ポエ活

村田活彦 a.k.a.MC長老のブログ。ポエトリー・スラム・ジャパン代表。ラップスクール2期生。

映画『おとぎ話みたい』はポエトリーリーディング好き心もくすぐってやまない。

2014年12月11日 23時30分13秒 | 映画・アニメ・動画
テアトル新宿にて『おとぎ話みたい』という映画を観てきました。山戸結希監督。51分という短い作品なんですが…濃いです。駆け巡る青春映画です。

これは言葉の映画。冒頭、主人公の少女が朗読のようなモノローグをするところから始まるんですが、ポエトリーリーディング好きとしては、それだけでもがっちり掴まれます、心臓を。(詩の朗読で始まるといえば、園子温監督『ヒミズ』もそうでしたね) 彼女の朗読のすこし駆け足気味の、少し前のめりなテンポが、最後まで映画を引っ張っている感じがします

そしてこれは音楽の映画。「おとぎ話」というバンドが音楽を担当し、同時にそのまんまバンドやってる先輩達という役で出演もしていて、演奏シーンもいっぱいある。ミュージックビデオみたいでもある。というか、監督のなかではPVも映画も境目があまりないんじゃないかなあ。

そしてこれはダンスをする少女の映画。主演・趣里さんのバレエのシーンが、すべてをかっさらっていきます。今日はおとぎ話のPV『COSMOS』も併映されたんですが、これがまた映画の続編みたいな内容で。お得感ありました。

上映は12月19日、来週金曜までです。



ノーコメントbyゲンズブール

2013年08月14日 23時05分12秒 | 映画・アニメ・動画
しびれた。ひたすらしびれたよ。
映画『ノーコメントbyゲンズブール』


冒頭、大ホールでのライブのシーン。
くわえていた煙草を手に持ち
歌いだす、それだけでもう目が離せなくなる。

(バンブーとの間に生まれた息子・ルルーが
 よちよち歩きでステージにあがったりしてるので
 わりと「晩年」のライブだと思う)


なんだろうなあ。この感覚。
存在感が圧倒的すぎるんだよね。

余談になっちゃうけど
映画『ビートニク』で一瞬映った
ニール・キャサディの笑顔を観たときと感じたような衝撃。


『ゲンズブール または出口なしの愛』を読んでいたので
ドキュメンタリーとして
驚くような新事実を知ったという訳じゃないんだけど

それがいつの映像だとか、
前後のストーリーとか、
もう随分前に亡くなってることだとかが
どうでもよくなって

本人の声と、大画面の映像で観る、
それだけで満足できてしまうんだよ。


よし。来年、フランス行こう。



じゃあお前は「王様は裸」と言えるか、と映画『選挙』『選挙2』に試されてる。

2013年07月12日 08時47分17秒 | 映画・アニメ・動画
もうすでにあちこちで話題になってますが…

想田和弘監督の映画『選挙』は、
まったくの素人が選挙に出馬して
投票日を迎えるまでを追ったドキュメンタリーです。
伝統的かつ「ここがヘンだよ」感満載の
「ニッポンの選挙」に巻き込まれていく様子が描かれていて
正直、めちゃくちゃ面白い。


主人公(?)「山さん」こと山内和彦氏は
ひょんなことから自民党公認候補として
川崎市議会の補欠選挙に出ることに。
まず、この山さんの天然キャラがかなり魅力的なんですよ。
声をかけた有権者に「私は落下傘候補で…」って自分で言っちゃう。
素直すぎて、観ているうちになんだか応援したくなる。

さらに次から次へと映し出される
「ドブ板選挙」の実態。そのしきたり。
まったくもって体育会系なんだよね。
(ちなみに英文字幕では
 体育会系=like militalyと訳されてたっけ)
山さん、先輩議員に頭を下げまくり。

