「勘竹庵」evnc_chckの音楽やそれ以外

音楽の話題が中心になるかもしれませんが日々の雑感など書いていけたらと思っています。

コードは作曲と切っても切れない関係か?(最終回)

2009-10-09 00:06:24 | 音楽(全般)
ジャズを演奏するために考案され、今や軽音楽のみならずクラシックを演奏したり、アレンジしたりするにも必須とも言える「コード・ネーム(コード)」の知識。

しかしジャズから生まれた魔法の記号「コード」に縛られて自分の作曲や編曲に紆余曲折が生じたことも、ごく個人的な経験の範疇ですが書かなくてはいけないな。と考えています。

三月ウサギさんが開催された、「第3回オーケストラアレンジ勉強会」に参加した私に、思ってもみなかったコメントがgratinさんから来ました。

「全体的なつくりにやはりバンドアレンジのバックグラウンドを強く感じました。~中略~ベースもかなり動くのですが、それがアンサンブルに適するかどうかと問題」

低音パートにはルート音を鳴らさせておけばいい。と中途半端な認識であった私には、どうしていいのかまったくノーアイディアでした。

自分が得意とするジャズやポップスなどの軽音楽は「西洋(ヨーロッパ)音楽の範疇」に含まれます。そこで、この西洋(ヨーロッパ)の音楽の成り立ちをごくかいつまんだ考察ではありますが、考えていきたいと思いました。

初期バロックの時代に西洋、特にイタリアで「メロディー」と「低音=バス声部」を重視する音楽が現れました。

これはそんなに難しいことでは無いです。
初期バロックより前の時代、ルネサンスの音楽は「多声音楽」が発達したことは前回、説明させていただいたとおりです。しかし不快な響きが生じないように厳格なルールの下で音楽が創られていました。このルールが「対位法」特に「厳格対位法」と呼ばれるものです。
それに対して演奏者や聴衆の感情を直接的に表現するような旋律が好まれると、その旋律線を和声的に補助するために低音の動きが重要なパートとして楽譜に明確に書き込まれ、旋律と低音の声部を埋める和音が数字で表記されるようになります。「モノディー形式」と呼ばれる音楽スタイルですが、後にバロック音楽で一般に使われる「通奏低音」の原点のようなものと言っていいでしょうか。

ちなみに声楽を勉強されると必ず「イタリアン・ソング」を唄わされると思います。学習中はなかなか興味も持てないのですが、その曲集のいくつかはこの時代の物で、特に有名なところではカッチーニの「アマリリ」などがあります。

こうして「対位法」と「モノディー形式」は相互に技術的な交流をしながら発展します。「旋律」を重視しつつ、複数の声部が終止へ向けて解決して行く「カデンツァ」の考えが研究され、結果としてこの時代には多くの作曲家の作品で聴かれる声部の動きは、「古典派」音楽で昇華する「機能和声」に影響を与えたのです。

現代の音楽であるジャズやロックなどで使われるコードや、その進行(コード・プログレッション)は機能和声から派生した、いや機能和声そのものと言えます。

少々無理やり感がありますが、こうして順を追って行くと

モノフォニックな音楽→ポリフォニックな音楽(旋法を使用して音数を制限)
→対位法とモノディー形式が相互に発展
→独奏(独唱)or合奏(合唱)&通奏低音の初期の協奏曲、オペラなど
→和声音楽(対位法を取り入れながら)が発展=交響曲や古典派以降のオペラなど

という流の中で、音楽はクラシカルな技法を簡素化しながら、ジャズ・ロック・ポップスなど、より多様化を進め、極論ですが誰もが気軽にコードを使って、音楽を創ったり演奏したりできるようになったことが理解できます。

ただ古典派音楽が基本は三和音であるのに対し、軽音楽は四和音(一般に7thコードと呼ばれるもの)や、場合によっては更に拡張された音(テンションとかトライアドなど)を含む和音が使われることが多いのが違いと言えば違いです。

受精からの細胞分裂を経た胎児が、母胎内で多用な形態への変化を繰り返しながら成長することを観察し、海生生物から陸生生物への進化の流を仮定していったのに似て、何が現在のポピュラーな音楽の成り立ちの元となり、何が寄与してきたのか?知識や理解の差は大なり小なりあれど、音楽の創作する過程でふと作業の手を止め、今まさに打ち込んでいるコードの積み上げ方は真に最良のものなのか?割り当てた音域での各楽器の役割(声部としての動きなど)は機能的であるか?持ちえる知識を動員して考える礎になるのではないでしょうか?

