってたんだろうか。
実はしばらく死んでいて、いま生き返ったんじゃなかろうか。

眠りが死のいとこなら、夢は生の兄弟か。

「僕が死んだ後、何も変わらず世界は動く」てなことを歌うのは、倉持陽一氏。
真心ブラザーズの。



スタジオを予約して、ひとりギター練習してきました。歌も歌った。
毎朝腹筋はじめてるせいか、思った以上に声がでる。
愉快だ。

コードをおさえながら朗読してみると、
なんかうまくいきそうじゃん。思い上がってみたりして。



ギター下げたまま
恵比寿の東京都写真美術館にいく。ひさしぶり。
「プレス・カメラマン・ストーリー」
戦中戦後、朝日新聞写真部に在籍した
スタッフ・カメラマンの仕事を中心にした展示。

なかでも影山光洋の作品に惹かれる。
(それにしてもなんて報道カメラマンらしい名前だ。海ゆき山ゆき光と影)

2.26事件を隠しカメラで撮影。
1942年シンガポール陥落に従軍。

「芋っ子ヨッチャンの一生」というシリーズがある。
戦争が終わりフリーになってからの写真。
5歳で亡くなった三男の記録。


自分の頭ほどもあるさつま芋を抱えたヨッチャン。
ヨッチャンが亡くなる日の朝の景色。
小さな棺にはいった幼い顔。
葬儀を終えて家に帰って来た家族の表情。

ひとつひとつ丁寧にフレームに収められている。

このひとにとって
写真は仕事っていうだけじゃ語れない。
シャッターを押さずにはいられない業のようなものを感じる。

今を記録すること。撮ることは生きること。



3階の収蔵展にも足をのばす。
こちらのテーマは「旅」だって。

興味深かったのは、写真が旅のなかで生まれた、ということ。
1933年、イタリアのコモ湖。
新婚旅行で訪れたウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットは
その美しい風景に胸をうたれ、
これを永遠に残すことができないかと考えた。
それがポジネガ式写真のはじまり。

「ファウスト」だね。
時間よ止まれ、お前は美しい。


収蔵展は全部見られなかったから
また行こう。




シンコペーション

2009年05月30日 09時29分21秒 | 作品
新宿駅南口改札を出ると、券売機の前もルミネの入り口も人だらけだ。時計は夕方5時をまわったところ。パスケースを胸ポケットにしまいながら男は考える。今日はもうひとつ企画書を仕上げなくちゃいけない。地下鉄に乗り換えて10分。デスクに戻る前に缶コーヒーを買っていこう。頭でそう計算しながら、しかし足は都営線の駅とは反対方向に向かっている。

最近妙に左ばかり肩が凝る。それをずっと気にしているので彼の姿勢はやや傾いている。両足を交互に、右左同じように出しているつもりが、実はほんの少しシンコペーションを刻んでいる。彼自身はそのことに気づいていない。10分だけだ、と言い訳しながらCDショップへのエスカレータに革靴を乗せ、壁一面にポスターがならぶフロアで降りて、またシンコペートしながら試聴機のまえを通り過ぎる。若い女性ボーカルの声が流れてくる。

こんなにもたくさんのラブソングが街を流れて
私たちはまだ愛にたどりつかない


モータウン、アイドル歌謡、ニューヨークパンク、サルサ、アンビエント。いくつかのリズムとメロディ、いくつかの歌声が男の耳をかすめていく。けれどまるで頭には残らない。どんな曲も彼の歩調には重ならない。いちばん歌が聴きたいときに、聴きたい歌がまるでないということにぼんやりとしたショックを感じながら、やっぱり早く戻ろう、戻って残業を片付けよう。きびすを返して出口へ向かいかけたとき、

ふと陳列棚のはじにある一枚のジャケットが目に入る。むかし仲が良かった友人の自主制作アルバム。新譜出したんだ、あいつ。シナプスを電気信号が駆け抜けるのを確かに感じる。ほとんど反射的に手に取って、タイトルも確かめずにレジへ持って行く

こんなにもたくさんのラブソングが街を流れて
私たちはまだ


男はCDショップを出て、またシンコペーションで人ごみをかき分けていく。甲州街道から西新宿のほうに目をやると、新宿パークタワーの一方の壁だけが、正確に言うと一方の壁の上から三分の一くらいのところだけが、夕陽に照らされて薄いオレンジに染まっている。男は足を止める。そのオレンジ色の部分に目をこらす。そこがなんだかとても尊い場所のような、けして辿り着けない聖地のような気がする。けれどすぐにそれが感傷的すぎることを恥じて、内心で苦笑いする。

