いのりむし日記

いのりむしの備忘録です。

Nakajima Hisae

ユリノキの実

2012-03-27 | 

 公園に花の少ない季節、この実は何だろうと毎年思いながら、花が咲いているところを見た記憶がない。

 今年も同じことを考えて撮影していたら、通りがかった人が名前と葉っぱのかたちを教えてくれた。

 ユリノキ。モクレン科、開花の時期は5~6月。

Yurinokinomo


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続・山中に海軍燃料廠建設のポンプ施設跡か?

2012-03-25 | 四日市情報

 先日、四日市市日永の山の上で、戦前海軍が関与したと考えられる溜池と、ポンプ施設跡について書いたが、敗戦時小学生であったという地元の方から情報を得た。
 当時、この辺りは沼地で、銃などの武器が大量に隠匿されていたそうだ。

 沼は戦後も長く放置されたが、加藤寛嗣市長時代(1976~96年)に、地元の要望で沼を埋め、住民が使えるグラウンドに整備されたとのこと。その際、投棄されていた武器類は引き上げられることなかったらしい。
 いつか、このグラウンドが掘り返されることがあったなら、何が出てくるのだろか。


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山中に海軍燃料廠建設のポンプ施設跡か?

2012-03-14 | 四日市情報

1940年代に四日市の沿岸部に建設された第二海軍燃料廠は、アメリカの空襲を恐れ、日永の山中に設備の一部を避難させようとしていた。1944年10月から地下工場や貯蔵庫などを建設する予定であったようで、現在も山の中に貯蔵庫の一部が残されている。

戦後、山の周辺は公園や住宅地となったが、山の上の住宅地の中に溜池の跡かと思われる大きな穴が残っている。現在は、運動場などに使われているようだが、その溜池跡の奥の山頂付近に、コンクリート製の橋脚のようなものが数本残っており、こんな山中に、こんな大掛かりな設備を建設したのは海軍ではないのか、何を建設しようとしていたのかと、以前から不思議に思っていた。

先日訪れた折に、近所の方にお尋ねしたところ、真偽は定かではないけれどとしながら、昔、近所の年長者から聞いたという話を教えてくれた。

それによると、大きな穴は、海軍が空襲から逃れるため造った溜池で、ここに武器などを運び、水を溜めて池に偽装しようとしていたらしい。そして、その池から水を吸い上げるために池の上にポンプ設備を建設しようとしたが、完成することなく敗戦を迎え、そのまま放置されたという。

当時の地図などに該当する情報は見当たらないが、この山のあちこちには、戦争の時代を知る手がかりが、まだ他にも残されているかもしれない。

40p1300416

奥が見えにくいが、露出していて確認できたのは8柱。

周囲に最近捨てられたと思われる廃材や金属製のレールも見える。

40p1300420

ポンプ跡から見える溜池跡(?)。

40p1300428

左側の小山の前がポンプ跡(?)。

この写真では見えないが、右側前方の向こうに海軍の貯蔵庫(防空壕の穴)が2ヵ所残っている。


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食べようか、観察しようか

2012-03-01 | 

Nanohanacap

八百屋さんの菜の花


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