団地小説短編集を歩く

団地小説短編集の舞台を歩きながら団地や地域の魅力をお伝えします。

小説君影小唄 1   検証 鈴蘭台は別荘地 ついに発見鈴蘭台ダンスホール跡

2016-11-01 20:25:43 | 日記
      小説君影小唄は鈴蘭台の歴史から始まります。  

   昭和3年、神戸の湊川と有馬温泉の間に電車が通った。神戸有馬電気鉄道である。後に、三木電気鉄道を合併

  して現在の神戸電鉄となった。

   小部村にも駅ができた。小部駅である。しかし、昭和8年、突然小部駅は鈴蘭台駅に改名された。当然、村民

  は猛反対した。電車の開通に伴い付近には避暑のための別荘や別邸が次々に建てられ西の軽井沢とも呼ばれるよ

  うになり、これを見込んだ電鉄会社の経営戦略であった。ちなみに、現在の鈴蘭台西口駅は昭和12年の開業時

  の名前は鈴蘭台ダンスホール前駅、当時のハイカラな雰囲気が想像出来る。‥‥‥‥ 
     
   大正7年生まれのなくなった母が「子供の時に、鈴蘭台のおじさんの別荘に遊びに行ったことがある」と聞い

  ていたので、小説は書き出しは鈴蘭台の歴史から始めた。昭和の終わりの2年間、私は仕事で神戸電鉄で西鈴蘭

  台駅まで通っていたが、まだその頃は電車の窓から外を見て多少はそんな雰囲気も感じていたような記憶がある

  が‥‥‥‥。

         検証 鈴蘭台は別荘地
  

   意外にも答えはすぐに見つかった。



   鈴蘭台駅前再開発ビルの建設現場の外壁に「鈴蘭台駅前歴史写真館」



   曰く‥‥‥また戦前の鈴蘭台はダンスホールやビヤホールなどを擁する避暑地として栄え、高級住宅地も有した

  ことから「関西の軽井沢」とうたわれました‥‥‥



   右の写真は「こうべ」市政100周年記念(平成元年7月)の物であるが神戸電鉄60年史にも掲載されている。



   神戸電鉄50年の歩みに掲載の昭和初期の宅地分譲図です。(北を上にするために90度回転しています。)
 
