淡河川疏水も
小説タウンハウス 12 淡河川頭首工 淡河川・山田川疏水(淡山疏水)4(2018.8.17)
小説タウンハウス 13 御坂サイフォンと御坂神社 淡河川・山田川疏水(淡山疏水)5(2018.9.15)
と3回目になりますが、芥子山隧道山は近づけないような山の中にあります。従っておなじみになりました看板がありませ
ん。看板は、小説タウンハウス 12 にありました「ひょうご情報公園都市」の外れにあるものです。
兵庫県山田川疏水平面図 縮尺一万分の一 淡山疏水東播磨用水博物館蔵
今回は御坂サイフォン出口から三木総合防災公園(スポーツの森ゾーン)18号隧道から19号隧道(芥子山隧道)入口と
緑が丘町東にある地下を通る淡河川疏水の敷地の遊歩道です。淡河川幹線約13kmの高低差はわずか7m同じ等高線を縫っ
て流れているのがよくわかります。
いなみ野台地を潤す水の路 淡河川山田川疏水
ほぼ同じ部分の現在の地図です。
三木総合防災公園(スポーツの森ゾーン)
野球場の西で御坂サイフォンから出た疏水は中央芝生広場南西角のトンネル入口まで公園内を流れます。
御坂サイフォンで谷を越えた淡河川疏水が上がってきます。前回はここまででした。
おなじみの大きな看板です。橋の名前の由来は知りませんが水道橋の「与三兵衛橋」です。
公園の建設により移設されたと思われます。水路は新しいものです。また水路の勾配はほとんど感じられません。
三木総合防災公園と言えばE-ディフェンスです。国立研究開発法人防災科学研究所が所有する大型構造物の振動破壊実験
施設で六階建程度の建物であれば実物大の建物の破壊実験が可能です。(高層建築は模型実験となります)
兵庫県立広域防災センターには消防学校やヘリポートがあります。陸上競技場等すべての施設は大規模災害における防災
拠点を想定して造られています。
19号隧道(芥子山隧道)
18号隧道
18号隧道(トンネルに銘板は有りませんが19号隧道の手前なので18号隧道と思われます。)入口と内部のです。
18号隧道の出口とそれに続く水路です。
疏水の所々に管理用の排水門があります。レンガと石で作られていますので古いものだと思います。
塵取り機があれば次は長いトンネルになります。
19号隧道(芥子山隧道)
現在の芥子山隧道の入口は昭和30年に改修されたこのです。(当初の入口は少し左側にありました。)芥子山隧道は軟弱
地盤で工事は困難を極め、落盤事故や出水事故に加えて酸欠事故も発生、1日に60cmしか進まなかった日もあったと伝わ
ります。請負人の手に負えず県の直営工事となります。全長682mの工事に3年4ヶ月を要しましたが明治24年4月の完
成しました。
芥子山隧道の少し怖い話
水の流れていない時期はトンネルの中から話し声が聞こえたり、太鼓の音が聞こえることもあります。今も頑張ってトンネ
ルを掘っているのでしょうか。
コンクリートに黒御影石の銘板は戦後の工事です。内部もコンクリートです。
初代の工事と昭和の工事写真です。いずれも淡山疏水東播磨用水博物館蔵
初代の工事写真にはトロッコを押す人とトンネルの上で送風機を回す人物?が写っています。
遊歩道
昭和44年大規模なニュータウンの造成工事により、芥子山隧道、長尾隧道、広野隧道は繋がり一体化します。地上に現れて
いた水路部分の上に造成工事により数メートルから十数メートルの土砂がかぶせられました。疏水敷地で一般道路や公園緑地に
になった部分を除いた部分が、宅地として売ることが出来ないので遊歩道になったと思われます。
途中で一部一般道路になっている部分もありますが緑が丘南公園から東のち北東方向に約700m余りの遊歩道があります。
緑が丘南公園との接続も無く、神戸電鉄緑が丘駅とは無関係な存在、都市計画上理由を考えるとしたらコープへの買い物道
ぐらいしか考えられない不思議な存在ですが淡河川疏水の敷地であることが判れば納得できます。
ちょっとわかりにくい存在ですが、コープこうべ三木緑が丘店の南が色々なオブジェがありよくわかると思います。ここから
西と東に通じています。
遊歩道沿いの花屋さんの御主人が淡河川疏水であることをご存じでした。しかしほとんどの方はご存じありませんでし
た。遊歩道は両脇のU型側溝を含め約3.8mです。
公園と遊歩道の清掃のお知らせです。淡河川疏水の事は知らなくても遊歩道は地元の皆様に愛されています。
写真 右 緑が丘南公園からの遊歩道の入口です。