選挙運動のスタートはまず選挙カーのお祓い。
「3秒に1回名前を言う」とアドバイスされ
喉がかれるまで駅前で連呼する。

山さんの妻も選挙カーに乗るけど
「あくまでも奥さんが一緒にやってるってことが大事」
「難しいことは言わないでいい」と忠告される。
しかも候補者の「妻」と言っちゃいけない、
「家内」と言えって何時代だよ…。

保育園の運動会に出かけていくと、
他の議員が壇上で挨拶をしてる。
並んだ園児に向かって支持をお願いしてる議員さんの姿は
もはやシュールとしかいいようがないですわ。



この映画のすごいのは
監督自ら「観察映画」と言っているとおり
台本や事前リサーチ、打ち合わせなし。ひたすらカメラを回す。
編集ではナレーション、テロップ、音楽など一切なし。

にもかかわらず、いや、だからこそ
監督の問題提起がしっかり伝わってきます。


ここで思うことはふたつ。

ひとつ。
「ニッポンの選挙」をそのまんま撮るとギャグになるということ。

ふたつ。
公正中立なドキュメンタリーや報道なんてないってこと。
ただ撮ってただ見せるだけでも、作り手の意図は反映されるんだから。
むしろ公正中立を謳うものこそ疑うべきだよ。


この映画『選挙』を観たのは
日比谷図書館での上映会だったんだけど
会場は満員、上映中何度も客席で笑いが炸裂してました。

実はこのときの上映会は
上映中止の圧力を受けていたんだとか。
(その経緯についてはこちら

こんなオモロイ映画が上映中止の圧力受けてたなんて、
どうかしとる。

上映後のトークでは
想田監督が今回の「一時中止」事件について語り
話の最後には「図書館の自由に関する宣言」を引用されていて、
その熱さにじわっときました。


この映画の続編ともいうべき
『選挙2』がただいま上映中。またまた主演・山さん。

こっちも観に行かなきゃ。参院選前に。


『六ヶ所村ラプソディー』もしくは、暮らしの中で原発を考えるということ。

2013年06月11日 23時23分45秒 | 映画・アニメ・動画

先週のことなんですが、
ずっと気になっていた映画
『六ヶ所村ラプソディー』観て来ました。
使用済み核燃料再処理工場のある
青森県六ヶ所村の人々に取材したドキュメンタリー。
公開は2006年3月ですから震災、原発事故の5年前です。


監督の脱原発、持続可能なエネルギーへの転換というメッセージは
明確に打ち出されています。
ただ、この作品の軸になっているのは
声高な主張というのではなく、
六ヶ所村の人々ひとりひとりの話に真摯に、
優しさを持って耳を傾けていることだと思います。


好むと好まざるとに関わらず、
六ヶ所村に生きることは核と共に生きること。
たとえば日本原燃の下請け会社で働きながら
3人の子どもを育てているシングルファーザーの
「子どもに飯食わせるためなら何でもやる」というひと言は、
子どものいない私にさえ重く響きました。

そこから浮かび上がってくるのは、
彼らがそれぞれの生活のなかで
ギリギリの選択をしているということ。
そしてそれは観ている私たちも人ごとではなく、
原発、核燃料の問題を自分自身の問題として
向き合い、考え、選択すべきだろうという問いかけ。


(いや、取材された人のなかでひとりだけ、
「人ごと」としてしか考えていない人物がいた。
東京大学工学系大学院教授・班目春樹。
そう、原発事故当時の原子力安全委員会委員長だ。
放射性廃棄物の最終処分場について
「最後は結局金でしょ」
「2倍払います、10倍払いますということで決まる」と
笑いながら言い放った、その軽薄さを私は忘れない)


私が観たのは、溝ノ口近くの
小さなコミュニティスペースでの自主上映会でした。
近所のお母さん方が中心になって企画したそうです。

1~2歳の子どもらと一緒に床にすわって、
たまにじゃれたりしながら(笑)この作品を観る、
そのシチュエーションはまさに
「暮らしの中で原発問題を考える」ことを実感できて、
貴重な経験でした。