そのとき、まるで一点の曇りもないように見えていたサンクチュアリに、窓ガラス清掃用のゴンドラが停まっているのに気づく。長い柄のついた、ワイパーのような用具を動かす人影がみえる。なんだかクヌギの木にへばりついたカミキリムシみたいだな、と男は思う。



男は立ち去る。

ちょうど同じころ、東西線の彼の部屋も夕暮れを迎えている。誰もいないダイニングの窓に西日が射して、少し離れたところから眺めると、オレンジ色の聖地のように見える。


西新宿の小さなライブハウスでは、彼の古い友人がステージに立っている。ドラムを振り返り、カウントを聴いて、歌いだす。ゆっくりとシンコペーションを刻みながら。


こんなにもたくさんのラブソングが街を流れて
私たちはいつか







数字によわい

2009年05月29日 08時45分56秒 | 日々
おはようございます。ポエム係長です。
パソコンの向こうに汚れ気味の窓ガラスがあります。
窓の向こうに雨のマンション群が見えます。
そちらは何が見えますか。


数字が苦手です。

組合で年金問題勉強会ってのがあったので
出席したのですが
5分もたたないうちに
ものの見事に眠りに落ちました。

「利率」やら「日本版401」やら
「数字」「お金の話」ってだけで
脳がシャッターおろしちゃうらしい。

(そもそも利息って何だ?ってことが
どうもしっくりきてない。
「お金のリース料」と言われりゃそうか、と思うけど
なんかまだ腑に落ちてないのです)


文系人間にとっての数字って
ただ苦手ってだけじゃなくて
生理的・肉体的レベルで逃げ出したくなるって感じ
ありませんか?

逆に理系のひとが
「歴史の話きいただけで眠くなる」なんてのは
聞いたことないが。


くもん式とかいこうかしらん。





ポエマー道

2009年05月28日 08時36分38秒 | ポエトリーリーディング/詩/朗読
川が流れていくよ…
雲が走っていくよ…
ほら 見えない翼で
ぼくも far away
星になれたら 
ねえ いつかきみと…



はい、万年思春期病のポエム係長です。

いやさ、なにげにグーグル検索で遊んでたら
「厨房の頃ポエマーだった人集合!!」という
2ちゃんねるのスレッドを発見してしまいまして。

これがかなり読ませる。

ようするに、若かりし頃ノートの隅なんかに書きためてた
ポエムを世にさらして
みんなでブルーになったりむずがゆがったりするという
自虐的かつ心温まるスレッド。

しかし

我と我が身をふりかえるに
その素晴らしきポエマー道を
いまも全力ばく進中なんだから、
笑うに笑えません。


まあ、そうだな、
中学生のころ
ルーズリーフに書いちゃ机の奥にしまい込んでたポエムなら
さらせるかな。時効ってことで。

むしろ10年くらい前、
リーディングはじめた頃のやつなんかは
封印しとかんとまずい。

とはいえ、脳の片隅かすかに、
「さらしたい」って欲求もあるなあ。
これがポエマー病? 露出狂?


こりゃ自分、
とんでもない十字架を背負っておるのかも。




16年後

2009年05月27日 12時25分22秒 | 日々
眠い。ポエム係長です。
歯医者の椅子は、世界一睡眠に適していると思う。
治療さえなければ。


大学時代の友人。
卒業してからまったく違う道に進んで、
一から経験積んできて、
いまは主婦でありお母さんでもあって。
すげえなあ。

心で拍手を贈る。
背中押されてるみたいな気分にもなる。

(こういうこと言ってると、あなたも早く身を固めなさいとか
おかんのツッコミが聞こえて来そうですが。
母上様、面目ない。不祥の長男で)


ともかく

年をとるのもオツなもんだと思える、こんな日は。




さあ がんばろうぜ!ってか

2009年05月26日 07時36分10秒 | 日々
川の向こう岸を部活の子らが走って行きます。
おはようございます。ポエム係長です。
顎関節症になやまされています。



ウエノポエトリカンジャム4、エントリーするつもりだったけど
どうやら仕事が入りそうです。ちきしょーめ。

しかしあれだぞ、ポエトリカンジャム。
あのキャッチコピーはどうなんだ。

「詩なんてサイコーだ」


「なんて」のあたりの、一度うしろ向いてから前を向く感じが
「らしい」っちゃあ、らしいけど。

もういいじゃん、「詩はサイコー」で。
と、個人的には思う。

直球で全肯定。そこからどこまでいけるか。



本当に毎日フル回転で働いてる。

もちろん自分が要領よくないことは知ってる。
なんであんなに手際よく、一度にふたつもみっつもこなして
情報収集も欠かさず冗談を言う余裕さえあるんだろう
って思うひとが先輩にも後輩にもたくさんいる。