コードは作曲と切っても切れない関係か?(5)

2009-10-05 00:04:49 | 音楽(全般)
ジャズを演奏するために考案され、今や軽音楽のみならずクラシックを演奏したり、アレンジしたりするにも必須とも言える「コード・ネーム(コード)」の知識。

しかしジャズから生まれた魔法の記号「コード」に縛られて自分の作曲や編曲に紆余曲折が生じたことも、ごく個人的な経験の範疇ですが書かなくてはいけないな。と考えています。

オケ曲を創ったことも無い私でしたが、三月ウサギさんが開催された、「第3回オーケストラアレンジ勉強会」に参加し、根拠の無い自信でアレンジを行い「こんなもんだ」と思って投稿した私に思ってもみなかったコメントがgratinさんから来ました。

「全体的なつくりにやはりバンドアレンジのバックグラウンドを強く感じました。~中略~ベースもかなり動くのですが、それがアンサンブルに適するかどうかと問題」

しかしながら大して勉強もしていない私にはこれをどう解決したらよいか?まったくノー・アイディアな中、ここは一つ西洋音楽の成り立ちを順番に理解していくのが実は早道なのでは?という考えにたどりつきました。

ジャズやポップスなどの軽音楽は、西洋(ヨーロッパ)音楽の範疇に含まれることには、どなたも異論も違和感も無いものと思います。

そこで、この西洋(ヨーロッパ)の音楽の成り立ちをごくかいつまんだ考察ではありますが、考えていきたいと思いました。

以前にも似たようなことを書かせていただいていて少しくどくなってしまいますが、音楽は恐らく人間の祈りや、自分たちの先祖の言い伝えなどを語っていたものに抑揚がついていき、やがて民族として心地よいと認識できる音の高低や音の長さが標準化したのでは無いかと思います。この段階の音楽が所謂「単声音楽(モノフォニー)」と呼ばれる音楽です。
10年ほど前でしょうか?癒しブームに乗ってヨーロッパの古い単声音楽である「グレゴリオ聖歌」のCDがベストセラーになりました。
これを聴かれた方にはモノフォニックな音楽とはどんな物か感覚的にわかる方も多いと思います。

やがて祈りにしても物語にしても、単独の声=声部≒旋律だけでは単調で、伝えられる情報が少ないと考えたのでしょう。複数の声を一つの音楽の中で使うことが考えられます。これが「多声音楽(ポリフォニー)」の始まりですが、この段階では使う音の数を限定することで、不快な響きが発生しない工夫がされています。つまり旋法の考え方ですが、このあたりはすでに何度か書かせていただいている上に、今回の本旨では無いので省略させてください。

この「複数の声部を持った音楽」という発想が、ハーモニーとなり現在のコードへと繋がっていくわけですが、その前に重要な過程としまして初期バロックの時代に「メロディー」と「低音=バス声部」を重視する音楽が現れたことが挙げられます。

つづく・・・

コードは作曲と切っても切れない関係か?(4)

2009-10-02 00:03:08 | 音楽(全般)
ジャズを演奏するために考案され、今や軽音楽のみならずクラシックを演奏したり、アレンジしたりするにも必須とも言える「コード・ネーム(コード)」の知識。

しかしジャズから生まれた魔法の記号「コード」に縛られて自分の作曲や編曲に紆余曲折が生じたことも、ごく個人的な経験の範疇ですが書かなくてはいけないな。と考えています。

ごく最近まではジャズの「アドリブ=即興での作曲行為」を応用する方法が、作曲・編曲の方法としては唯一無二だと考えていた私は、三月ウサギさんが開催された、「第3回オーケストラアレンジ勉強会」に参加したことで考え方を変えなくてはいけなくなりました。

元々クラシックは好きでマーラーとか聴いてましたし、ブラバンやビッグバンドの経験もあるので
「やってみれば何とかなるだろう」
という根拠の無い自負があったのはある意味良かったと思っています。
金管も煌びやかなアレンジが出来上がり、こんなもんだと思って投稿した私に思ってもみなかったコメントが来ました。モティーフの作者gratinさんのコメントでした。