今週末まで、各地で
『六ヶ所村ラプソディー』自主上映会が集中的に企画されています。

詳しくはこちら






乗り物がこっちに向かってくる映画ってそれだけでワクワクする。

2013年02月05日 22時08分33秒 | 映画・アニメ・動画
映画の中で
「乗り物がこっちに向かってくるシーン」というのが好きだ。
特に映画の冒頭でそれをやられちゃうと
もう無条件で「この映画好きっ」となっちゃう。


たとえば列車。

なにしろ世界で初めて映画を作ったというリュミエール兄弟の
もっとも有名な作品が『ラ・シオタ駅への列車の到着』ですからね。
「こちらに向かって列車が走ってくる映像」というのは
映画の王道かもしれません。

最近「午前十時の映画祭」で観た
『夜の大捜査線』のオープニングもそうだったな。
暗い画面のなかに丸い光が浮かび、
それが次第に近づいて来て列車のライトとわかる。
流れるはレイ・チャールズの歌声…うーん、渋い。

ヒップホップ映画の金字塔『ワイルド・スタイル』も
グラフィティがいっぱい描かれた列車が
走り出す冒頭のシーンが妙に好き。


あるいは車。

『ギルバート・グレイプ』の冒頭は最高です。
兄ジョニー・デップと弟レオナルド・ディカプリオが田舎道で待ってると
彼方からキャンピングカーの一群がやってくる。
銀色のボディに太陽をキラッキラ反射させながら!
それを見て大はしゃぎのディカプリオ。
さらにそれを見て大はしゃぎの客席の私。

『ファーゴ』のオープニングも大好き。
一面の雪景色の中から車が現れる。
それだけでなんか得した気になったものです。

『タクシー・ドライバー』の始まりも、
当然ながらタクシーが走り出すシーンだったっけ。


さらにはヘリコプター。

これも最近「午前十時の映画祭」で観た
『M★A★S★H マッシュ』はヘリの飛行シーンから始まってましたね。
負傷兵を運んでるんだけど
『自殺は苦しくない』ってブラックにも程がある曲が流れてて。

同じくロバート・アルトマン監督の『ショート・カッツ』も、
殺虫剤散布のヘリコプターが飛んでくるところから始まってたな。
ヘリ好きなのかしらん。

映画の冒頭でヘリコプターといえばやはり
『地獄の黙示録』なんでしょうけど

フェリーニの『甘い生活』のオープニングでは
ヘリコプターがキリスト像を宙づりにしながら飛んでくるという、
これもその絵だけで意味もなくワクワクしたなあ。



乗り物がこちらに向かってやってくる映像って
なんだか本能的に興奮するんだと思います。

うちの親にいわせると
私が子供のころ、
新幹線がホームに到着するのを見るのが大好きだったらしい。
当時はいわゆる0系新幹線、
ずんぐりむっくりしたデザインの列車が駅に滑り込んでくるたびに
大はしゃぎだったそうで。
それこそ『ギルバート・グレイプ』のディカプリオみたく。

映画の面白さって
役者もストーリーも大事だけど
そういう本能的、原始的な「観る快楽」ってのが
けっこう大事だよね。








映画における「男たちのバーカ」ベスト3

2013年01月31日 23時05分32秒 | 映画・アニメ・動画
こないだ映画『テッド』を観に行ったんですが
こういうジャンルのことを
近頃「ブロマンス」と言うそうですね。

劇場パンフによれば
「ブロマンス」とは「ブラザー」と「ロマンス」を合体させた造語。
当初はホモセクシャルの世界を指すものだったが
「男の友情をコミカルに描いたバディ・ムービー」を
意味するようになったとか。


そう言われてパッと思い出せるほど
「ブロマンス」映画を観てはいないのだけど、
ただ、映画のなかで男どもが馬鹿やったり
じゃれたりしてるシーンが妙に印象に残ってる、
というのは思い当たる節がある。

