「勘竹庵」evnc_chckの音楽やそれ以外

音楽の話題が中心になるかもしれませんが日々の雑感など書いていけたらと思っています。

コードは作曲と切っても切れない関係か?(3)

2009-09-30 00:02:09 | 音楽(全般)
ジャズを演奏するために考案され、今や軽音楽のみならずクラシックを演奏したり、アレンジしたりするにも必須とも言える「コード・ネーム(コード)」の知識。

しかしジャズから生まれた魔法の記号「コード」に縛られて自分の作曲や編曲に紆余曲折が生じたことも、ごく個人的な経験の範疇ですが書かなくてはいけないな。と考えています。

ジャズが演奏したくて音楽を始めた私は、当然のことながら「コード」を覚え、展開させてプレイし、アドリブを乗せたりアレンジをしたりする。この延長で作曲も始めました。
ごく最近まではジャズの「アドリブ=即興での作曲行為」を作曲や編曲応用する方法が、自身としては唯一無二だと考えていました。

そんな私が考え方を変えなくてはいけなくなったのは、実は結構最近のことだったりします。

改めて申しますが、DTMを始めた当初はフュージョンをメインに創っていました。16ビートのドラムスをリズムの核にして、リズムと和声の両面からベースとギターがかぶさる。メロディーはエレピやシンセ、サックスなどにリードさせる。あとは音の薄いところはストリングスやパッド系のシンセを「ボワーッ」とバックに入れて、ほい一丁上がり!でした。
しかしさすがにフュージョンばっかり創っていてもすぐに飽きがきてしまいます。元々飽きっぽいので3、4曲でっち上げたらすぐに他ジャンルの曲が創りたくなってしまい、それでも「プログレ」や「ファンク」など同じバンド編成の曲で何とか満足させてはいたのでした。
そんなある日、ネットで自作曲を公開できる場が結構存在することがわかり、今でもお世話になっているE-Windで公開することにしました。フュージョンやジャズを中心に公開していたのですが、時代なのでしょうか?よくわかりませんがゲームのBGMに使われそうな壮大なオケ曲がかなり投稿されています。作曲技術の視点で聴くとそれほど難しいことをしているわけでも無さそうですが、自分がオケ編成というのはトライしたことも無く、機会が無いまま「ま、そのうちトライしてみるか・・・」といったスタンスでいました。

そしてついに「オケ曲を創作する機会」が巡って参りました。
やはりE-Windで懇意にしていただいている三月ウサギさんが、「第3回オーケストラアレンジ勉強会」を開催され、何の心の準備も無い私なのに衝動的に参加を申し出てしまったのです。題目は同じE-WIndで活動されているgratinさんの提供されたモティーフを、オーケストラ編成でアレンジするというものでした。

つづく・・・

20,000IPのご訪問ありがとうございました

2009-09-29 00:07:01 | Weblog
一昨日でトータルのご訪問者様の累計がIPベースで20,000を超えました。
(という事実に今、気付きました・・・)

それほどマメに更新するでも無し、内容がポピュラーな記事で構成されているわけでも無いのに、こうして続けてこられたのもいつもコメントくださる方々を始め、どなたとも知れないご訪問者様方のおかげです。

ちなみにPVベースですとアクセスいただいた数は累計で約39,000です。

今後もわかりやすい記事から、何が言いてぇんだ?的な記事まで、自分の能力の範囲ではありますが、ヴァラエティーに富んだ内容を書いていけたらと思います。

ありがとうございました。

ワンマン始皇帝

2009-09-27 00:04:01 | Weblog
こんな記事がありました。

秦の始皇帝は毎日30万字を読んでいた?―中国誌
9月26日9時19分配信 Record China

22日、中国誌・博覧群書は秦漢史の研究者として知られる王子今氏の寄稿を掲載した。王氏は秦の始皇帝は毎日約30万字を読む習慣があったと論じている。

2009年9月22日、中国誌・博覧群書は秦漢史の研究者として知られる王子今(ワン・ズージン)氏の寄稿を掲載した。王氏は秦の始皇帝は毎日約30万字を読む習慣があったと論じている。網易歴史が伝えた。