「全体的なつくりにやはりバンドアレンジのバックグラウンドを強く感じました。~中略~ベースもかなり動くのですが、それがアンサンブルに適するかどうかと問題」

あまりにコードを使った演奏、アレンジ、作曲に慣れすぎていた私は、最低音はコードのルートをあてはめておけばいいと先入観を持っていたのでした。実際、そういう使われ方も多いことは多いのですが、軽音楽のバンドのように「音域=パート」という考えはオケにはあてはまりません。オケは「弦パート」「木管パート」といった具合に「音色で分類」し、その音色の音域での混ぜ方が重視されるものですが、それが理解できていなかったのです。

他の参加者さんはそこはあまり重視したコメントはされていませんでしたが、目からウロコだった私はもう気になって仕方ありません。
そこでクラシックのオケ曲のスコアを少し読んでみることにしました。大きく分けると低音パートが全体を和声的に支えている「オルガン的」な部分もあれば、旋律的に動いている部分もあります。

これが同じオケ編成でもハンス・ジマーなどに代表される「サントラ・オケ」だと、実にバンド的な響きを持っています。低音はシンセサイザーやピアノ、打楽器にまかせてしまい、弦や管はユニゾンとかごく薄くハモった状態で旋律を奏でたり、すこしリズミカルなリフを奏でたりする程度だったりします。まさにバンド・アンサンブル的なアレンジが施されています。

結局、私のその段階のオケ・アレンジは、楽器をどっさりと豪華に重ねている点はクラシックの後期ロマン派的で、低音声部でルート音が素直に動いている点はサントラ・オケのようであったわけで、そこをわかって配分しているならともかく、実に勘だけで作業していた中途半端なものであることがわかってきました。

しかしながら大して勉強もしていない私にはこれをどう解決したらよいか?まったくノー・アイディアでした。

つづく・・・

コードは作曲と切っても切れない関係か?(3)

2009-09-30 00:02:09 | 音楽(全般)
ジャズを演奏するために考案され、今や軽音楽のみならずクラシックを演奏したり、アレンジしたりするにも必須とも言える「コード・ネーム(コード)」の知識。

しかしジャズから生まれた魔法の記号「コード」に縛られて自分の作曲や編曲に紆余曲折が生じたことも、ごく個人的な経験の範疇ですが書かなくてはいけないな。と考えています。

ジャズが演奏したくて音楽を始めた私は、当然のことながら「コード」を覚え、展開させてプレイし、アドリブを乗せたりアレンジをしたりする。この延長で作曲も始めました。
ごく最近まではジャズの「アドリブ=即興での作曲行為」を作曲や編曲応用する方法が、自身としては唯一無二だと考えていました。

そんな私が考え方を変えなくてはいけなくなったのは、実は結構最近のことだったりします。

改めて申しますが、DTMを始めた当初はフュージョンをメインに創っていました。16ビートのドラムスをリズムの核にして、リズムと和声の両面からベースとギターがかぶさる。メロディーはエレピやシンセ、サックスなどにリードさせる。あとは音の薄いところはストリングスやパッド系のシンセを「ボワーッ」とバックに入れて、ほい一丁上がり!でした。
しかしさすがにフュージョンばっかり創っていてもすぐに飽きがきてしまいます。元々飽きっぽいので3、4曲でっち上げたらすぐに他ジャンルの曲が創りたくなってしまい、それでも「プログレ」や「ファンク」など同じバンド編成の曲で何とか満足させてはいたのでした。
そんなある日、ネットで自作曲を公開できる場が結構存在することがわかり、今でもお世話になっているE-Windで公開することにしました。フュージョンやジャズを中心に公開していたのですが、時代なのでしょうか?よくわかりませんがゲームのBGMに使われそうな壮大なオケ曲がかなり投稿されています。作曲技術の視点で聴くとそれほど難しいことをしているわけでも無さそうですが、自分がオケ編成というのはトライしたことも無く、機会が無いまま「ま、そのうちトライしてみるか・・・」といったスタンスでいました。

そしてついに「オケ曲を創作する機会」が巡って参りました。
やはりE-Windで懇意にしていただいている三月ウサギさんが、「第3回オーケストラアレンジ勉強会」を開催され、何の心の準備も無い私なのに衝動的に参加を申し出てしまったのです。題目は同じE-WIndで活動されているgratinさんの提供されたモティーフを、オーケストラ編成でアレンジするというものでした。

つづく・・・

コードは作曲と切っても切れない関係か?(2)