コープから東の遊歩道です。花中心・灌木の植え込み・高木と地域の個性が出ています。
疏水路潰地永代賃貸契約
淡河川疏水潰地は全て買収にしましたが九鬼家の所有地は同家から差し出された「永代約定証」により永代賃貸契約を締結
します。九鬼家とは三田藩の藩主の九鬼家です。このあたりは三田藩の飛地があり、九鬼家の「広野新開所」と呼ばれる農園
の経営地がありました。(広野新開所の正確な範囲は判りません。)
九鬼家は織田信長に仕えた志摩の海賊(水軍)で本願寺攻の「木津川口の戦い」では鉄板を貼り付けた安宅船6隻で毛利方
の村上水軍を破ります。この戦功により伊勢志摩に35000石を与えられます。関ヶ原の戦いでは東軍と西軍に別れて参戦、
家名を守った上56000石に加増されますがのちのお家騒動で二つの藩に分割の上、山の中に転封になります。しかし池に
船を並べ訓練を継続、水軍魂を涵養します。明治維新で水軍精神が再び開花し、神戸で金融業や不動産業で成功します。また、
家臣の多くが貿易業に従事します。戦後吉田茂首相の側近でGHQ相手に活躍した白洲次郎の祖父もその中の一人でした。
明治維新では、武士の知行地はわずかな例外を除いて、武士の所有地とはならずに、実際に耕していた農民(地主)に所有
権が認められます。この地が農民の所有に属さない未開地で領主に所有権が認められたのか、事業で得た資金により農業経営
に乗り出したのかは、興味のあるところですが、調べていません。
最初の看板にある宮ヶ谷調整池の隣に大正4年に完成した「呉錦堂池」があります。舞子公園の孫文記念館である移情閣を
別荘として建てた華僑の呉錦堂が付近の開墾のために造った池でこのあたりは開発されていない土地が残っていたようです。
九鬼家から差し出された「約定証」には
〇組合において水路及び溜池として使用する間は何があっても返還の請求はしない。
〇公共事業に賛成する精神を持って無償とする。
〇組合から10町歩の田の用水の贈与を受ける。
等であります。「淡河川山田川疏水五十年史」は著作権保護期間の経過により国会図書館でネット公開公開されています
ので興味のある方はご覧下さい。
約定証の日付は明治27年10月30日、九鬼の殿様の住所は神戸市北長狭通五丁目です。
戦後の農地解放やニュータウンの建設等があり、現在の土地の所有者も興味のあるところですが調べていません。
広野新開所に関する新資料 淡山疏水東播用水博物館
淡山疏水東播用水博物館の展示物が変更され関係資料が見つかりましたので追加します。H31.3.16
東西約4km、南北約2kmの楕円になりますので、全部ではなくこの付近に分布していたと思われます。
〇明治19年志染開墾地の田畑宅地28ha(農家33戸、約100人)を入手した。
神戸電鉄の緑が丘付近は志染村になります。この後順次広がっていったと思われます。
〇2万円の巨費を投じて洋式大農場を試みたが収支が合わなかったため小作開墾に転換した。
19.6haを水路敷や溜池用地として無償で借り受けました。山田川疏水の建設に当たっても無償または有償で借り受けま
した。
淡河川疏水の付け替え工事
2枚目の兵庫県山田川疏水平面図と3枚目の現在の地図を見比べていただければ、ニュータウンの地下に淡河川疏水と山田
川疏水が埋まっていることが判ります。ニュータウンの地下は改修が困難で放置すれば陥没等の危険性があります。国営東播
用水二期農業水利事業で付け替え工事が行なわれています。完成後は芥子山隧道もコンクリートミルクが注入され埋められて
しまいます。ちょっと残念な気もします。
写真 左 淡山連絡揚水機場 18号隧道の手前で淡河川疏水の水をポンプアップします。
写真 右 淡山連絡水路(トンネル)で南に送り山田川疏水に合流させます。
山田川疏水もニュータウンの地下部分は新たに公道の地下部分に移設して新水路を建設します。(山田川幹線緑が丘サイ
ホン 直径1.5m 長さ 2.5km)
遊歩道の先1km余りで淡河川疏水と山田川疏水は合流します。次回はもう一つの水源、山田川頭首工を予定しています。
芥子山隧道は廃止されましが遺構は保存されています。
小説タウンハウス 25 淡山連絡水路・緑ヶ丘サイフォン 淡河川・山田川疎水(淡山疎水)14(2021.2.19)
小説タウンハウス 26 淡山水路閉塞工事 淡河川・山田川疎水(淡山疎水)15(2021.4.30)をご覧下さい。