秦の始皇帝は中国を初めて統一した皇帝。陝西省西安市にある始皇帝陵や兵馬俑は有名な世界遺産だ。兵馬俑は6月から新たな発掘作業を始めており、国内外の多くの観光客を惹きつけている。

秦(紀元前778年―同206年)の時代、文字は竹簡(ちくかん)という竹で出来た札に書かれていた。前漢時代の歴史家、司馬遷(しばせん)の著書「史記」には、「始皇帝は事の大小に関わらず、すべて自ら決裁していた」とあるほか、1日に閲覧する量を決め、それが終わるまでは眠りにつかなかったとされている。「史記」に記されたその1日の量は「竹簡120斤(現在の約30kgに相当)」。

王氏はこれを台湾の学者が発表した論文を参照にして計算した。その論文によれば、当時の竹簡の平均的な重さは51kgで1枚につき38文字前後、合わせて53万文字前後が書かれていた。これに照らし合わせれば、「竹簡120斤」には約31万文字が書かれていた計算になるという。

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まぁ「白髪三千丈(9km)」のお国なので、そのまま額面どおり受け取っていいものかわかりかねますが、どれぐらいの速度で読んだら日当たり31万文字を達成できるのでしょうか?

まずは31万文字という数字を具合的なイメージにする必要があります。
小説とか少し軽めの学術書が書かれた文庫本は、段落替えとかタイトル部分など空白もかなりあるので一概には言えませんが、多めに見積もって大体1頁600文字くらい印刷されていると思います。
そうなると

310,000文字÷600文字=516.666・・・

ですから、比較的薄めの250頁くらいの文庫本2冊強です。私は出張で電車での移動がある場合に、その時間は正直暇なので文庫本を3冊くらい購入して持ち込みます。小説であったりエッセイであったりいろいろですが、内容がおもしろければ3時間くらいで2冊読んでしまうこともあります。ただしこれは興味を持って読めれば。ということとそれほど集中せず内容がある程度わかればいい、ぐらいの読み方を仮定したものです。
しかしいずれにしても文庫本520頁弱を毎日読むのだ。とイメージすれば人間の能力として「超人的」と言うほどでは無いと思いませんか?

ただし、始皇帝の読んだ31万文字は、未来からやってきた不思議美少女と何故か次々と女子がほれてくれるふざけた男子高校生を描いたラノベや、お父さんの大好きな人妻の体験を描いた官能小説ではありません。企業で言えば稟議書や申請書の類ですから、決して楽しい内容の物ではありませんし、事の重大性の大小はあれどそれなりに集中して読む必要があります。

始皇帝が一日24時間をどう時間配分をして過ごしたかはわかりませんが、いくら一代で中国統一を成し遂げた偉人とは言え一日4時間くらいは眠ったとして、起きて活動しているのは毎日20時間。食事はよくグルメ雑誌とかでも「始皇帝の晩餐」とかで大袈裟に紹介されている、豪華絢爛な満漢全席を本当に食べていたとしたら、どんなに急いで食べても三食で2時間くらいは要したことでしょう。
それに入浴や用便もありますからそれにやはり2時間くらい。
となると趣味と業務に使えるのは16時間といったところでしょうか?他国からの要人の接待や、「郡県制」をしいていたことからも地方への視察などの公務や、個人的な趣味に半分くらい使ったと考えると、平均8時間で来る日も来る日も稟議決裁をしていたと仮定します。

そうすると文書を読む速度は

310,000文字÷(8時間×3,600秒)=10.7638・・・文字/秒

何かピンと来ませんねぇ・・・。

実際のところ、文書を読むスピードは一定の時間内に単純に読める文字数で測ることは難しいと思います。そもそも表意文字である漢字を繋げた漢文や、同じく表意文字である漢字と、ひらがな・カタカナの混在する日本語と、名詞と動詞を繋げた英語や独語などとでは読み方も異なります。一つ言えることはどんな言語であっても文字を一つ一つ読んでいけば、文書の意味がわかるという物では無く、いかに重要な単語や表現を見落とさず、逆にそこだけにポイントを絞って読むか。ということでは無いかと思います。

ですから当時の秦においては、始皇帝の読む文書は書式や形式がかなり細かく規程されていたのではないでしょうか?
まず文書を予算申請とか、制度改訂とか、人材採用とかの内容によって分類する。
そしてタイトルは内容の重点を明確にさせたものとし、更に内容の要約を予算などと共に5W1Hで前文に記載させる。
大体のものはここまで読めば概ね決裁できるレベルになっており、必要に応じて詳細文や添付資料を確認するようにしていたと考えられないでしょうか?