2009-09-25 00:04:22 | 音楽(全般)
ジャズを演奏するために考案され、今や軽音楽のみならずクラシックを演奏したり、アレンジしたりするにも必須とも言える「コード・ネーム(コード)」の知識。

しかし個人的にはコードに縛られて自分の作曲や編曲に紆余曲折が生じたことも、ごく個人的な経験の範疇ですが書かなくてはいけないな。と考えています。

私は元々ジャズが演奏したくて音楽を始めました。中学でブラバンに入ったのも管楽器でルパンⅢ世のサントラみたいな曲をやりたかったのが理由です。
当然、ジャズをかじればコードのワーキングは避けて通れませんので、来る日も来る日もピアノの前で「枯葉」や「Fly me to the moon」のようなスタンダードから、少し年齢が進むとマイルス(実際はウェイン・ショーターやビル・エヴァンス)の曲などもコードの分析をしたりしました。まぁ飽くまで10代のガキの遊びですが・・・。
いっぱしにコードを読めるようになり、リードシートがあれば即、演奏してアドリブもできる!と思い上がっていた私は、当然のように「コード」を動かして、「Avairable note scale」を対応させることでアレンジや作曲もしてきました。ホントごく最近まではその方法が唯一無二だと考えていました。

コード進行を考え(もしくはパクり)、それに対応するAvairable note scaleを使ってメロディーを創って作曲したり、アレンジをしたりする一番のメリットは、この手法がジャズやロック、フュージョンなどの「アドリブ=即興での作曲行為」を行うための手法としてすでに十二分に検証し確立されているため、極端な非和声音を使わなければ聴覚的に大きくはずれてしまう音使いをするリスクが少なく、慣れれば楽器を鳴らして一々確認しなくてもとりあえず1曲完成!となる手軽さです。
もちろんそれなりに相対音感やある程度の慣れは必要ですが・・・。

そんな私が考え方を変えなくてはいけなくなったのは、実は結構最近のことだったりします。

つづく・・・

コードは作曲と切っても切れない関係か?(1)

2009-09-23 00:07:54 | 音楽(全般)
コード・ネーム。

いや、あのよくスパイ映画で出てくる「007」とか、「ジャッカル」とかの暗号じゃ無くて、ジャズやロックを演奏する上で避けて通れない記号です。
英語では「chord symbol」と呼ぶそうですが、日本では「コード・ネーム」もしくは単に「コード」と言えば、音楽をやっている人には通じますね。
「コード・ネームなんてさっぱりわからないぜ!」と言う方は、申し訳ありませんが「簡単コード入門」みたいな書籍はたくさん出版されていますし、ネットでも調べられるので、よろしくご確認ください。いつかコードの仕組みや組み合わせについても記事を書ければとは思っていますが。

コードはジャズの始祖と呼ばれるジェリー・ロール・モートンによって考案されました。ちなみに映画「海の上のピアニスト」で、ティム・ロス演じる主人公にピアノ勝負を挑む黒人のおっさんは、ジェリー・ロール・モートンがモデルです。映画の中でも語られますが14歳から売春宿でピアノを演奏し即興の腕を磨いた人物です。
売春宿に来るような客を相手にするのですから、紳士的な客など希少なわけで、少しでも萎えるような演奏や、自分のリズムに合わない演奏をするとナイフや拳銃ですごまれたことでしょう。
客も恐らく時間制限が設定されていて、少しでも延長すると怖いおにいさんが「お客さん、時間っすよ~」と部屋に入ってくるし、お互いが命がけであったと思います(笑。

ジェリー・ロール・モートンは演奏家としても一流であったのですが、それ以上に作曲家であったので、自身が率いるバンドに、自作曲を演奏できるレベルまで理解させる必要があります。しかしメンバー全員がヨーロッパ音楽で使われる楽譜をスラスラ読めるわけでも無いので、試行錯誤した上でコードを考案したのでは無いでしょうか?憶測ですが・・・。
コードが読めれば、メロディーの上にコードが書き込まれた楽譜(リードシート)だけでとりあえず演奏が可能です。ジャズ演奏に関するある程度の技術や知識を習得していれば、アドリブをつなぎながらセッションもできます。
更にはいろいろなスタンダード・ナンバーと呼ばれる、ジャズやポップスで定番となっている曲のコード進行を覚えていくことで、少しづつですがコードをいろいろアレンジして、演奏に広がりを持たせることもでき(リハーモナイズ)、それが編曲や作曲の技術に活用することもまったく無理な話ではありません。

という事でジャズから生まれた魔法の記号「コード」のいいとこばかり書きましたが、実は個人的にはコードに縛られて自分の作曲や編曲に紆余曲折が生じたことも、ごく個人的な経験の範疇ですが書かなくてはいけないな。と考えています。

つづく・・・

発表会の準備しなきゃ!