それも、だいたいにおいて
その作品の本筋とは全然関係ないシーンだったりするんだけど。


ということで、
誰も知りたいとは思わんだろうが
極私的「男たちのどーでもいい名場面」ベスト3。

第3位
『パルプ・フィクション』
ジョン・トラボルタとサミュエル・L・ジャクソンの初登場シーン。
車を走らせながら「ヨーロッパのマクドナルドは珍妙だぜ」てな話をしてます。
 
 「パリのマックじゃクォーターパウンダーを“ロイヤル・チーズ”って言うんだ」
 「“ロイヤル・チーズ”かよ! じゃあビッグマックは?」
 「ビッグマックはビックマックだけど、“ル・ビッグマック”だ」

文字にするとホントしょーもないが、ナマで観てもしょーもない。
でもなんか笑っちゃう。ま、この映画の場合、全編がくだらない話のオムニバスだけどね。
脱力系バカ。


第2位
『ダウン・バイ・ロー』
ジョン・ルーリー、トム・ウェイツ、ロベルト・ベニーニが演じる
3人の囚人が牢のなかでバカ騒ぎするシーン。

“I scream,you scream,we all scream,for ice cream”
っていう駄洒落をふざけて連呼してるだけなんだけど
やってるうちになぜか盛り上がっちゃって
3人ぐるぐる回りながら「アイスクリーム、ユースクリーム」の大合唱。
なんじゃこりゃ、と呆気にとられるんだけど、
そのうち一緒に叫びたくなる名場面です。

しまいに看守がやってきてあわてて静かになるという、
休み時間の小学生系バカ。


第1位
『ベティ・ブルー』
ジャン=ユーグ・アングラードとジェラール・ダルモンが
ショットグラスのテキーラ(テキーラ・ラピド)を飲むシーン。
ふたりともすっかり酔ってバカ笑いしながら

 「ワーハッハハ…で、お前…なんの仕事してんだッハッハッハ」
 「フヒーヒッヒ…小説書いてるんだヒーッヒッヒ」
 「ダーッハッハ小説かーッハッハッハッハ…」

てな会話を意味なく繰り返してます。
笑い過ぎで窒息すんじゃねえかって勢いで。
酸欠昇天系バカ。



うーん、こうやって書いてみると
あらためてどーでもいい。
けど、男って「どーでもいいバカ」で繋がってたりするんだよな。





『ルビー・スパークス』もしくは、もしも碇シンジがL.A.の若手小説家だったら

2013年01月14日 19時31分12秒 | 映画・アニメ・動画
日本の萌えカルチャーも
とうとうハリウッド映画の遺伝子にここまで影響したか…

何の話かというと
映画『ルビー・スパークス』。
『リトル・ミス・サンシャイン』(私の宝物映画!)の
ジョナサン・デイトン&ヴァレリー・ファリス監督による最新作です。
(すこしネタバレ含みますよ)


なにしろ冒頭からしてこうです

 逆光のなかで美少女が微笑んでる
 君は誰…!?
 突然鳴り響く目覚ましの音 ジリリリリ!!
 ガバッと起きあがる主人公。
 なんだ夢か…

っておい! ラノベの書き出しかよ。
あるいは少年誌のラブコメかよ。

その先がさらにラノベ的でして。
主人公は19歳で天才作家としてデビューしながら
その後10年もスランプに悩む青年・カルヴィン(ポール・ダノ)。

(ちなみに執筆に使ってるのが、
今どきタイプライターなんです。
このあたりにも彼のオタク的キャラが表されてるのかな)


彼が夢でみた女の子、ルビー・スパークスを主人公に
小説を書き始めると
なんと、ルビーが現実の姿となって現れた!

おいおいおいおいおい!(笑)

頭で妄想してた少女がリアルになって
自分に恋してくれるという、美味しすぎる筋立て!

その時のルビーがまた、
下着に男物のシャツを着ただけの格好で
キッチンに立っているという…ラノベの表紙イラストかよ!