このあたりは現代でも一般的な企業や役所であればごく当たり前の制度ですし、漢字を標準化し、貨幣の統一を行うなど先見性のあった始皇帝です。この程度の制度運用はされていたと思います。そうで無ければダラダラとただ長いだけで要点の無い文書を、本当に集中して毎日毎日文庫本2冊分も読めたとは思えないです。

それより気になるのは「~事の大小に関わらず、すべて自ら決裁し~」という記述ですね。

その辺の企業と一大国家を同一には論じることはできませんが、企業では業績の低迷や外部環境の変動に応じて、企業トップの決裁範囲を広げたり狭めたりすることはよく行われます。
従来は予算1,000万円以上は社長決裁。それ未満なら担当役員決裁としていたものを、社長決裁が500万円以上からになる。とかの制度変更です。
しかし、中にはワンマン経営者が例え10万円の支出でも、すべて目を通す。何ていう例も散見されます。
企業環境が厳しい中での処置ならともかく、通常時までそういった経営体制を貫くことで、経営体制の活性化が遅れてしまい、結果として後継者難とか、新規事業や問題点への迅速な対応遅れなどで企業業績悪化に陥ってしまう例も無いわけではありません。

後年、不老不死を夢見てありもしない蓬莱国の発見に巨額の投資を続けた始皇帝は、ごく一部の側近の意見のみ聞く、などで真の中央集権国家制度の整備や、後継者作りに失敗して大国秦は崩壊します。

来る日も来る日も行政文書や外交文書に目を通し、徹底した「私企業」管理で国家を率いた始皇帝は、あの世で何を思うのでしょうか?

コードは作曲と切っても切れない関係か?(2)

2009-09-25 00:04:22 | 音楽(全般)
ジャズを演奏するために考案され、今や軽音楽のみならずクラシックを演奏したり、アレンジしたりするにも必須とも言える「コード・ネーム(コード)」の知識。

しかし個人的にはコードに縛られて自分の作曲や編曲に紆余曲折が生じたことも、ごく個人的な経験の範疇ですが書かなくてはいけないな。と考えています。

私は元々ジャズが演奏したくて音楽を始めました。中学でブラバンに入ったのも管楽器でルパンⅢ世のサントラみたいな曲をやりたかったのが理由です。
当然、ジャズをかじればコードのワーキングは避けて通れませんので、来る日も来る日もピアノの前で「枯葉」や「Fly me to the moon」のようなスタンダードから、少し年齢が進むとマイルス(実際はウェイン・ショーターやビル・エヴァンス)の曲などもコードの分析をしたりしました。まぁ飽くまで10代のガキの遊びですが・・・。
いっぱしにコードを読めるようになり、リードシートがあれば即、演奏してアドリブもできる!と思い上がっていた私は、当然のように「コード」を動かして、「Avairable note scale」を対応させることでアレンジや作曲もしてきました。ホントごく最近まではその方法が唯一無二だと考えていました。

コード進行を考え(もしくはパクり)、それに対応するAvairable note scaleを使ってメロディーを創って作曲したり、アレンジをしたりする一番のメリットは、この手法がジャズやロック、フュージョンなどの「アドリブ=即興での作曲行為」を行うための手法としてすでに十二分に検証し確立されているため、極端な非和声音を使わなければ聴覚的に大きくはずれてしまう音使いをするリスクが少なく、慣れれば楽器を鳴らして一々確認しなくてもとりあえず1曲完成!となる手軽さです。
もちろんそれなりに相対音感やある程度の慣れは必要ですが・・・。