2009-09-19 00:29:34 | 音楽(全般)
来年の4月か5月に発表会があります。

って、何の発表会かと申しますと、家内がピアノを教えている生徒さんたちの所謂「ピアノ発表会」です。
以前にこの場でも書かせていただいたのですが、この発表会は2年に1回の頻度で、家内とその学生時代のお友達との共同で開催しています。
家内はもっぱら大学の授業や個人で伴奏をするのがメインなので、生徒さんはほんの数人しか持っておりません。しかしせっかくピアノを習えば、お姫様のような格好をしてご両親やご祖父母に披露したいのが人情です。かと言って数人の生徒さんで会場代やらPA代やらを分担しては高コストなので、生徒さんをたくさん持たれている友人に混ぜてもらっているわけですね。

実は私は前々回、もうかれこれ3年前の開催のときに、一度だけ舞台で独奏ピアノを披露しています。自分の子供たちと連弾で舞台に上がったため、ついでに独奏もやっちゃえ!と勢いで出たのですが、これが結構、好評であったらしいのです。
前回、つまり去年の開催では出演しなかったら、生徒さんのお母様やら生徒さんやらが「なんで出ないの?」と聞いてこられて、それなら来年の発表会には出演しよっかなぁ・・・。と目論んでいます。

曲目ですが、前回出演した際はスペインの作曲家マニュエル・デ・ファリャの「火祭りの踊り」という、バレエ音楽のピアノ編曲版を弾きました。
今回は同じくスペインのエンリケ・グラナドスの「アンダルーサ」を予定していますが、ただ比較的短い尺の曲なので、もう一曲は自作を演奏しようかなぁ。なんて考えています。

割と最近まで「ナポリの市場」という曲を演奏するつもりでいたのですが、半年位前にE-Windでも公開させていただいた「Riverside walkway」という曲に心変わりしてしまいました。理由は

・自分で言うのも何ですが、演奏技術的にはどちらも結構たいへんな曲です。
・聴きごたえの面では、シンコペーションの強いリズムが印象的な分「ナポリ~」のような気がします。
・ただ「Riverside~」のほうが小粋と申しますか、少し大人な雰囲気があります。

結論を申し上げれば、カップリングする「アンダルーサ」が結構リズムがうねるような曲で印象が強いので、穏やかな曲調の「Riverside~」が合うかな?ぐらいの理由です。

今日からさっそく楽譜を書いていきます。元はmidiで打ってあるだけで、しかもピアノ独奏の場合、私はトラックを4つ使うので、さすがにこれを見ながら演奏するのはきつくて、手書き楽譜で対応しようと思っています。
ただ昔から楽譜を書くのが嫌いで嫌いで・・・。勤務先から帰宅してから書くということもありますが、せいぜい一日10小節くらいしか書く気がしません。これがmidi打ちだと早いんですけどねぇ。
100小節ちょっとあるんで2週間くらいかかる計算ですが、そろそろ練習もしなくてはいけないのでがんばらねば。

ところで、楽器屋さんとかに行けばひょっとして販売されているかもしれませんが、一般の五線紙って大譜表を書くには少し不便です。五線と五線の間の余白が均一なんですよね。個人的には二段おきに余白が少し広い方が大譜表を書くには都合が良いので、今回はエクセルで罫線を引いて自作した五線紙を印刷しました(笑。

スキャナーを持っていないのでできるかどうかよくわからないのですが、ご訪問くださる方々からリクエストが多ければ、手書きで見難いかもしれませんが完成した楽譜はどっかにアップしようかと考えています。

オーディオプレイヤー買いました(遅!