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小説タウンハウス 12 淡河川頭首工 淡河川・山田川疏水(淡山疏水)4(2018.8.17)
小説タウンハウス 13 御坂サイフォンと御坂神社 淡河川・山田川疏水(淡山疏水)5(2018.9.15)
と3回目になりますが、芥子山隧道山は近づけないような山の中にあります。従っておなじみになりました看板がありませ
ん。看板は、小説タウンハウス 12 にありました「ひょうご情報公園都市」の外れにあるものです。
兵庫県山田川疏水平面図 縮尺一万分の一 淡山疏水東播磨用水博物館蔵
今回は御坂サイフォン出口から三木総合防災公園(スポーツの森ゾーン)18号隧道から19号隧道(芥子山隧道)入口と
緑が丘町東にある地下を通る淡河川疏水の敷地の遊歩道です。淡河川幹線約13kmの高低差はわずか7m同じ等高線を縫っ
て流れているのがよくわかります。
いなみ野台地を潤す水の路 淡河川山田川疏水
ほぼ同じ部分の現在の地図です。
三木総合防災公園(スポーツの森ゾーン)
野球場の西で御坂サイフォンから出た疏水は中央芝生広場南西角のトンネル入口まで公園内を流れます。
御坂サイフォンで谷を越えた淡河川疏水が上がってきます。前回はここまででした。
おなじみの大きな看板です。橋の名前の由来は知りませんが水道橋の「与三兵衛橋」です。
公園の建設により移設されたと思われます。水路は新しいものです。また水路の勾配はほとんど感じられません。
三木総合防災公園と言えばE-ディフェンスです。国立研究開発法人防災科学研究所が所有する大型構造物の振動破壊実験
施設で六階建程度の建物であれば実物大の建物の破壊実験が可能です。(高層建築は模型実験となります)
兵庫県立広域防災センターには消防学校やヘリポートがあります。陸上競技場等すべての施設は大規模災害における防災
拠点を想定して造られています。
19号隧道(芥子山隧道)
18号隧道
18号隧道(トンネルに銘板は有りませんが19号隧道の手前なので18号隧道と思われます。)入口と内部のです。
18号隧道の出口とそれに続く水路です。
疏水の所々に管理用の排水門があります。レンガと石で作られていますので古いものだと思います。
塵取り機があれば次は長いトンネルになります。
19号隧道(芥子山隧道)
現在の芥子山隧道の入口は昭和30年に改修されたこのです。(当初の入口は少し左側にありました。)芥子山隧道は軟弱
地盤で工事は困難を極め、落盤事故や出水事故に加えて酸欠事故も発生、1日に60cmしか進まなかった日もあったと伝わ
ります。請負人の手に負えず県の直営工事となります。全長682mの工事に3年4ヶ月を要しましたが明治24年4月の完
成しました。
芥子山隧道の少し怖い話
水の流れていない時期はトンネルの中から話し声が聞こえたり、太鼓の音が聞こえることもあります。今も頑張ってトンネ
ルを掘っているのでしょうか。
コンクリートに黒御影石の銘板は戦後の工事です。内部もコンクリートです。
初代の工事と昭和の工事写真です。いずれも淡山疏水東播磨用水博物館蔵
初代の工事写真にはトロッコを押す人とトンネルの上で送風機を回す人物?が写っています。
遊歩道
昭和44年大規模なニュータウンの造成工事により、芥子山隧道、長尾隧道、広野隧道は繋がり一体化します。地上に現れて
いた水路部分の上に造成工事により数メートルから十数メートルの土砂がかぶせられました。疏水敷地で一般道路や公園緑地に
になった部分を除いた部分が、宅地として売ることが出来ないので遊歩道になったと思われます。
途中で一部一般道路になっている部分もありますが緑が丘南公園から東のち北東方向に約700m余りの遊歩道があります。
緑が丘南公園との接続も無く、神戸電鉄緑が丘駅とは無関係な存在、都市計画上理由を考えるとしたらコープへの買い物道
ぐらいしか考えられない不思議な存在ですが淡河川疏水の敷地であることが判れば納得できます。
ちょっとわかりにくい存在ですが、コープこうべ三木緑が丘店の南が色々なオブジェがありよくわかると思います。ここから
西と東に通じています。
遊歩道沿いの花屋さんの御主人が淡河川疏水であることをご存じでした。しかしほとんどの方はご存じありませんでし
た。遊歩道は両脇のU型側溝を含め約3.8mです。
公園と遊歩道の清掃のお知らせです。淡河川疏水の事は知らなくても遊歩道は地元の皆様に愛されています。
写真 右 緑が丘南公園からの遊歩道の入口です。
コープから東の遊歩道です。花中心・灌木の植え込み・高木と地域の個性が出ています。
