つまるところ私は
言葉の使い方についこだわってしまう
ということなのだろう。
日本語を正しく、とはけして言わないが
もうちょっと誠実に使おうよ、ということ。
生まれ育った風土や共同体への愛着という意味だって
確かにあるんだろうけど
現代の日本語で「愛国心」と言ったときには
どうしても国家主義とかナショナリズムのイメージが
ついてしまってるでしょ、
故郷を愛する心=「愛郷心」ってのと、「愛国心」とを
一緒にしちゃうのはそれはちょっと無茶なんじゃないの、
ということ。
まあ百歩譲って「愛郷心」=「愛国心」だとしても
それを法律に組み込んで根付かせようなんざ
そんなんすでに「愛」とは呼ばんだろう、と。
でね、さらに考えるに
この「愛国心」という話題に関して
日本語としてのあり方がまず気になってしまう感覚ってのも
新聞の三面記事ばかり気になって
国際面を読み飛ばしてしまうようなもんで
私もけっこうドメスティックな奴だよね。
言葉の使い方についこだわってしまう
ということなのだろう。
日本語を正しく、とはけして言わないが
もうちょっと誠実に使おうよ、ということ。
生まれ育った風土や共同体への愛着という意味だって
確かにあるんだろうけど
現代の日本語で「愛国心」と言ったときには
どうしても国家主義とかナショナリズムのイメージが
ついてしまってるでしょ、
故郷を愛する心=「愛郷心」ってのと、「愛国心」とを
一緒にしちゃうのはそれはちょっと無茶なんじゃないの、
ということ。
まあ百歩譲って「愛郷心」=「愛国心」だとしても
それを法律に組み込んで根付かせようなんざ
そんなんすでに「愛」とは呼ばんだろう、と。
でね、さらに考えるに
この「愛国心」という話題に関して
日本語としてのあり方がまず気になってしまう感覚ってのも
新聞の三面記事ばかり気になって
国際面を読み飛ばしてしまうようなもんで
私もけっこうドメスティックな奴だよね。