   50年史によれば、‥‥現鈴蘭台駅を中心に山田村小部地内をに約40数万坪(約132万平方メートル)の土

  地を買収した。小部は神戸の都心を離れることわずか7.5キロメートル、空気清浄な緑あふれる文化的、健康的な

  住宅地であることから“関西の軽井沢”とも称され、、当社は昭和4年4月から第1回宅地分譲の売り出しをはじ

  めた。昭和4年3月21日の新聞広告は、

        「神戸の中心地から僅か十分の理想的住宅地、三年たてば地価三倍、電車賃たった九銭」
 
  と魅力いっぱいの文句を並べて売り出しに力を入れたので、同年11月末までに7割の契約を結ぶ好成績を収めた。

  ‥‥しかし、この経営地(32万6,000坪ー107万7,000平方メートル)は電力料金支払いの代償として昭和5年

  宇治川電気の傍系会社新興土地株式会社に譲渡した。‥‥‥

   1,320,000平方メートルと言えば直径1,296メートルの円、一辺が1,148メートルの正方形で

  いずれにしろ鈴蘭台がすっぽり入る大きさである。地図は極めて不鮮明であるが現在の地形と一致しており、地図

  を頼りに歩いてみると、上にアパート(ハイツ)やマンション、数件の家の建つ別荘遺構とも思える立派な石組み

  を多数見つけることが出来たが、このようなものをいくら見つけても、住んで居る人にとっては、余計なお世話の

  話で、企画を変更

         古き鈴蘭台の建物を探す



   左の写真は、傾斜地を含む広い敷地に建つ和洋折衷の家。手入れの行き届いた広い庭は別荘風である。

   写真右は、線路沿いの平坦な敷地(平坦地なので特別に広くはない)に建つ一部洋風屋根の家。



   鈴蘭台西町の南端までが経営地であったと言われている。その辺りで見つけた古い石積み。水抜き管に土管を

  使っている。塩ビ管は昭和11年ドイツで世界で初めて作られたが日本で生産が始まったのは昭和26年からで

  ありおそらく戦前の擁壁であると思われる。擁壁の上は再造成され数軒の家が建っている。



   左の写真は、前出の擁壁の近くにある無住の傾斜地宅地。 写真右は同じく近くにある、従来の大きさの宅地に建つ家。



   昔のことは、お寺か、お宮で聞けばいいと思うが鈴蘭台のお寺は新しそうなので、大きな鳥居に惹かれて末廣

  稲荷神社まで登りました。しかし神主さんはご不在で、お稲荷様と龍神様に、鈴蘭台ダンスホールの発見をお願

  しました。鈴蘭台ダンスホールはネットでも図書館でも石積み調査でも全く手がかりがありません。


         ついに発見!鈴蘭台ダンスホール跡



   鈴蘭台西口駅がかって鈴蘭台ダンスホール前駅であったことは神戸電鉄の資料からも明らかで、近くに鈴蘭台

  ダンスホールがあったことも推測されるが場所がわからないことには、あとがきの「物語はフィクションであるが、

  団地PR小説として舞台はノンフィクションである」の看板の沽券に関わると探し続けている。今日もそれらしい

  石積みを見つけることが出来ず、駅近くの酒屋さんで聞き込みをしました。

   まさに天佑神助、お店の方から(女性)決定的な情報を得ました。

   ◎子供の頃、鈴蘭台ダンスホールであったと聞いた建物が今の鈴蘭台小学校の場所にあった。

   ◎今の鈴蘭台小学校の正門の場所から入ると小山がありここを回って進むと森の中におおきな黒い三角屋根の

    洋館があった。洋館には広い庭があった。何階建であったかは覚えていない。

   ◎すでにダンスホールとしては使われていなかった。窓にはカーテンがあった。敷地内に住宅があり人が住ん

    でいて庭や建物の管理をしていた。

   ◎子供達の間では、その雰囲気からドラキュラが住んでいるかも、と話していた。

   ◎小学校の運動場部分は千寿グランドと呼ばれ子供達が野球などをして遊んでいた。



   鈴蘭台小学校です。十分不審者と思われるのでチャイムを押してお願いしました。先生が学校内の案内をして

  下さいました。本当にありがとうございました。



   鈴蘭台小学校は昭和53年4月に開校しました。山を削り木を伐って町や学校が作られたとあります。



   鈴蘭台小学校の校舎です。鈴蘭台ダンスホールはこの校舎の下になってしまいました。

   地図は昭和40年の住宅地図に鈴蘭台小学校を合わせものです。橙色が校舎で、そこにある「耕心寮」

  と書かれた建物が鈴蘭台ダンスホールと思われます。当時の住宅地図は航空写真から作られたものでは

  なく公道から離れたは部分は調査員のスケッチとなります。(中央部分で貼り合わせとなっています。

  左右で道の位置が異なります。崖表示の部分に平行して建っていたのかも知れません)

   では「耕心寮」とは何でしょうか。ネットで検索した結果、高等学校や大学の寮としてかなり同名の

  ものがありましたが、何れも違うと思われます。会社か宗教団体の研修施設かも知れない。

  小説君影小唄の鈴蘭台第五団地現地案内所は移転しました



   鈴蘭台西口のすぐ近く(写真の点字ブロックの先の建物)鈴蘭台第四団地の1号棟



   106号室です。水曜日と年末年始を除く毎日、10時から17時まで営業しています。

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         詳しいことはUR都市機構のホームページをご覧下さい。



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            続報  鈴蘭台ダンスホール (2016.11.17)

           鈴蘭台ダンスホール 追記  (2017.2.17)が有ります。

           鈴蘭台ダンスホール跡確定   (2017.12.29)が有ります。




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