おいてかれないよう
もっと効率よく、もっと時間をやりくりできるはずと
念仏みたいに唱えてるけど
21時すぎるころから集中力が下がってきて
あかん、今日は店じまいだ。


佐藤可士和の対談集を読んでたら
ユニクロ(ファーストリテイリング)社長が
「40代はいちばん働ける時期」てなことを言ってて

まあ確かにそうなんだろう。体力的に、経験値的に。
しかしこれが俺のピークなのか?



エレファントカシマシの「俺たちの明日」が
頭んなかを流れる。

「星の砂」とか歌ってた宮本が
こんな応援歌うたうようになるなんてなあ。






台所を冷やすな

2009年05月25日 07時05分47秒 | 作品
台所を冷やすな 揉み込むように米をとぐんだ
台所を冷やすな あさりを塩抜きして茹でるんだ
台所を冷やすな 牛蒡と人参をささがきにするんだ

私もいつか倒れるだろう
砂糖と醤油をばらまいて
台所に横たわるだろう
味噌と糞で腹を膨らませて

台所を冷やすな ミルクとチーズを鍋に溶かすんだ
台所を冷やすな ふきんをかけてまんじゅうを蒸すんだ
台所を冷やすな 床下には先祖伝来の酢漬けが眠る


思い出せるか日だまりの庭を
男たちが餅をついている
思い出せるか日だまりの庭を
女たちがお湯を持って走る
赤ん坊が驚いて泣きだして
みんな手を止めて笑う

私もいつか息をひきとるだろう
入れ歯を外したままで
まぶた閉じるだろう
換気扇とレンジを焼き付けて

せめてその日まで


台所を冷やすな 揉み込むように米をとぐんだ
台所を冷やすな あさりを塩抜きして茹でるんだ
台所を冷やすな 牛蒡と人参をささがきにするんだ






江戸を往く、東京を走る。

2009年05月24日 08時35分25秒 | 日々
マスクはしてますが花粉症です。
おはようございます。ポエム係長に御座候。


会社の仲間たちと国技館で夏場所をみてきました。
両国までは自転車。
初めての大相撲。しかも枡席。お大尽。

相撲ってただのスポーツじゃない感じがする。
言葉はよくないかもしれないがある種の見せ物というか。
力士のあの体型、あの迫力、やはりただ者じゃないもの。
異形の怪力男たち。
神話でいうところのタヂカラオやスサノオの活躍を見物してる気分、
なんていうと大袈裟かな。
野蛮で、だからこそ神々しいものを感じる。

取り組みは横綱ふたりに土。
座布団が舞った。私も投げた(ごめんなさい)
いやはやこんなに盛り上がるとは思いませんでした。


枡席で焼き鳥と弁当食ったうえに
「ちゃんこ巴潟」で塩ちゃんこ。
自分が関取目指すのかよってな食べ方したあと、
夜の散歩に行こうということになった。

まずは吉良上野介邸跡。
芥川龍之介文学碑の角を曲がって両国公園へ。
両国公園の一角には勝海舟生誕地の石碑がある。
自転車に乗った関取とすれ違う。

ライオン堂の角から清澄通りを北へ。
おいてけ堀を過ぎて横網町公園へと入っていく。
この場所は、関東大震災のとき火災旋風で多くの命が失われた「陸軍本所被服廠跡地」。
震災と東京大空襲での身元不明の遺骨を納めている
東京都慰霊堂に手を合わせる。


蔵前橋の手前で隅田川の遊歩道に降りて、川の東側を歩く。
対岸にNTTがみえる。
夜9時ともなると川は静かで、
水面にとつぜん鯉がはねて驚かされたりした。

厩橋を渡り、駒形どぜうの前を通って雷門へ。
浅草寺でひいたおみくじは凶だった。
木馬亭。もつ焼きで一杯やってる人々。アジアの香り。
ふたたび雷門。

みんなと分かれて、江戸通りを自転車で南へ下る。
蔵前の交差点でキスしてる恋人同士。
コンビニの前にしゃがんでメールを打ってる中学生。
女の子ふたりと男の子3人のグループがふざけながら歩いている。
たぶんこの中の誰かが誰かに片思いで、
また別の誰かがそれを嫉妬してる。


