いのりむし日記

いのりむしの備忘録です。

Nakajima Hisae

四日市コンビナートの夜景今昔

2011-12-04 | コンビナート

 四日市公害を伝える1972年と1992年の番組を見た。

 ひとつは、1972年7月24日四日市公害裁判の判決当日、裁判所前から実況中継したNHKの特別番組。裁判所周辺と、原告の一人藤田一雄さんが入院していた塩浜病院など数ヵ所にカメラを構えて、注目の判決を伝えた。原告の内、2人は判決の日を迎えることなく亡くなっている。
 9時半開廷の直後、原告勝訴の第一報を病室のベットの上で聞いた藤田さんの目に、涙があふれる様子には胸が詰まる。この判決でコンビナート企業の責任が明確にされたことで、ようやく環境改善の取り組みが始まった。
 この特別番組では、判決を待つ間、海水浴場であった四日市の海に、昭和30年代、次々とコンビナートが建設された経緯が紹介された。その中で、建設当初は、水面に映るコンビナートの美しい光が「100万ドルの夜景」と、もてはやされていたことにも触れていた。

 ふたつめは1992年、判決から20年目の四日市を取材した『中部ナウ 灰色の空が消えても』
 この中では、遊覧船でコンビナートの夜景を楽しむ人びとの姿が紹介された。3年前から始まり、コンビナートは「今では観光資源に変わりつつある」という。3年前というと1989年。前年1988年には、大気汚染は改善されたとして、公害患者の新規認定を無くすように「公害健康被害補償法」が変更されている。

 そして只今、工場萌えで注目を浴びるコンビナートの夜景クルーズは盛況らしい。

 寄せては返す波のように、コンビナートと夜景は、いくたびも注目され、報じられた。四日市公害判決から50年後、60年後、コンビナートの光はどうなっているだろう。


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