とまあ、ツッコミ入れて行くだけで
息切れしそうになるんですが、
可愛いから許す。

いやほんと、ルビーを演じるゾーイ・カザンがキュートでして。
美人系じゃないけど確実に草食男子受けする感じ。
白のノースリーブワンピが似合って、時にドキッとするほど奔放で。

途中でフレンチポップが流れるところがあるんですが
往年のフランスアイドル映画とか意識してるのかなあ。
「服着たままプールに飛び込む」なんてのも青春物の定番ですな。

しかもすごいのは
この脚本書いたのがゾーイ・カザン本人だってこと。
「男子ってこういうのが好きなんでしょ」と言われてる感じで
なんとも…その通りでございます。
世界中のオタク男子が
「僕をわかってくれるのはゾーイだけだ…!」と思うに違いない。

そして当のゾーイ・カザンとポール・ダノが
実生活でも恋人同士と知った途端、
「リア充爆発しろ」と泣きながら走って帰るに違いない。



ただね、やっぱり「理想の女の子」なんていないわけで。
だんだん暗雲立ちこめてくるわけですよ。

なにしろ主人公カルヴィンは
小説の才能はあるけど周囲に心閉ざしてるし、家族とも微妙だし、
要するに碇シンジがそのままアラサーになったような奴でして。
あるいはのび太かな。
『のび太と魔法のタイプライター』って感じかな。

そんなもんで案の定
カルヴィンくんにとって「痛い」展開となっていくんですが
もちろん「エヴァ」ほど鬱々たることにはならないのでご安心を。

私としては
カルヴィンくんに心情シンクロしつつ
もっと痛い目にあってもよかったのでは、と思いますが。
自虐好き。


ということで
デイトン&ファリス監督を堪能するつもりが
主演&脚本&製作総指揮:ゾーイ・カザンの掌のうえで
転がされてた104分でございました。









『砂漠でサーモンフィッシング』もしくは鮭は川の中から人間をどんな風に見てるのか

2013年01月11日 23時13分22秒 | 映画・アニメ・動画
最近、映画観た話ばっかエントリーしてますけど

『砂漠でサーモンフィッシング』観てきました。
新宿ピカデリー、今日が最終日だったんですけどね。

『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』『ギルバート・グレイプ』の
ラッセ・ハルストレム監督なもんで
(とはいえその2作以外は観てないという不埒な観客ですけど)
ずいぶん期待して観に行ったんですが


感想としては
「テンポいいな!」
「わかりやす過ぎ!」
「もっとサーモンでもよかったんちゃう?」
てな感じ。

順番に説明しますと…



ひとつめ:「テンポいいな!」

冒頭からすごく小気味いいんですよ。
場所はロンドン。
有能な投資コンサルタントの女性、ハリエット(エミリー・ブラント)から
水産学者・ジョーンズ博士(ユアン・マクレガー)に届いた一通のメール、
それは「イエメンの砂漠に鮭を泳がせる」という
突拍子もないプロジェクトへの協力要請だった。
そんなん無理!と一蹴するジョーンズ。
ところが、英国首相の広報担当のやり手女史
マクスウェルの策略で
ジョーンズはあれよあれよと巻き込まれていく…。
このあたりの展開がスピーディですんなり物語に入っていける。

脚本が『スラムドッグ・ミリオネア』のひとだと知って
なるほど合点。

しかも前述の3人については
ベッドにいるシーンがそれぞれ最初のほうに出てくるんです。
ハリエットは恋人と熱い夜を。
ジョーンズ博士は妻と…でも倦怠期気味。
マクスウェル女史は旦那の隣りで仕事の電話。
それぞれのプライベート事情をパパパッとみせる、手際の良さ。

特にマクスウェルについては
すべてを政治の道具にしてしまう策士、俗物なんだけど
家庭での姿を少しだけ見せてることで
ちょっとした愛嬌みたいなものが感じられるんですよ。