そんな私が考え方を変えなくてはいけなくなったのは、実は結構最近のことだったりします。

つづく・・・

コードは作曲と切っても切れない関係か?(1)

2009-09-23 00:07:54 | 音楽(全般)
コード・ネーム。

いや、あのよくスパイ映画で出てくる「007」とか、「ジャッカル」とかの暗号じゃ無くて、ジャズやロックを演奏する上で避けて通れない記号です。
英語では「chord symbol」と呼ぶそうですが、日本では「コード・ネーム」もしくは単に「コード」と言えば、音楽をやっている人には通じますね。
「コード・ネームなんてさっぱりわからないぜ!」と言う方は、申し訳ありませんが「簡単コード入門」みたいな書籍はたくさん出版されていますし、ネットでも調べられるので、よろしくご確認ください。いつかコードの仕組みや組み合わせについても記事を書ければとは思っていますが。

コードはジャズの始祖と呼ばれるジェリー・ロール・モートンによって考案されました。ちなみに映画「海の上のピアニスト」で、ティム・ロス演じる主人公にピアノ勝負を挑む黒人のおっさんは、ジェリー・ロール・モートンがモデルです。映画の中でも語られますが14歳から売春宿でピアノを演奏し即興の腕を磨いた人物です。
売春宿に来るような客を相手にするのですから、紳士的な客など希少なわけで、少しでも萎えるような演奏や、自分のリズムに合わない演奏をするとナイフや拳銃ですごまれたことでしょう。
客も恐らく時間制限が設定されていて、少しでも延長すると怖いおにいさんが「お客さん、時間っすよ~」と部屋に入ってくるし、お互いが命がけであったと思います(笑。

ジェリー・ロール・モートンは演奏家としても一流であったのですが、それ以上に作曲家であったので、自身が率いるバンドに、自作曲を演奏できるレベルまで理解させる必要があります。しかしメンバー全員がヨーロッパ音楽で使われる楽譜をスラスラ読めるわけでも無いので、試行錯誤した上でコードを考案したのでは無いでしょうか?憶測ですが・・・。
コードが読めれば、メロディーの上にコードが書き込まれた楽譜(リードシート)だけでとりあえず演奏が可能です。ジャズ演奏に関するある程度の技術や知識を習得していれば、アドリブをつなぎながらセッションもできます。
更にはいろいろなスタンダード・ナンバーと呼ばれる、ジャズやポップスで定番となっている曲のコード進行を覚えていくことで、少しづつですがコードをいろいろアレンジして、演奏に広がりを持たせることもでき(リハーモナイズ)、それが編曲や作曲の技術に活用することもまったく無理な話ではありません。

という事でジャズから生まれた魔法の記号「コード」のいいとこばかり書きましたが、実は個人的にはコードに縛られて自分の作曲や編曲に紆余曲折が生じたことも、ごく個人的な経験の範疇ですが書かなくてはいけないな。と考えています。

つづく・・・

「温もり」を感じたい!マジで・・・

2009-09-20 17:10:19 | 音楽(DTM)
今回のE-Windのテーマ指定は「温もり」・・・。前回の「失恋」からの続きですが、普通は失恋するとなかなか温もらんもんですが。

で、そのままストレートに表現せず、前回に引き続き少しひねってコミックの「トーマの心臓」をモティーフにしてみました。

組曲「トーマの心臓」より「ぼくの翼をあげる」

再掲になりますが「トーマの心臓」について少し。
漫画家「萩尾望都さん」の初期代表作で、雑誌『少女コミック』に1974年に連載された、と言いますからもう30年以上も前の作品です。

あらすじですが、以前に途中までこの場で書かせていただきましたので、よろしければまず以下をご一読ください。

「失恋」?!思い出したくもない!

