ノースリーブスの新譜が
Amazonさんから届きました。
もちろん
みーちゃん(峯岸みなみ)バーションである。
自分が
作詞とかポエトリーリーディングやってるからか
歌謡曲聴くのもやっぱり
歌詞にまず耳がいくのですが
なんやかんやで
秋元御大すげえなあと思うのは
AKB48の歌詞って
特に最近のシングル曲ってほとんど
男子目線の歌詞なんだよね
「大声ダイヤモンド」も「ポニーテールとシュシュ」も
「ヘビーローテーション」も「桜の木になろう」も
「Everyday、カチューシャ」も
このノースリーブスの「唇 触れず…」も。
つまり
歌い手であるAKB48メンバーたちが
聴き手である野郎どもの気持ちを代弁してるっていう
たぶん今まで
あまりなかった構図じゃないかなあ
しかもほとんどの歌詞が
「好きなんだけど告白できないヘタレ男子の心情」で
心のやらかい場所を締めつける
ってパターンですわ
寺山修司が
『戦後詩』という本で
歌手と詩人(作詞家)の関係について書いてて
『東京ブルース』という歌のなかで
「死ぬまでだましてほしかった」と言っているのは
作詞家の水木かおるなのか
歌ってる西田佐和子なのか
という問題提起をしてます。
「いつのまにか情念の主体が水木かおるから西田佐和子に変わっている」
いいかえれば
「水木かおるの『私』は西田佐和子によって盗まれている」とも。
奥付によれば
『戦後詩』が刊行されたのが1965年
そのあと
ご存知のとおり
フォークやニューミュージックの季節があり
Jポップの時代になり
いまじゃ
シンガーソングライター(SSWって書くの?)なんてあたりまえ
バンドマンやシンガーじゃなくても
モデルでも
役者でも
声優でも
CDリリースするときに
「いまの等身大の私を歌詞にしました」ってのは
よくある話で
そんな作詞家の仕事が奪われちゃってる時代に
歌い手の気持ちは歌い手が自分で書いちゃうけど
聴き手の気持ちはまだ誰も書いてないだろっていう
秋元御大の貪欲さに
くらっときます
Amazonさんから届きました。
もちろん
みーちゃん(峯岸みなみ)バーションである。
自分が
作詞とかポエトリーリーディングやってるからか
歌謡曲聴くのもやっぱり
歌詞にまず耳がいくのですが
なんやかんやで
秋元御大すげえなあと思うのは
AKB48の歌詞って
特に最近のシングル曲ってほとんど
男子目線の歌詞なんだよね
「大声ダイヤモンド」も「ポニーテールとシュシュ」も
「ヘビーローテーション」も「桜の木になろう」も
「Everyday、カチューシャ」も
このノースリーブスの「唇 触れず…」も。
つまり
歌い手であるAKB48メンバーたちが
聴き手である野郎どもの気持ちを代弁してるっていう
たぶん今まで
あまりなかった構図じゃないかなあ
しかもほとんどの歌詞が
「好きなんだけど告白できないヘタレ男子の心情」で
心のやらかい場所を締めつける
ってパターンですわ
寺山修司が
『戦後詩』という本で
歌手と詩人(作詞家)の関係について書いてて
『東京ブルース』という歌のなかで
「死ぬまでだましてほしかった」と言っているのは
作詞家の水木かおるなのか
歌ってる西田佐和子なのか
という問題提起をしてます。
「いつのまにか情念の主体が水木かおるから西田佐和子に変わっている」
いいかえれば
「水木かおるの『私』は西田佐和子によって盗まれている」とも。
奥付によれば
『戦後詩』が刊行されたのが1965年
そのあと
ご存知のとおり
フォークやニューミュージックの季節があり
Jポップの時代になり
いまじゃ
シンガーソングライター(SSWって書くの?)なんてあたりまえ
バンドマンやシンガーじゃなくても
モデルでも
役者でも
声優でも
CDリリースするときに
「いまの等身大の私を歌詞にしました」ってのは
よくある話で
そんな作詞家の仕事が奪われちゃってる時代に
歌い手の気持ちは歌い手が自分で書いちゃうけど
聴き手の気持ちはまだ誰も書いてないだろっていう
秋元御大の貪欲さに
くらっときます