もちろん演じている
クリスティン・スコット・トーマスの演技あってこそですが。



ふたつめ:「わかりやす過ぎ!」

たとえば
「砂漠にサーモンフィッシングを広める」というプロジェクトの発案者であり、
パトロンであるイエメン人大富豪・シャイフ氏。
彼はふだんスコットランドに住んでいるんですが、
イエメンには「祖国を西欧化しようとしている」と彼に抵抗する勢力もいる。
ところが、そのイエメン側(イスラム世界)のドラマは全く描かれない。
単にシャイフを襲うテロリストとして登場するだけ。
ハリウッドでも9.11以降は
異文化の描き方がもうちょっと繊細になってると思うんだけど
これじゃあステレオタイプに過ぎやしませんかい。
なんだかイギリス人のためのイギリス映画という感じがします。

砂漠に鮭を放流するための問題点が
けっこうあっさり解決しちゃうところも
イージーに感じてしまった。



みっつめ:「もっとサーモンでもよかった」

この映画では当然
鮭、釣りというのが重要なモチーフです。
ただ、それにしては
釣りの楽しさとか
鮭のウロコのきらめきとかが
いまいち映像として伝わってこないのが残念。

画面が水中から水面へと浮かび上がって
外の世界をうかがう…みたいな
カメラワークは出てくるんですよ、ところどころ。
それって「魚目線」ってことになるんだろうけど
もっと印象的にできたんじゃないかなあ。

スコットランドから空輸されて
イエメンの川をさかのぼる鮭たちって
ジョーンズ博士自身の分身ともいえるんですよね。
ロンドンで省庁勤めだったのが
いきなり砂漠の真ん中に派遣されて
それでも懸命に任務を果たそうとするんだもの。

それだけに、
鮭の美しさ、たくましさを
映画として伝える工夫がもっともっと
あってもよかったのでは、と思う訳です。

そうすれば、
仕事で駆け回ったり、恋愛に悩んだり、戦争で殺し合ったりしてる人間たちと
ただただ必死に生きてる魚との対比、
という側面も出てきて映画の味が深まったんじゃないかな…
なんて、これじゃあ水中から目線じゃなくて
上から目線ですね。



ところでこの作品、原作小説もあって
後半の展開がかなり映画と違うらしい。
映画は「都合よすぎるだろ…」と思うところもあったので
小説ちょっと読んでみたいです。



『禁じられた遊び』もしくは、恋は戦争に立ち向かう。

2013年01月05日 18時24分30秒 | 映画・アニメ・動画
去年秋くらいから
「午前十時の映画祭」で名画観るってのを
続けてるんですが

これは年末に観た一本。
『禁じられた遊び』これまた初見。

「ギター習う時にみんなが弾く曲でしょ?」ってのと
「子供が墓を荒らす映画なんでしょ?」という
漠然かつ適当にもほどがある予備知識だけで観に行ったんですが


1940年、フランス郊外。
ドイツ軍の爆撃で両親を亡くし、
死んだ犬を抱いて、ひとり逃げる少女ポーレットは
やがて農家の少年ミシェルと出会います。
ポーレットはミシェルの家に引き取られることに。

そのふたりの目を通して
戦争や死というものが描かれていきます。
反戦映画の傑作、
だけどそれだけじゃとても語りきれない。



たとえば、私が感じたのは
けっこう恋愛映画だな、ということ。

もちろん5歳のポーレットと
11歳のミシェルのやりとりは
恋愛というには幼すぎるんですけど

「お腹がすいた」というポーレットに
ミシェルがリンゴを差し出すと
「カフェオレがいい」とポーレット。
「贅沢だな」とミシェル。
このシーン、微笑ましくて好きです。

いつの時代も
女の子は小さい時からちゃんと女子なんでしょうね。


話ちょっと飛びますけど、
3歳の姪っ子がおりまして。
その子をみてると
パパに対して駆け引きしてるようなときがあるんですよ。
構って欲しいんだろうけど
わざと「パパはこないで」とか言って。
同い年の男の子はもっとアホというか単純だと思うんだけど。

