「勘竹庵」evnc_chckの音楽やそれ以外

音楽の話題が中心になるかもしれませんが日々の雑感など書いていけたらと思っています。

今日、聴いた音楽 シャルル・カミーユ・サン=サーンス「ピアノ協奏曲第2番ト短調 作品22」

2009-08-12 00:03:18 | 音楽(クラシック)
続く第2番協奏曲です。

第1番から実に10年後の1868年に作曲されています。

イタリアのバロックのような、バス声部とアリアのレチタティーボをピアノが独奏で演奏し、技巧的な独奏が繰り広げられます。
そして、まるでオラトリオかオペラでも始まるのか?と思わせる宗教音楽のような劇的な前奏が強い印象を与えます。

その後は物悲しげな主題の提示。実に明確に伝統的なソナタ形式で古典派管弦楽が続きます。
モーツァルトから始まりベートーヴェンまで、きっちりと自身に消化していないとこういう音楽は書けないな・・・。と思うのですが、そういう技巧しか感じないんですよねぇ。もちろん第1番から続けて聴けばその技術や創意の進化は明らかなんですが、これだったら前半はベートーヴェンの「皇帝」を。後半はチャイコフスキーの第1番を聴けばそれで十分だ。と感じてしまいます。

随分と前のことですがツェルニーのピアノ協奏曲を聴いたことがあります。

ツェルニーと言えばベートーヴェンにピアノを学び、大ピアニストにしてロマン派最後の巨匠であったFリストの師匠として、また現在ではピアノ学習に必須とも言える多くの練習曲集で有名です。
リストはベートーヴェンに学んだツェルニーが自分の師匠であったことから、「自分はベートーヴェンの直系の弟子だ」と自慢していたそうです。

で、横道にそれましたが、サン=サーンスのこのコンチェルトにもその時に感じた、「よそからの借り物の集合体」を感じてしまいます。

彼は1835年の生まれですから時代的には1833年生まれのブラームス、1824年生まれのブルックナーなどと活躍時期が重なります。
あくまで古典主義の技法を継承しつつ、より進歩的にアプローチをし続けたブラームス。
本人の意思かどうかはともかく、ブラームスと対立しつつロマン派の音楽をその深い宗教観で極限まで壮大化し、瞑想と解脱の領域にまで高めたブルックナー。

同時代に生きながら、サン=サーンスの孤軍奮闘と呼ぶにはあまりに痛々しいこの停滞感のある音楽はどうでしょう?

構成力も技術力もすごいのに、悲痛なまでに取り残された彼はそれでもポピュラーな人気のある「動物の謝肉祭」などでは、近代音楽を思わせるような技法も聴かれます。

当時のフランス音楽界において権威ある指導的立場であった人物で、唯一国葬でもって弔われた作曲家だそうですので、あまりに冒険的な進歩主義には迎合できなかった、時代の犠牲者というのがやはり正しい認識なのでしょうか?


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