ということで続きです。


学校の図書館で偶然見つけたトーマの詩を読んだエーリクは、トーマの死が事故では無く自殺であったこと。そしてそれはすべての愛から背を向け孤独に生きようとするユーリへの、トーマの純粋な愛であったことを察する。

ユーリに気持をつのらせるエーリクは、なおも頑なに愛を拒むユーリの心を少しづつ開かせていく。
そしてユーリがかつて悪魔的な儀式に参加し、自分の意思に反して神を冒涜するような行為をしてしまったことから、最早自分は神から愛されていないこと。そして人を愛する資格が無いと思い込んでしまっていることがわかる。

そんなユーリにエーリクは語りかける。

「君に天使の翼が無いことが問題なら、ぼくの翼をあげる」

・・・続く・・・

タイトルはこのエーリクの、精一杯の愛を込めたセリフから取りました。

編成は前回の「これがぼくの愛」とほぼ同じ
・弦楽隊(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)
・木管(フルート1、オーボエ1、クラリネット1、ファゴット1)
です。

今回も宗教観のようなものを表現したいと考えていますが、より根源的と言いますか、本来の音楽の発祥が「祈り」の言葉に抑揚が付いていった。と仮定して古い「旋法」を使って構築しました。

単に最近よくグレツキの交響曲3番を聴いているからだけだったりして・・・。

キーはイ長調ですが、ほぼ全編がイ音で始まるイオニア旋法を使っています。
ぱっと聴くとグレゴリオ聖歌のように聴こえていただけると狙いどおりかな。と思いますが、その分、盛り上がりが少なく弦と管の絡みでメリハリを付けることに腐心しました。

冒頭は部分的に嬰ヘ音で始まるエオリア旋法で旋律線を構築していますが、これが4声のカノンで始まります。
最初の1:30がカノンですが、その後は旋律線が複雑な声部を構成するコラールになります。メインの旋律は相変わらずイオニア旋法で創られていますが、絡む声部はそれだけではさすがに難しく、ところどころでイ音で始まるリディア旋法が混じるのは和声と、アイディアの限界の関係です(笑。

コラールから一転。木管が休止し弦だけによるカノンが2:45から始まり、それが木管にも受け継がれてカデンツに向けてかなり大掛かりな多声音楽が続きます。

ほぼ単一の旋法を使用することで、心の平穏とか魂の救済とかそういった「温もり」的なものを表現したかったわけですが、音楽的にはやはり非常に平坦になることと、終止感が出し切れませんでした。

家内からは「いつ終わったかわからない」と評価されました・・・。確かに知らないうちに終わってますよね?

だから終止感出すの大変なの!

今回は3部作とのことですので、最終作も「トーマの心臓」からテーマを選んで創作したいと思います。よろしければ次回もお聴きくださるとうれしいです。

発表会の準備しなきゃ!

2009-09-19 00:29:34 | 音楽(全般)
来年の4月か5月に発表会があります。

って、何の発表会かと申しますと、家内がピアノを教えている生徒さんたちの所謂「ピアノ発表会」です。
以前にこの場でも書かせていただいたのですが、この発表会は2年に1回の頻度で、家内とその学生時代のお友達との共同で開催しています。
家内はもっぱら大学の授業や個人で伴奏をするのがメインなので、生徒さんはほんの数人しか持っておりません。しかしせっかくピアノを習えば、お姫様のような格好をしてご両親やご祖父母に披露したいのが人情です。かと言って数人の生徒さんで会場代やらPA代やらを分担しては高コストなので、生徒さんをたくさん持たれている友人に混ぜてもらっているわけですね。

実は私は前々回、もうかれこれ3年前の開催のときに、一度だけ舞台で独奏ピアノを披露しています。自分の子供たちと連弾で舞台に上がったため、ついでに独奏もやっちゃえ!と勢いで出たのですが、これが結構、好評であったらしいのです。
前回、つまり去年の開催では出演しなかったら、生徒さんのお母様やら生徒さんやらが「なんで出ないの?」と聞いてこられて、それなら来年の発表会には出演しよっかなぁ・・・。と目論んでいます。

曲目ですが、前回出演した際はスペインの作曲家マニュエル・デ・ファリャの「火祭りの踊り」という、バレエ音楽のピアノ編曲版を弾きました。
今回は同じくスペインのエンリケ・グラナドスの「アンダルーサ」を予定していますが、ただ比較的短い尺の曲なので、もう一曲は自作を演奏しようかなぁ。なんて考えています。

