いのりむし日記

いのりむしの備忘録です。

Nakajima Hisae

RAMO(ラモ) 四日市市常磐地区で人権コンサート 12月12日

2011-12-13 | 音楽
 

Ramo2

 RAMOは、自閉症の息子2人を持つ父親とその長男の音楽ユニット。
 自閉症は脳の機能障害であるにもかかわらず誤解も多く、なかなか理解してもらえない「障害」である。しかも、世間の多く人は、身近に自閉症の人はいないので知らない・解らないという。
 だったら、出会ってもらいましょう。
 自閉症の息子と一緒に音楽をやり、実際に見て感じて欲しいと各地で演奏しているRAMOのお二人に、松阪から来ていただいた。  
 父、大徳さんはギター、息子、楽守さんはパーカッション。初めて接する人には、かなり個性的に見えるであろう楽守さんだが、それも、そのうち、そんなもんと思える(はず)。なんてったって音楽です。好きなように楽しみましょう。

 この日の演奏曲は、全曲オリジナル。
 DJANGO(ジャンゴ) 【インスト】、転石(ころびし)、コ・ト・ノ・ハ、雪ぼうし、イマイキテル、螺旋(らせん)、スノーフレーク【インスト】、パッチワーク【アンコール】

Ramo1  
 お話にメガホンを使う楽守さん。大小数種のメガホンを使い分けて、チューニングしてください、マイクの調子大丈夫ですか、ただ今○時○分など、本番中に業務連絡。今日は、得意な虫の話も出た。夜間、カマキリを見つけるのは簡単。光ります。カメムシの天敵は‥

Ramo3
 ギターのサウンドホールのためにくり抜いた板。楽守さんが絵を書いた。


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写真の表情・仏の謎 パラミタミュージアム

2011-12-12 | 四日市情報

パラミタミュージアム(菰野町)で開催中の、飛鳥園仏像写真展のギャラリートーク「写真の表情・仏の謎」の第1回(12月11日)は、興福寺阿修羅像。
 展覧会では、光、角度、ピントの工夫によって「写真で仏像を描く」ことをめざした小川晴暘と小川光三の作品が紹介されている。仏像を効果的に浮かび上がらせる背景の闇は、黒布などではなく、「無限の黒」。
  ギャラリートークでは、小川光三の阿修羅像が、3つの顔の特徴をギリギリで見せる絶妙の角度で撮られていることなど、写真の魅力を解説。さらに、苦悩とも 悲しみとも思える独特の表情の若い阿修羅像の特質や、その背景について説明。阿修羅像と興福寺西金堂(さいこんどう)の造営は、光明皇后の母橘三千代の死 を供養するものであったこと、そして、その頃、娘の安倍内親王が16歳であったことが指摘された。
 ギャラリートークは、この後、②1月15日中宮寺菩薩半跏像、③1月29日東大寺月光菩薩像、④2月12日大安寺楊柳観音像と続く。

  飛鳥園仏像写真展
   老舗写真展がとらえた大和路の仏たち
       ほとけのまなざしをもとめて 

 


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熊沢誠さんの“映画にみる女性と労働”

2011-12-10 | 四日市情報

 四日市市男女共同参画センターの企画さんかくカレッジ2011。
 キム・ミレ『外泊』も併せて上映された。

 熊沢さんのお話は、『外泊』の背景として、韓国の女性労働の特質などの説明の後、映画に観る女性の(と)労働のポイントを解説。
 そもそも映画の主要なテーマとして「労働」は希少で名作は少ないこと、特に女性、とりわけ日本では少ないと指摘。その理由として、女性の存在意義(アイデンティティ)、存在場所、幸福と不幸の決定要因が仕事・職場ではなく、プライヴェートな愛にあると想定されていると説明した上で、とはいえ、労働はいつもスクリーンの背景に沈殿し、労働のありかたは登場人物たちの人生、生活、性格の全体をしたたかに規定しているとした。
 取り上げられた映画は、『ノーマ・レイ』『9時から5時まで』『ワーキング・ガール』『スタンド・アップ』『フラガール』『女工哀歌』『孤高のメス』『川の底からこんにちわ』


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博物館展示と”匂い”

2011-12-09 | 博物館

 Seisi

 四日市市立博物館サルビアギャラリーで、学習支援展示”明治の四日市を知ろう 製糸のまち”開催。今月11日まで。
 大日本内国勧業博覧会製糸器械之図、三重県下室山菰野製糸場人名表(明治)、伊藤製糸場生糸仕切書并繰糸図、衡器并ニ生糸器械定価表、伊藤製糸場絹糸見本、伊藤小左衛門製糸場人名総一覧、商標登録証、小左衛門の業績が掲載された戦前の修身教科書、明治ラベル貼込帖、第三回内国勧業博覧会名誉賞金牌受領扁額、セントルイス万国博覧会賞状、リエージュ万国博覧会賞状、独立150周年記念博覧会賞状、伊藤製糸場全景図、そして1995年亀山製糸室山工場停止時の生糸(製品)と繭(原料)も展示されている。
 資料を見ながら、かつての製糸産業について考えていたら、補助解説として掲示されていた『写真でみる日本生活図引①たがやす』(株式会社 弘文堂)の「座繰り」の写真と説明の中に匂いの言及があり、なるほどと思う。糸がほぐれやすくなるよう、繭を鍋で煮るのだが「異様な匂いがする」との指摘。
 そう、匂い、特に嬉しくない匂いというのは歓迎されないが、匂いの存在を思い出させてくれる工夫も大切かもしれない。音の再現は時々経験するが、匂いはやっかいだ。四日市公害の展示で当時の匂いを、どう伝えるかが話題になったことがある。実際体験させるかどうかはともかく、匂いも、モノやコトに付随していることを忘れないようにしよう。


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四日市コンビナートの夜景今昔

2011-12-04 | コンビナート

 四日市公害を伝える1972年と1992年の番組を見た。

 ひとつは、1972年7月24日四日市公害裁判の判決当日、裁判所前から実況中継したNHKの特別番組。裁判所周辺と、原告の一人藤田一雄さんが入院していた塩浜病院など数ヵ所にカメラを構えて、注目の判決を伝えた。原告の内、2人は判決の日を迎えることなく亡くなっている。
 9時半開廷の直後、原告勝訴の第一報を病室のベットの上で聞いた藤田さんの目に、涙があふれる様子には胸が詰まる。この判決でコンビナート企業の責任が明確にされたことで、ようやく環境改善の取り組みが始まった。
 この特別番組では、判決を待つ間、海水浴場であった四日市の海に、昭和30年代、次々とコンビナートが建設された経緯が紹介された。その中で、建設当初は、水面に映るコンビナートの美しい光が「100万ドルの夜景」と、もてはやされていたことにも触れていた。

 ふたつめは1992年、判決から20年目の四日市を取材した『中部ナウ 灰色の空が消えても』
 この中では、遊覧船でコンビナートの夜景を楽しむ人びとの姿が紹介された。3年前から始まり、コンビナートは「今では観光資源に変わりつつある」という。3年前というと1989年。前年1988年には、大気汚染は改善されたとして、公害患者の新規認定を無くすように「公害健康被害補償法」が変更されている。

 そして只今、工場萌えで注目を浴びるコンビナートの夜景クルーズは盛況らしい。

 寄せては返す波のように、コンビナートと夜景は、いくたびも注目され、報じられた。四日市公害判決から50年後、60年後、コンビナートの光はどうなっているだろう。


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