閑話休題



ポーレットの愛犬に
お墓を作ってあげるミシェル。
さらに、犬がひとりぼっちじゃ可哀想というポーレットのために
ミシェルはいろんな墓を作ってあげる。
みみずやらひよこやら…
墓地から十字架を盗んでまで。

ここでは
子供たちの墓荒らしという「禁じられた遊び」が
大人たちの戦争というもっと大きな罪と
対比させられているのでしょう。


同じような対比は
ミシェルの隣に住む青年、フランシスの台詞にもあります。
兵役から脱走して家に帰って来たフランシス。
実は、ミシェルの姉と恋人同士なんですが
両家が犬猿の仲なので隠れて逢い引きしてるわけです。

そのフランシスが父親と口論になる場面。
父親「国のために役に立て!」
フランシス「国とは結婚できない!」
ここも好きだなあ。



結局、孤児院に送られることになるポーレット。
ラストシーンでは
修道女が目を離したすきに
ポーレットは人ごみのなかに消えていきます。
「ミッシェル!ミッシェル!…」と叫びながら。


ポーレットがこのあとどうなってしまうのか、
こういう余韻を残す終わり方の映画も
減ってしまった気がします。


二度三度、ぜひまた映画館で観たいな。



いつの時代も『真夜中のカーボーイ』が必要だったりする。

2013年01月03日 21時38分29秒 | 映画・アニメ・動画
『真夜中のカーボーイ』を観てきました。
これまた初見です。
カウボーイじゃなくてカーボーイなのね、邦題。



主人公・ジョー(ジョン・バック)が登場するやいなや
何してるかというと、
鏡に向かってテンガロンハットで決めポーズ。
いきなりの中二病的ふるまいです。

ドライブインの仕事を辞めて
「ニューヨークに行けば、男を買うって女がわんさかいるらしいぜ」
そんなたわけた理由で旅に出る。

ニルソンの歌に合わせて
颯爽と長距離バスに乗り込むその格好は、
フリンジ付きジャケットにテラテラの青いシャツ、
そしてもちろんテンガロンハット。
手にしたトランクはホルスタイン模様。
どんなトンチキな珍道中物語が始まるのかと思いきや…

まあ、そういう話ではなくて。
どんどん重くて苦い、青春残酷物語になっていくわけです。
なるほど、これがアメリカン・ニューシネマか。



「モテモテのウハウハだぜ」なんつって浮かれてたジョーが
ニューヨークをうろつくうちに
どんどん行き詰まってくる。

そんでもって、出てくる人たちが
どいつもこいつも寂しいひとたちばっかりなのね。
ジョーが最初に出会う高級娼婦も、
ジョーの「客」になるマダムも、
ジョーに殴られて金を強奪されちゃう紳士も
悪い奴じゃないんだけど
どこか孤独でちょっと歪んでる。

それはつまり、普遍的な都会の姿なんだろう。


極めつけは
ジョーの相棒、ラッツォを演じるダスティン・ホフマン。
足をひきずって歩く、チビの与太者。
二枚目ではあるんだけど、
見てるとなんだか泣きたくなる面構えなんですよねえ。



ストーリーの最後で
ふたりはフロリダを目指すんですが
結局、夢は破れ、ユートピアに手が届かない。
挫折まみれのラストシーンが
なんでこんなに美しくみえるんだろう。

ちょっと
『傷だらけの天使』のラストを思い出した。



救いはない。
だけどもう一度観たい、と思わせてくれる映画、
最近あまりないかもね。



で、我と我が身を振り返れば
去年、会社をやめたあと
いまや与太者的生活なわけで
全然まったくジョーやラッツォを笑えねえんだよな。

(いや別に
「ひと旗揚げてウハウハだぜ」と思ってるわけじゃないけど)


『真夜中のカーボーイ』が製作されてから44年。
たとえ50年後でも、100年後でも
ジョーやラッツォのように「憧れの地」をめざす馬鹿者どもがいて、
浮かれたり挫折したりをくり返すんだろう。

私や誰かさんみたいに。