割と最近まで「ナポリの市場」という曲を演奏するつもりでいたのですが、半年位前にE-Windでも公開させていただいた「Riverside walkway」という曲に心変わりしてしまいました。理由は

・自分で言うのも何ですが、演奏技術的にはどちらも結構たいへんな曲です。
・聴きごたえの面では、シンコペーションの強いリズムが印象的な分「ナポリ~」のような気がします。
・ただ「Riverside~」のほうが小粋と申しますか、少し大人な雰囲気があります。

結論を申し上げれば、カップリングする「アンダルーサ」が結構リズムがうねるような曲で印象が強いので、穏やかな曲調の「Riverside~」が合うかな?ぐらいの理由です。

今日からさっそく楽譜を書いていきます。元はmidiで打ってあるだけで、しかもピアノ独奏の場合、私はトラックを4つ使うので、さすがにこれを見ながら演奏するのはきつくて、手書き楽譜で対応しようと思っています。
ただ昔から楽譜を書くのが嫌いで嫌いで・・・。勤務先から帰宅してから書くということもありますが、せいぜい一日10小節くらいしか書く気がしません。これがmidi打ちだと早いんですけどねぇ。
100小節ちょっとあるんで2週間くらいかかる計算ですが、そろそろ練習もしなくてはいけないのでがんばらねば。

ところで、楽器屋さんとかに行けばひょっとして販売されているかもしれませんが、一般の五線紙って大譜表を書くには少し不便です。五線と五線の間の余白が均一なんですよね。個人的には二段おきに余白が少し広い方が大譜表を書くには都合が良いので、今回はエクセルで罫線を引いて自作した五線紙を印刷しました(笑。

スキャナーを持っていないのでできるかどうかよくわからないのですが、ご訪問くださる方々からリクエストが多ければ、手書きで見難いかもしれませんが完成した楽譜はどっかにアップしようかと考えています。

オーディオプレイヤー買いました(遅!

2009-09-15 00:09:51 | 音楽(全般)
実はようやくポータブルのデジタルオーディオプレーヤーを購入したevnc_chckです。

DTMや画像処理をするわけでも無いのに純粋に仕事でmacを使う友人が、「i-Pod」を使って音楽の再生や個人の情報管理をしているのを見たのがもう3年くらい前のこと。
その後も次々とデジタルオーディオプレーヤーが大容量化、高機能化していく中で、「そろそろ買おうっかなぁ・・・」とか考えながら、なんとなく時間が経ってしまっていました。

最近、忙しくってE-Windの他のアーティストさんの作品を聴いたり、自分の創作の参考になるCDを聴いたりする時間が全然取れず、「ここはいっちょオーディオプレーヤーを導入して、通勤時間とかに鑑賞しよう」と思い立ちました。

ただ何を買うのがいいのか?何せ「大きいことはいいことだ」世代ですので、「1GB」とか「4GB」とか書かれているより、「32GB」とかのほうが何かお得に感じます。「大は小を兼ねる」とも言います。

迷ったときにはやはり自分の求める目的から逆算するのが一番です。

オーディオプレーヤーを販売する各社ともに宣伝の謳い文句はいろいろですが、音声データだけで無く画像データや映像データまで保存して閲覧できるような最高級機器は、正直、私にはどっちでもいい機能です。こんなちっこい羊羹の切断面ぐらいの大きさの液晶画面で見ても、臨場感も無ければ楽しくもありません

子供たちがDSやPSPでチマチマ遊んでいるのを見ているだけで頭痛がしそうです。

そうなると私の目的とするスペックは、音声データさえ聴くことができれば十分だということになり、羊羹ディスプレイは不要です。

音声だけとは言え収録できる容量は大きければ大きいほど曲数をたくさん持ち運べます。これはデジタルの強みですが、自分はどれぐらいの曲を持ち歩きたいのでしょうか?
何が標準なのかわかりませんが、これらのプレーヤーに保存する曲の数は大体1曲4MBくらいで換算しているようです。まぁ例えば32GBもあると概ね8,000曲も保存して持ち歩けることになります。凄い!と思ったものの、ふと考えます。

