ポエ活

村田活彦 a.k.a.MC長老のブログ。ポエトリー・スラム・ジャパン代表。ラップスクール2期生。

サウダーヂ

2011年10月31日 08時43分45秒 | 映画・アニメ・動画
という映画を観てきました。


円山町のユーロスペースでやってる映画。
シャッターストリートの町、甲府が舞台の映画。
映画製作集団「空族(くぞく)」による映画。
自主制作ながらロカルノ映画祭に出品された映画。

吉祥寺のブックスルーエで
空族の手作りフリーペーパーをみかけて
気になっていたのでした。



まず、
インディペンデントでここまでできるんだ、
という驚きがある。

娯楽大作ってわけじゃないけど
骨太で、いまの地方都市をしっかり描いていて


役者がほとんど素人
というか実際に甲府近辺で生活しているひとたちで
だからこそなのか
すごく生な感じがあるんです。


キャッチフレーズは
「土方、移民、HIPHOP」
甲府で育ったる男たち、女たち
甲府にやってくるブラジル人やタイ人
そういうひとたちが
すれ違ったり摩擦を起こしたり
どん詰まっていったり

うーん、うまく説明できん。



シリアスな作品ではあるんだけど
私の好きなシーンは
工事現場で働く男たちが
コクワガタ見つけて
「森のダイヤモンドっすよ!!」
って大騒ぎするシーンとか

カラのままの土木用一輪車を押して
ふざけあってるシーンとか
だったりします。
小学生みたい。


あと、主人公のひとり
工事現場で働くラッパーが
仕事のかえりに商店街を歩きながら
ひとりごと言う場面があるんだけど、
それがだんだんフリースタイルラップになっていく。
しびれます。


ま、なんやかんやで
説明しきれないので
気になったら観てほしい。

見応えあります。
それだけは保証します。







スクリーンの中の火事

2011年10月23日 20時21分28秒 | 映画・アニメ・動画
『アンダーグラウンド』という映画をみた。


ボスニア・ヘルチェゴビナが舞台の
ファンタジックでシニカルでカオスな悲劇、もしくは喜劇。
監督はエミール・クストリッツァ。


劇場は渋谷のシアターN。
かつてのユーロスペースの場所だね。


前から観たいと思ってたんだけど
思いがけず上映されていて

「ナチス占領下のセルビアで、敵の目をあざむくため地下空間で生活する」
ということだけきいて
想像してたイメージとは
ちょっと違ったけど

想像してた以上に刺激的
そして想像してた以上の満腹感。

バルカンブラスの音楽もしびれます。



ネタバレなるので詳しく書かないけど
ラストのほうで
「何か」が燃えるシーンがあるのね。

あまりに衝撃で
それでいて(語弊はあるけど)
「美しさ」さえ感じてしまう。




ちょっと違うけど
映画の中で家が燃えるシーンってのが好きです。


わたしの3大「家が燃える映画」

ラッセ・ハルストレム『ギルバート・グレイプ』
ジャン= ジャック・ベネックス『ベティ・ブルー』
アンドレイ・タルコフスキー『サクリファイス』


この三作品、役者もストーリーも好きだけど
「家が燃える」シーンが異様に脳裏にやきついてる。

なんでだろう。



たとえば火事場見物にいった子供が
不謹慎にも
ある種の興奮をおぼえてしまうような

その感覚を
映画なら気兼ねなく味わえるってことなのだろうか










『スローターハウス5』

2011年10月17日 07時36分25秒 | 映画・アニメ・動画
『スローターハウス5』の映画を
DVDでみた。


こんなにも
場面がコロコロかわって
時間が行ったり来たりする話でも
こんがらがらずに観られたのは
原作小説読んでたから
なんだろか



原作にもある、あの名台詞を
主役のマイケル・サックスは
“Hello,Farewell”と言ってたけど

それだと
「こんにちは、ごきげんよう」と訳すのが
正しいように思う。

一方、手元にある
ハヤカワ文庫の原作小説では
「さようなら、こんにちは、さようなら、こんにちは」
となっている。

さて、カート・ヴォネガットの原文は
どうなってるのかな。



あと、原作で頻繁にでてくる
「そういうものだ」っていうフレーズも
映画で使ってほしかったなあ。




監督はジョージ・ロイ・ヒル。
『ガープの世界』も観なきゃ。


中華屋店内のポエジー

2011年10月11日 21時36分18秒 | 日々
チェーン系の中華料理店に入ったら
テーブルの上に
ノンアルコールビール(ビールテイスト飲料っていうの?今は)の
卓上POPがあって

その端っこのほうに小さな活字で
「誤解を招く恐れがありますので未成年への販売は控えさせていただきます」
と注意書きが書いてある。

主語のない
なんとも日本語らしい文章。


「誰が」「誰に」「どんな」誤解を招く恐れがあるのか
誤解を招くとなぜいけないのかってことが
まったく抜けてますね。

広告の意図を親切に読み解いてあげるとしたら
「この飲料はアルコール0%だから
未成年のあなたが飲んでも別に問題はないんだけど
傍目からみたらビールと変わらないので
ほかのお客様から『この店は未成年に酒を出すのか』と誤解されるし
飲んでるあなたも『未成年のくせに酒飲んでる』って
思われたり注意されたりしたら損ですからね、
“李下に冠をたださず”的な意味でお出しできないんですよ」
ということになるんだろうけど

それを全部言わずに
奥歯にもやしひっかかったみたいな物言いが
むずがゆい。

それどころか
言葉を省略しているせいで
ポエジーのようなものさえ感じます。



また別の
同じようなチェーン中華屋さんに入ったときは
メニューの野菜タンメンの下に

「写真はイメージです」
とあって

これもよくある言い回しなんだけど
なんか気になります。

「このメニューにのってる写真は
『うちのタンメンはだいたいこんな感じ』というのを
写真で表現したものなので
実際に注文して出てきたタンメンの
具の種類とか数とか大きさが多少違ってても
許してくださいね」

という意味なんだってことは
わかってるんですけど


そもそもimageという英単語には
「画像」っていう意味があるよねってことに
気づいてしまうと途端に

「写真は画像です」

ええ、その通りですね
としか言いようがない文章に思えてくるのです。



しかもその「身もふたもない」感じが
妙に脳の隅っこにひっかかってしまって

たとえば
「部屋のドアは金属のメタルで」という
井上陽水『リバーサイドホテル』のフレーズにも似た
ポエジーを感じるし

あるいは逆説的に
「マーボー豆腐は飲み物です」という若槻千夏の名言(?)にも似た
事物の定義すら揺るがすパンチラインかもなんて
思いはじめた日にゃ



運ばれてきたタンメンを前に
口をポカンとしたまま割り箸も割らずに
意識だけ冥王星の彼方にふっとばされることになります。












倍速モードの今日この頃

2011年10月07日 07時57分48秒 | 音楽
AKB48とももいろクローバーきいてたら

いや聞きくらべるつもりはなかったけど
最近AKBとももクロばっか聴いてたら



気になったのが、歌詞の文字量
ももクロのほうが圧倒的に多くない?


やっぱ秋元先生は
古き良き作詞家だなというか
一音一語の原則をわりと守ってる感じがするんだけど

ももクロちゃんは
もともと楽曲の音符数も多くて
さらに歌というよりしゃべりになってる部分もあるから
必然的に語数が多い



逐語的な情報量、というか文字数の差でいうと
「Dr.スランプ」と「銀魂」くらいの違いを感じる

わかりにくい比喩ですね




ともあれ、こういうのも
日本語ラップが浸透、定着してきた影響なのかなあ