2009-09-15 00:09:51 | 音楽(全般)
実はようやくポータブルのデジタルオーディオプレーヤーを購入したevnc_chckです。

DTMや画像処理をするわけでも無いのに純粋に仕事でmacを使う友人が、「i-Pod」を使って音楽の再生や個人の情報管理をしているのを見たのがもう3年くらい前のこと。
その後も次々とデジタルオーディオプレーヤーが大容量化、高機能化していく中で、「そろそろ買おうっかなぁ・・・」とか考えながら、なんとなく時間が経ってしまっていました。

最近、忙しくってE-Windの他のアーティストさんの作品を聴いたり、自分の創作の参考になるCDを聴いたりする時間が全然取れず、「ここはいっちょオーディオプレーヤーを導入して、通勤時間とかに鑑賞しよう」と思い立ちました。

ただ何を買うのがいいのか?何せ「大きいことはいいことだ」世代ですので、「1GB」とか「4GB」とか書かれているより、「32GB」とかのほうが何かお得に感じます。「大は小を兼ねる」とも言います。

迷ったときにはやはり自分の求める目的から逆算するのが一番です。

オーディオプレーヤーを販売する各社ともに宣伝の謳い文句はいろいろですが、音声データだけで無く画像データや映像データまで保存して閲覧できるような最高級機器は、正直、私にはどっちでもいい機能です。こんなちっこい羊羹の切断面ぐらいの大きさの液晶画面で見ても、臨場感も無ければ楽しくもありません

子供たちがDSやPSPでチマチマ遊んでいるのを見ているだけで頭痛がしそうです。

そうなると私の目的とするスペックは、音声データさえ聴くことができれば十分だということになり、羊羹ディスプレイは不要です。

音声だけとは言え収録できる容量は大きければ大きいほど曲数をたくさん持ち運べます。これはデジタルの強みですが、自分はどれぐらいの曲を持ち歩きたいのでしょうか?
何が標準なのかわかりませんが、これらのプレーヤーに保存する曲の数は大体1曲4MBくらいで換算しているようです。まぁ例えば32GBもあると概ね8,000曲も保存して持ち歩けることになります。凄い!と思ったものの、ふと考えます。

昔々のカセット・テープで持ち歩いていた時代から、CDやらMDやらいろいろなメディアが登場しましたが、結局サイズの小さなHDDやフラッシュメモリーにデジタルで保存してしまうアイディアには、利便性という面ではどうにも適いません。
今更ではありますが、ガチャガチャとメディアを持ち歩かなくてもいいことこそが、デジタルオーディオプレーヤーの利点であって、そうなれば殆どの方が
「家にあるCDを全部持ち歩けたらいいのに」
と壮大な希望を持つんではないでしょうか?

そこでちょっと計算。8,000曲持ち歩いたとして、ポップスなどのように1曲が3分前後のものや、クラシックのように1曲が10分超すようなものも平均して、CD1枚に10曲くらい収録されているとしたら800枚のCDを持ち歩ける計算です。やっぱり凄いじゃん!デジタル。本来なら800枚のCDなんて、台車かリヤカーでも無いと持ち運べませんぜ。
それじゃぁ私が所有しているCDは、と・・・。
ん?多分1,500枚くらい・・・。
しかも今後も年間50枚くらいは増えていくだろうし・・・。

ダメじゃん。半分くらいしか持てないじゃん。どれをデジタルにするか選ぶだけでも大変じゃん。

と言う事で飽きたら入れ替えればいいし、そんなに容量はいらないや。
2GBのフラッシュメモリーの安いやつで十分という結論になったのでありました。2GBあればCD50枚も持ち歩けるぞ!

とりあえず今は

自作曲全部とE-Windの他のアーティストさんのお気に入り曲
ビル・エヴァンスの「Portrait in Jazz」
マイルス・ディヴィスの「Star People」
マイルス・ディヴィスの「Miles in Berlin」
ジョン・コルトレーンの「Blue Train」
チック・コリアの「Now He Sings,Now He Sobs」
ヘンリコ・グレツキの「交響曲3番」
レオシュ・ヤナーチェクの「シンフォネッタ全曲」
ヴィトルド・ルトスワフスキーの「管弦楽のためのコンチェルト全曲」
アントン・ルビンステインの「ピアノ協奏曲4番」
ジキスムント・タールベルクの「ピアノ協奏曲」
J.Sバッハの「無伴奏チェロ組曲全曲(CD2枚組)」「ゴルトベルク変奏曲全曲」「半音階幻想曲とフーガ」「イタリア協奏曲」「平均律クラヴィア第1、2集全曲(CD3枚組)」「インヴェンションとシンフォニア全曲」「マタイ受難曲全曲(CD3枚組)」


これだけ入れてますが、もう容量は半分以下になってしまいました。シベリウスとかショスタコヴィッチとかチック・コリアとかジョー・ヘンダーソンとか・・・他にもいろいろ入れたいんですが、この調子だとあとせいぜいCD20枚分くらいですかね?

