いのりむし日記

いのりむしの備忘録です。

Nakajima Hisae

コンビナートがよく見える本町プラザ(四日市)

2012-04-27 | 四日市情報

 4階に四日市公害資料室のある本町プラザの6階からは、コンビナートがよく見える。
 今日は廃ガス燃焼塔(フレアスタック)の炎が、ひときわ大きい。
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四日市公害資料室(本町プラザ環境学習センター)

2012-04-25 | 四日市情報

四日市公害判決から40年を迎える四日市では、新たな公害資料館の開館に向けて準備が進められているが、これまで四日市公害に関する資料は、環境学習センター(本町プラザ4階)の公害資料室で公開してきた。
ここでは、1996年に市立博物館で開催された『公害の歴史』展のパネルや、大気汚染測定器、空気清浄機、青空バッチなどが展示されている。

2年後の資料「館」の開館でいっそうの充実が期待される中、まずは資料「室」の今を覗いてみよう。

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●大気汚染測定装置
市内の大気汚染常時監視測定局に設置されていた。

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●降下煤塵測定器具
1960年から1996年まで、市内27地点で測定調査された。
●二酸化鉛法(Pbo2法)
 いおう酸化物が二酸化鉛と反応して硝酸鉛を生成することを利用して汚染を測定。1960年から1996年まで使用された。

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●ただしいうがいのしかた
 公害の被害が大きかった塩浜小学校で使用されていた

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●大気テレメーターシステム同報受令装置(子局)
三重県大気水質課監視室の同報発令装置と電話回線で接続され、種々の警報を受令した。1973年から1991年まで使用されていた。

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●空気清浄機
1964年、大気汚染の激しかった地区の幼稚園、小学校・中学校に空気清浄機が設置された。当初は189台で、特に汚染の厳しい塩浜、東橋北、共同の小学校・幼稚園では教室毎に設置された。汚染状況が改善されるにしたがって1974年以降は新設されないようになった。

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パネルの下に、ふたつ並んでいるのは脱硝触媒(大気汚染防止のための乾式排煙脱硝装置に装着されていた触媒)

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そして、資料室の窓からコンビナートが見える。

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『山地農民の昭和史 赤木勝太郎日記・金銭出入帳』

2012-04-21 | 本と雑誌

 800頁の小説を読了するのに2週間近く費やしてしまい、いくらなんでもこれでは、ほとんど本を読めないまま人生が終わってしまうではないかと強く反省したばかりだが、次に手にしたのが、これ。『山地農民の昭和史 赤木勝太郎日記・金銭出入帳』650頁。

 岡山県の自作農民赤木勝太郎(1893~1974)が残した37歳から80歳までの日誌には、水田、タバコ栽培、製炭、牛の飼育といった仕事や、冠婚葬祭などの私事、そして村の行事などの出来事が毎日記録されている。
たとえば1945年8月15日。
勝太郎(52歳)松根割り 麦の供出
セキノ(47歳) 畦草取り 三番草取り
千里(23) 役場行
康国(16)・影夫(13) ー空欄ー
雇人 ー空欄ー
諸事  麦の供出  大麦10俵半

そして翌16日
勝太郎(52歳)  長屋の屋根瓦直し
セキノ(47歳) 三番草取り
千里(23) 役場行
康国(16)・影夫(13)彰 三番草取り
雇人 屋根瓦直し

 こうした記録が、来る日も来る日も続くこと43年間。

 仕事と季節のリズム、暮らしぶり、家族の悲喜こもごも、そして時折諸事に書き込まれた村の姿から、一家の43年に、いつも変わらない人びとの営みと、今はない「昭和」が交錯している。

Sanntinouminnsyouwa

扉に跳ねる蛙も楽しい。


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楠歴史民俗資料館

2012-04-20 | 四日市情報

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資料館の中心施設となっているのは旧庄屋岡田邸とその付属施設で、江戸時代末期に建築されたと推定されている。
 2002年に楠町(当時)に寄贈され楠町有形文化財(*)となった主屋、立会所、蔵が修復・公開されたのは2005年。この時、老朽化が激しかった養蚕所、女子部屋、下屋は解体されたそうで、養蚕所が失われたのはなんとも惜しい。
 主屋に隣接する立会所では会議が行われていたようで、「役所施設」といった公的な役割を持つ場所と説明されている。江戸時代の庄屋は、年貢・諸役など行政的な役割も担い、庄屋の屋敷が末端の役所の性格を持っていたといわれているので、岡田邸もまた、同様の役割を担っていたのだろう。しかし、この立会所が建設されたのは岡田家所蔵文書によると、1870(明治3)年のことだったようで、庄屋の社会的機能が大きく変化する時期であったことを考えると、立会所の性格も開所後に変容していったのではないか。残念ながら、立会所について詳細は不明である。

 この資料館で注目しておきたいことは、ボランティアの存在と、貸館制度にみられる開放的な運用である。
 資料館の管理者は2012年度より四日市市立博物館となったが、運営におけるボランティアの役割は非常に大きいものがある。資料の整理、管理、事業企画など、資料館に運営は、開館前より地域の有志で構成された保存・運営委員会が担ってきた。
 文化財である立会所の座敷は、公開を前提とした事業を対象に貸館をおこなっている。これは、施設に訪れた見学者の出入りを阻むことなく、施設を活用するためである。

*楠町と四日市市の合併により、現在は四日市市有形文化財となっている。


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ムスカリ

2012-04-07 | 

いつも道すがら上から見ていたムスカリの花、今日は下から覗いた。

Musukari


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