疏水路潰地永代賃貸契約
淡河川疏水潰地は全て買収にしましたが九鬼家の所有地は同家から差し出された「永代約定証」により永代賃貸契約を締結
します。九鬼家とは三田藩の藩主の九鬼家です。このあたりは三田藩の飛地があり、九鬼家の「広野新開所」と呼ばれる農園
の経営地がありました。(広野新開所の正確な範囲は判りません。)
九鬼家は織田信長に仕えた志摩の海賊(水軍)で本願寺攻の「木津川口の戦い」では鉄板を貼り付けた安宅船6隻で毛利方
の村上水軍を破ります。この戦功により伊勢志摩に35000石を与えられます。関ヶ原の戦いでは東軍と西軍に別れて参戦、
家名を守った上56000石に加増されますがのちのお家騒動で二つの藩に分割の上、山の中に転封になります。しかし池に
船を並べ訓練を継続、水軍魂を涵養します。明治維新で水軍精神が再び開花し、神戸で金融業や不動産業で成功します。また、
家臣の多くが貿易業に従事します。戦後吉田茂首相の側近でGHQ相手に活躍した白洲次郎の祖父もその中の一人でした。
明治維新では、武士の知行地はわずかな例外を除いて、武士の所有地とはならずに、実際に耕していた農民(地主)に所有
権が認められます。この地が農民の所有に属さない未開地で領主に所有権が認められたのか、事業で得た資金により農業経営
に乗り出したのかは、興味のあるところですが、調べていません。
最初の看板にある宮ヶ谷調整池の隣に大正4年に完成した「呉錦堂池」があります。舞子公園の孫文記念館である移情閣を
別荘として建てた華僑の呉錦堂が付近の開墾のために造った池でこのあたりは開発されていない土地が残っていたようです。
九鬼家から差し出された「約定証」には
〇組合において水路及び溜池として使用する間は何があっても返還の請求はしない。
〇公共事業に賛成する精神を持って無償とする。
〇組合から10町歩の田の用水の贈与を受ける。
等であります。「淡河川山田川疏水五十年史」は著作権保護期間の経過により国会図書館でネット公開公開されています
ので興味のある方はご覧下さい。
約定証の日付は明治27年10月30日、九鬼の殿様の住所は神戸市北長狭通五丁目です。
戦後の農地解放やニュータウンの建設等があり、現在の土地の所有者も興味のあるところですが調べていません。
広野新開所に関する新資料 淡山疏水東播用水博物館
淡山疏水東播用水博物館の展示物が変更され関係資料が見つかりましたので追加します。H31.3.16
東西約4km、南北約2kmの楕円になりますので、全部ではなくこの付近に分布していたと思われます。
〇明治19年志染開墾地の田畑宅地28ha(農家33戸、約100人)を入手した。
神戸電鉄の緑が丘付近は志染村になります。この後順次広がっていったと思われます。
〇2万円の巨費を投じて洋式大農場を試みたが収支が合わなかったため小作開墾に転換した。
19.6haを水路敷や溜池用地として無償で借り受けました。山田川疏水の建設に当たっても無償または有償で借り受けま
した。
淡河川疏水の付け替え工事
2枚目の兵庫県山田川疏水平面図と3枚目の現在の地図を見比べていただければ、ニュータウンの地下に淡河川疏水と山田
川疏水が埋まっていることが判ります。ニュータウンの地下は改修が困難で放置すれば陥没等の危険性があります。国営東播
用水二期農業水利事業で付け替え工事が行なわれています。完成後は芥子山隧道もコンクリートミルクが注入され埋められて
しまいます。ちょっと残念な気もします。
写真 左 淡山連絡揚水機場 18号隧道の手前で淡河川疏水の水をポンプアップします。
写真 右 淡山連絡水路(トンネル)で南に送り山田川疏水に合流させます。
山田川疏水もニュータウンの地下部分は新たに公道の地下部分に移設して新水路を建設します。(山田川幹線緑が丘サイ
ホン 直径1.5m 長さ 2.5km)
遊歩道の先1km余りで淡河川疏水と山田川疏水は合流します。次回はもう一つの水源、山田川頭首工を予定しています。
芥子山隧道は廃止されましが遺構は保存されています。
小説タウンハウス 25 淡山連絡水路・緑ヶ丘サイフォン 淡河川・山田川疎水(淡山疎水)14(2021.2.19)
小説タウンハウス 26 淡山水路閉塞工事 淡河川・山田川疎水(淡山疎水)15(2021.4.30)をご覧下さい。
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