昨日の犬塚康博ライブ“虹蔵不見(にじかくれてみえず)”
新曲も登場し、その中のひとつが「kombinat(コンビナート)」
それは、ここでもあり、そこでもある風景。
科学、平和、夢、快楽、高い煙突、プラント、炎、降り注ぐ塵芥、星空、青空、海‥
かつて公害に見舞われたまちは、公害を「克服」しなければならなかったまちでもあった。
国際環境技術移転、星の広場、蛍、夜景、観光‥ 公害訴訟判決から来年で40年、コンビナートのあるまちは、さまざまに語られた。そして、これからも。そんなことを考えながら、きょうびのニュースを聞く。まるで前にも聞いたことがあるかのように。
「kombinat(コンビナート)」それは、あの時代の私たちであり、この時代の私たちでもある。
一晩寝て落ち着いて考えても、やっぱり納得できないので、メモっておく。
空から、いろんなものが降ってくる時代だが、昨日、歩いて移動中、右後方で大きな音がしたので振り返ると、道に角材が落ちていた。あわてて辺りを見ると、横の集合住宅の5階のベランダにいる人が、6階の人に2本の角材を手渡そうとしている。角材2本、長いので遠くからでもよく見える。おそらく、3本渡そうとして1本が落下したのだろう。そんなアホな。危ないやんか。あと2メートル位置がずれていたら直撃だわ。いやいや、2本目が落ちてくるかもしれないから、とにかく逃げなくちゃ。しかし、どっちに逃げたらよいのか。そうこうしているうちに角材は無事6階へ。
高層のベランダ越しに、安全確認もせず、落下する危険性のあるものを移動させるのはやめましょう。当たり前ですが。