薬研掘不動尊にお参りして、浜町河岸通をさらに南下すると、
川の向こうを走っていた首都高が
このあたりで川を渡って頭上に近づいてくる。
それを避けるように道は大きく右に曲がっているのだけど、
直進方向にトンネルが口をあけている。
「浜町隧道」と書かれている。

タイムトンネルみたいな、洞窟の入り口みたいな、不思議な雰囲気。
トンネルの中にはホームレスの段ボールハウスがずっと奥まで並んでいる。
「徒歩、自転車での通行はできません」というステ看が立っているけど
ちゃんと歩道もある。
明らかにこちらが近道なのだ。

進むべきかどうか躊躇していると、トンネルの「住人」と目があった。
彼は段ボールの自宅の前をほうきで掃いているらしかった。
「大丈夫だよ、通れるよ」と彼。「車に気をつけてね」
ありがとうございます、と会釈して中へ進む。


トンネルのなかはオレンジ色の照明に照らされていた。
段ボール。プラスチックの衣装ケース。年季の入った買い物カート。
ゴミ袋いっぱいに集められたペットボトル。
その隙間で眠るひとたち。
オレンジの光のなかで、それらすべてがセピア調の映画のようだ。

まるで異空間を走っている気分でペダルをこいでるうちに
ふと、あることに気づいた。
彼らの「家」はすべて道路左側の歩道に作られていて、
右側の歩道にはひとつもない。
ここもまた「しきたり」や「ならわし」のあるひとつの町だ。


いくつもの町や通りが集まって
それがまた何世代も積み重なって、東京になる。
とても特別で、とてもありふれた町。




犬も歩けば自己表現

2009年05月23日 13時25分49秒 | ポエトリーリーディング/詩/朗読
あーあ。一日さぼっちゃった。すまん。ポエム係長でござる。

今週は総会ウィークでした。
労働組合の総会と、マンション理事会の総会。どっちも司会進行役。
なんたる、なーんたる。


新型インフルエンザ。
最初はどこのニュースでもあんなに大騒ぎしてたのに
今じゃ「落ち着いて対応してください」なんて
「全員集合」のいかりや長介みたい。
オイーッス! もいっちょオイーッス! 静かにしろぉー。


えーっと。話の続きです。

「当て書き」とか「気持ちを代行してくれる歌」が見当たらない
世代を代弁する歌とか、みんなが自分を投影して共有するような歌がなかなか生まれない。
それがゼロ年代。

一方で、ブログは百花繚乱で
普通のひとの普通の日々の普通の気持ちが
世界中に発信されてる。

オープンマイクで詩の朗読なんていうと
なんだか特殊なことに感じるけど
このブログ時代にはごく自然な、当たり前のことなんだと思います。
ただちょっと手段がアナログというだけで。

だからこそ
いまポエトリーリーディングをするなら、考えなくちゃいけないな、とも思う。
みんながやって世にありふれたことを
更に自分もやるってことにいかほどの意味があるか?ってこと。


それにしてもなんでまた私は、こんなこといってるんだろうか。
自分に言い聞かせたいのかもな。
初心忘れるべからずとか、そういうことを。




寺山修司とAKB48のあいだ

2009年05月21日 08時20分51秒 | ポエトリーリーディング/詩/朗読
空色はグレー。インフルエンザ、裁判員制度。騒がしい5月。
おはようございます。ポエム係長です。


寺山修司は
作詞家が書いた「私」の感情が歌手という「代理人」によって「盗られてしまう」
と批判したわけですが、それから40年以上。

ゆうべ深夜のテレビで
AKB48が「憧れていたステージに私は立っている」と歌ってた。
「初日」という曲だって。
秋元康はアイドル候補生たちの気持ちを当て書きしてるわけで、
この歌がファン投票で1位というのもさもありなん、です。

それどころか
AKB48には「僕の太陽」って曲があって
「君だけが僕の太陽」「もし世界中が敵にまわっても僕は味方さ」
つまり、これはファンの気持ちを代行してるわけですね。

ステージの上の女の子たちが、
それを見上げている野郎どもの気持ちを歌ってくれる、みんなで合唱する。
そりゃ一体感でるよなあ。

ただ、こういう歌を作詞家・秋元康があえて作ってるのは、
いまや「当て書き」とか「気持ちを代行してくれる歌」がめっきり減った、
そんな時代の裏返しでもあるんじゃないでしょうか。


で、なんの話かってえと
オープンマイクで詩の朗読とかやってる私らも
そういう時代の傾向のなかにあるってことなんですけど
またまた以下次号。