いのりむし日記

いのりむしの備忘録です。

Nakajima Hisae

塩沢美代子・島田とみ子 『 ひとり暮らしの戦後史 ー戦中世代の婦人たちー』

2019-12-22 | 本と雑誌
1975年発行の岩波新書。
1975年頃が、どんな時代であったのか思い起こしてみると、それはそれで活気のある時代であったはずだが、一方で、この時代を知らない世代が自分の周囲に増えていることに気づく。その程度に昔になってしまった1975年頃のひとり暮らしの女性の体験を読んでいると、当時の人びとが感じていたことのあれこれが今と重なる。
そんな中、「保育に生きる」の章で紹介されていたGさんは、1944年に子どもたちと埼玉へ集団疎開した本所横川橋隣保館の保母であった。つい最近観た映画『あの日のオルガン』のモデルである。
偶然手にした1975年の岩波新書と、2019年公開の映画、どちらも戦前戦後を、前を向いて生きていた女性に会える。

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素木しづ 『三十三の死』1914年

2019-04-30 | 本と雑誌
「不具」などという表現は、今や死語だろうが、「十八の年、不具になった」というお葉の淋しく揺れる心が静かに綴られていく。哀れみと気遣いがない交ぜになった周囲の反応のいちいちが、お葉の繊細な心持ちに吸着していく。
作者自身、膝の強打で発症した結核性関節炎が悪化し、右足を切断しており、まだ十代の頃の作品であることに驚く。三十三歳で死のうと思ったとは、それまでは生きよう、生きたいということだろうか。実際、しづは『三十三の死』が発表された年に結婚し、子どもも生まれているという。しかし、肺結核が悪化し、1918年に亡くなった。
(ポプラ社百年文庫85紅に所収)

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志賀健二郎 『百貨店の展覧会 昭和のみせもの 1945-1988』2018

2019-01-03 | 本と雑誌
百貨店の展覧会というと、博物館的には「ああ、あれね」と軽く見られる感じだろうか。それが副題の「みせもの」という言葉にも表れていて、そりゃ何たって「店(みせ)」なんだからなのだが、私には百貨店の展覧会に悪口は言いたくないと思う体験がある。
いつどこでのことだったか記憶が曖昧なのだが、多分小学校卒業の春休みに名古屋の百貨店で見た「アウシュビッツ展」が衝撃だった。会場で初めて見た、収容者の髪の毛で編んだ毛布の実物、毒ガスチクロンの缶などが衝撃で、人間はこんなにも残酷になれるのだと実感した。この時の衝撃は、その後、歴史と向き合う時の私の価値観形成に大きな影響を与えたと思う。大人になって、この時のアウシュビッツ展について調べてみたが、なぜか思っていた時期にそのような展覧会は見当たらず、小学生の体験にしては少々無理を感じるし、記憶に若干のズレがあるのかもしれないと思っていた。
そんな疑問を解く情報が、この本にあった。百貨店の展覧会としては不似合いだが、戦後、国内の平和と繁栄を謳歌していた一方で、ベトナムなど反戦への思いが高まっていた時代に、戦争に関わる展覧会もいくつも開催されていて、その一つがアウシュビッツ展だった。それによると、1972年4月14日から19日、ポーランド国立アウシュビッツ博物館(当時)、朝日新聞社などの企画で、日本橋東急において開催されたという。
おそらく、この前後に各地を巡回したのだろうと思い調べてみると、四日市の近鉄百貨店の開催が8月だった。中学3年の夏休みである。都会の百貨店で長期休暇中という点では記憶に間違いはなかった。当時、親が朝日新聞を購読していたので、おそらく新聞広告で、この展覧会を知り、ちょうど夏休みだったので一人で電車で出かけて行ったのだ。
まだ博物館での展覧会が限られていた時代、この百貨店での体験は強く記憶された。そして、同じような体験を持つ人が結構いるのではないかとも思う。

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ルドウィヒ・ペーメルマンス 『山のクリスマス』

2018-12-23 | 本と雑誌
インスブルックの町の子ハンシが、チロルの山で過ごした冬休みのお話。
20世紀前半頃のオーストリアの山の自然と暮らし、家畜や山の動物、そしてクリスマスの一日が作者の挿絵と共に楽しめる。岩波の子どもの本。
1934年ニューヨークで出版されたとのこと。
夏休み編もあれば良いのにと思う。

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鏑木清方 『紫陽花舎随筆』

2018-10-15 | 本と雑誌
昭和の時代を感じたいと思って手にした鏑木清方『紫陽花舎随筆』で、思いがけない一文に出会う。朝鮮戦争只中の1953(昭和23)年2月に書かれた「平和追求」という随筆。1950年に始まった朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の争いは米国、ソ連、中国の駆け引きの中で混迷を続け、米国が核兵器の使用の可能性に言及する事態となっていた。戦争の悪夢がリアルに人びとの心を締め付けていた時代、市井の人びとのおだやかな暮らしを愛した日本画家は、次のように述べている。