昔々のカセット・テープで持ち歩いていた時代から、CDやらMDやらいろいろなメディアが登場しましたが、結局サイズの小さなHDDやフラッシュメモリーにデジタルで保存してしまうアイディアには、利便性という面ではどうにも適いません。
今更ではありますが、ガチャガチャとメディアを持ち歩かなくてもいいことこそが、デジタルオーディオプレーヤーの利点であって、そうなれば殆どの方が
「家にあるCDを全部持ち歩けたらいいのに」
と壮大な希望を持つんではないでしょうか?

そこでちょっと計算。8,000曲持ち歩いたとして、ポップスなどのように1曲が3分前後のものや、クラシックのように1曲が10分超すようなものも平均して、CD1枚に10曲くらい収録されているとしたら800枚のCDを持ち歩ける計算です。やっぱり凄いじゃん!デジタル。本来なら800枚のCDなんて、台車かリヤカーでも無いと持ち運べませんぜ。
それじゃぁ私が所有しているCDは、と・・・。
ん?多分1,500枚くらい・・・。
しかも今後も年間50枚くらいは増えていくだろうし・・・。

ダメじゃん。半分くらいしか持てないじゃん。どれをデジタルにするか選ぶだけでも大変じゃん。

と言う事で飽きたら入れ替えればいいし、そんなに容量はいらないや。
2GBのフラッシュメモリーの安いやつで十分という結論になったのでありました。2GBあればCD50枚も持ち歩けるぞ!

とりあえず今は

自作曲全部とE-Windの他のアーティストさんのお気に入り曲
ビル・エヴァンスの「Portrait in Jazz」
マイルス・ディヴィスの「Star People」
マイルス・ディヴィスの「Miles in Berlin」
ジョン・コルトレーンの「Blue Train」
チック・コリアの「Now He Sings,Now He Sobs」
ヘンリコ・グレツキの「交響曲3番」
レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォネッタ全曲」
ヴィトルド・ルトスワフスキーの「管弦楽のためのコンチェルト全曲」
アントン・ルビンステインの「ピアノ協奏曲4番」
ジキスムント・タールベルクの「ピアノ協奏曲」
J.Sバッハの「無伴奏チェロ組曲全曲(CD2枚組)」「ゴルトベルク変奏曲全曲」「半音階幻想曲とフーガ」「イタリア協奏曲」「平均律クラヴィア第1、2集全曲(CD3枚組)」「インヴェンションとシンフォニア全曲」「マタイ受難曲全曲(CD3枚組)」


これだけ入れてますが、もう容量は半分以下になってしまいました。シベリウスとかショスタコヴィッチとかチック・コリアとかジョー・ヘンダーソンとか・・・他にもいろいろ入れたいんですが、この調子だとあとせいぜいCD20枚分くらいですかね?

意外と小さかったかも・・・?にしてもバッハ多いな。

ムカつくカミナリさま

2009-09-13 00:07:00 | Weblog
先日、家族でたまには外食しようや。ということで昼食時間帯に、近所の「CASA」というレンストランに行って来ました。

ご存知かもしれませんが、まぁ所謂ところの「洋食」を提供するファミレスですかね。

ハンバ-グやらトンカツやらを注文し、ひとしきり食事をしますとそろそろ出るものを出さねば。と私はトイレに立ちました。
この手の店ではよくある配置ですが、入り口を入ったところにトイレがあります。用を足そうと扉に手をかけますと先客が入っているようで、錠のところに赤いマークが見えます。
仕方なく空くのを待つことにしました。

そのトイレの入り口の向かいには公衆電話が置かれていました。最近では携帯電話がごく当たり前に普及しているので、公衆電話なんて誰も使わないだろうな・・・。なんてとりとめのないことを考えておりますと・・・

来ましたよ。高木ブー!