アメリカ一辺倒に反対するのもアメリカがいやなのではなく、そのためにほかに敵をつくることがいやだからである。日本はもうどこともいくさをしたくない。憲法で戦争放棄したのが他動的であろうとも、すくなくとも国民はひととき解放のよろこびを味わった。

一部では平和攻勢という妙な熟語があるようだが、歴史はじまって以来の人道の定義を粉砕した戦争悪を二度と世界にあらしめまいとする体験者のこころもちはひとすじに平和を願うものには主義や思想を超えて共感するものである。反共とか反米とか、そのどっちにも属すまい。ただ平和憲法を守りつづけよう。


平成の終わりを迎えた2018年、憲法改正が取りざたされ、憲法前文がわかりにくから変えよなどと声高に主張する勢力もいる。しかし先人の労苦に報い、その希求したものを引き継ぐために、むしろこの憲法前文を噛みしめることのできる知力と心持ちを育てることこそが必要なのではないのか。

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2018 イタリア・ボローニャ国際絵本原画展

2018-10-09 | 日記
先日、四日市市立博物館の2018イタリア・ボローニャ国際絵本原画展に行ってきた。
今年、心に残った作品をメモっておく。

ジュリアン・チャン 『いそげ いそげ』
フランシスコ・クニャ 『ネコたちのある一日』
クオン・アラ 『朝鮮王朝実録』
イ・スンオク『あか』
大越順子 『チーズ大作戦』
ダニエラ・パレスキ 『やさしい雌鶏』
シモーネ・レア 『ロリス』
鈴木さら『からす』
山田和明『カノンとタクト』

山田『カノンとタクト』は、うさぎピアノとくまギターの音色の違いを図形化し、うさぎとくまの家のデザインも明快で、それらが季節ごとの背景にうまく溶け込み、雪どけで季節が巡りハーモニーになっていく様子が温かい。

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読書ノート 『青い絵の具の匂い 松本竣介と私』

2018-03-21 | 本と雑誌
中野淳『青い絵の具の匂い 松本竣介と私』
松本竣介への関心から手にしたのだが、松本だけでなく、戦前戦後の昭和を生きた画家が何を考えて描いていたのか、時代背景も細やかで引き込まれた。戦争、戦後の文化活動や、聴こえない松本とのコミュニケーション法など、画家の日常と人生が垣間見え、中野が、松本の早すぎる死を「清澄な知性の灯がひっそりと消えていった」と悼んだのも、しみじみわかる。

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読書ノート 『死なないやつら』

2018-03-08 | 本と雑誌
読書ノート
『死なないやつら 極限から考える「生命とは何か」』長沼毅

人権研修で障害者の権利や多様性の尊重がキーワードになることがあるが、そうした人間(生命)の理解の根底に、人間だけでない生命の多様性に対するびっくりや、そもそも「わけがわからない」ということを謙虚かつ興味津々に受け止める姿勢があったらと思う。必要があるとも思えない「ムダな能力」というのも、現在の人間の能力では解明できないだけかもしれないが、こういうムダさは、そそられる。
『死なないやつら』予想通り面白かったので、備忘のためメモ。

極限生物
クマムシの樽 ネムリユスリカの乾燥幼虫
メタノピュルス・カンドレリ(アーキア)
シュワネラ・ネオイデンシス
ボツリヌス菌
ハロバチルス
デイノコッカス・ラジオデュランス
バチルス(バクテリア)

生物の設計にはどんな「デザイナー」も存在せず、進化とは「偶然の積み重ね」:ドーキンス
協調性のある遺伝子の方が、より生き延びやすい

共生進化
ミトコンドリア
シアノバクテリア

ヒーラ細胞
チューブワーム+イオウ酸化細菌(バクテリア)

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壺井栄『大根の葉』(1938年)

2017-06-07 | 本と雑誌
目の見えない幼い娘の治療に奔走する母と、周囲の反応が描かれていて、しみじみ考えさせられる。貧しい暮らしの中でも、できることはしてやりたいと医者の勧める手術のために力を尽くす母。妹のために留守番で淋しい思いをしながらも少し成長していく兄。金のかかる医者より金のかからない信心に頼ろうとする祖母。それぞれの思いが交差する。

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ドライサー 亡き妻フィービー (1912年)

2017-04-03 | 本と雑誌
アメリカのベストセラー作家ドライサーが1912年に執筆した短編で、解説によると、結末が悲劇的と解されて発表の機会を得たのが1916年とのこと。亡き妻の幻を追い続けた7年の果てが悲劇的なのか、幸せなものであったのかは誰にもわからないが、百年前も今も共通する思いはある。
亡き妻を求めて、家々を訪ね、奇妙なことを訊いてまわる老いた夫ヘンリー。周囲の人びとは、驚きと同情と憐れみの中で、当時貧しかった地方の劣悪な環境の精神病院に、親しい老ヘンリーを閉じ込めることをせずに、自由にしておくことを決める。そして、毎日妻を探し続けるヘンリーに、「今日は見なかったよ」と答えるのだ。
「認知症」などいう認識も無かった時代、ヘンリーの精神状態が医学的にはどういう事態であったかはともかく、現代の高齢社会のあり方を考えさせられた。
(ポプラ社百年文庫66「崖」より)

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