がカミナリさんに扮したときにそっくりのおばちゃんが。

「ケイタイなんて小難しいもんはわからんよ!」
といったところでしょうか?公衆電話に今ではコレクションすら下火のテレカを入れて、電話をかけ始めました。

「ああ、わたしだけどね。今さぁ、あの店に来てるんだよ。」
相手はご家族かご友人かわかりかねますが、さすがに「あの店」ではわからないらしく、このカミナリさま・・・じゃない。おばさまは早口で店の説明を始めました。

「ほらほら。あの大通りから少し入ったところにあるレストラン。え?だからレストラン。ご飯食べるとこ!」
まぁ、レストランは食事するところですね。確かに・・・。
「わからない?なんで?だからあの白い建物」
白い建物って、あんた。メンタル・クリニックじゃないんだからさぁ。

あまりにそのじれったい会話に、笑いをこらえながら思わず眺めておりますと、そのカーリー・ヘア(風のパーマ)のあばちゃん。あろうことか受話器の会話口を右手で押さえると、私に話しかけてきました。
「ちょっと、お兄さん。この店、何て言ったっけね。名前。」

んなもん店員に聞けよ。と思ったりしましたが、一応、紳士をきどって慇懃に答えました。
「CASAと言います。」

・・・。おばちゃん。無反応。

「えぇと、CASAと言うお店ですよ。」

ちょっと声が小さかったかな?と思い少し音量を上げて答えました。
しかしそれでもおばちゃんは電池が切れたみたいに静止し、虚ろな瞳で私を見つめています。背後霊でも見えるのか?

ややあっておばちゃま。受話器に口を戻すとまた話始めました。
「ちょっと聞いたけど何言ってるかわからないんだけどね。とにかく通りの奥の白い店よ。白い。」

ちょっと待てぃ!人に物を聞いといてその言い草はねぇだろうが・・・。

こちらの精一杯のメンチも気にせず、有意義に会話を終えることができたのか、おばちゃんは満足げに電話を切ると立ち去って行きました。


尿意も忘れてムカつくevnc_chckでした。

フランク・ザッパ風の曲を創ってみましょう(最終回)

2009-09-11 00:01:46 | 音楽(DTM)
誰にも顧みられず、また誰も望んでいませんが「ロックにあってロックを超えたカリスマ」フランク・ザッパ風の音楽を創るべく、いろいろ考察しようという自己満足記事を連載しています。

前回まででメロディー、ベース、ハーモニーはこれで出来上がりました。これでも十分に曲としては成り立ちますが、アクセントとインパクトを明確にし、エネルギッシュでリズミカルな音楽にするためにも打楽器の存在は無視できません。

今回は最終回となりますがフランク・ザッパ風の打楽器アプローチを考察いたします。

◎マリンバとドラムスの強力パーカッションでガチャガチャさせよう!
ザッパは現代音楽が大好きでしたのでドラムスも単にリズムを刻むと言うよりも、旋律と付かず離れずでなぞるようなパターンをよく編成しています。そしてその要求に対応できる技巧的で手数の多いドラマーを採用しています。
これを留意してドラムスはひたすらガチャガチャと土着的に、そして普段は裏方に徹していることを忘れさせましょう。

ドラマーにもよるのですがフュージョンでよく聴かれるパラディドルやダブルストロークを多用し、高度なルーディメンツを組み合わせたようなドラムスでは無く、フラムとシングルストロークの多いパワフルなプレイが多く、また全体の雰囲気からもそのほうが「らしい」と思います。実はフュージョン男の私はそういうドラムスを打ち込むの苦手ですが・・・。

「フラムとシングルストロークの多いパワフルで旋律と付かず離れずでなぞるようなドラムス」

またマリンバは必ずと言っていいほど入っていて、たいていはメロディーのトップとユニゾンです。

さぁ、ここまでのポイントを押さえればもうザッパも鼻血を出すような音楽を創造する力があなたには宿ったはずです。ハイ?何ですか!どこかの胡散臭い教祖・・・。ちょ・・・、お、怒りますよ!

以上 言葉で説明してもなかなかご理解は難しいかと思いますので、私の趣味満開で「私見的ザッパ音楽」を創ってみました。ご参考とはおこがましいですが是非お聴きください。

「The weasel on the peak milks the concern」