意外と小さかったかも・・・?にしてもバッハ多いな。

魅惑の映画音楽・・・

2009-08-16 00:08:37 | 音楽(全般)
普通に会社勤めということもあり、コンサートなぞに行く機会は最近めっきり減りました。

家内は職業柄ほかの演奏家さんにお付き合いでリサイタルや時にはオペラなども聴きに行くのですが、私はジャズのライブですら行くことがなくなりました。

で、そんな私なんですが久々にコンサートに行きました。とは言っても近所の文化センターみたいなところで開催された「珠玉の映画音楽」系のライトなやつです。
母が自分の居住している地区の町内会役員のような立場の方に頼まれてチケットを引き受けたのですが、都合が悪いとかで急遽私と家内が行くことになったという真相です。
まぁ地元とは言えプロのオーケストラが演奏するわけです。演目と編成だけ見れば「カラベリ・グランド・オケ」や「ヘンリー・マンシーニ・オケ」に比較しても遜色はありません。そのせいか行ってみると超満員!駐車場は満車で会場は立ち見が出るほどです。

チケット何枚配ったんだ・・・?

会場に入るとさっそく家内は知り合いを見つけて話しこんでいます。「今日は出ないんですか?」とか言ってるんで誰かと思ったらこのオケのホルン奏者さんだそうです。なんで出ないんだろう?答えは後でわかりました。

町内会長さんみたいなご老人の挨拶のあとオケと指揮者と、あと今回のソロ歌手としてソプラノの女性歌手が紹介されました。なかなか可愛い方で年のころは30歳くらいでしょうか。彼女は進行(つまりMCですな)も勤めるそうです。
まずは数曲のロマンティックで華やかな映画音楽を歌手が歌いオケが伴奏します。弦は2プルートあるし金管は2管編成。ホルンにいたっては4本投入しドラムセットとパーカス奏者が2名、ハープまでいます。なかなか豪華な編成です。客層は概ね私の大先輩といった年頃・・・あちこちに歩行器なども置いてあります。早い話お年寄りたちですねぇ・・・。

ひとしきり歌い終わると「今からウェスタンの名曲を演奏します。ここで今回のアレンジを担当された○○さん」と紹介されたのがさっきのホルン奏者さんでした。あぁなるほど。

ここでホルン奏者さんがひとしきり自身のアレンジの聴き所を話始めます。曲は「荒野の七人」「大いなる西部」「駅馬車」と古き良きハリウッドの西部劇です。さらにこのアレンジャーさん「ここではずせないのがマカロニ・ウェスタンですねぇ」と語り始め、聞いてるこちらも「そうそうモリコーネだよねぇ」と首肯していると、さっきまでぼんやりと聞いていた歌手さんが突然「え?マカロニ?」と反応してきました。え?そこに食いつく?
イヤな予感がする中それでもアレンジャーさんはまだ気分が乗っているのか「そう。イタリアなんですがね、西部劇を作ってたんですよ。特に有名なのがクリント・イーストウッドです。」と「どうだ!これなら知ってるだろう!」って感じでカードを出したんですが、肝心の歌手さんはそれでも無反応です。そこでアレンジャーさんは追い討ちをかけるように「カリフォルニア州カーメル市の市長を勤めたハリウッド・スターですよ」と言いました。

もうこれなら「あぁ「マディソン群の橋」観ました」とか「「硫黄島からの手紙」良かったですよね」とかそれなりの反応をするだろうと思っていますと
「市長をやりながらイタリア映画に出てたんですか?」

アレンジャーさんの困惑した表情だけが印象に残るコンサートになってしまいました。

「エヴァンゲリオン」のラストについてどう考えるか?とか「ぼくらの」は「ザ・ムーン」にどう影響されたか?とか「HUNTER×HUNTER」の作者に何故ジャンプ編集部はキレないのか?とかを合コンで対面になったメガネ男に延々語られてるわけじゃ無いんだから、もう少し反応できるように勉強してこいよな。

月並みですがイタリア製ウェスタンの傑作にしてすべてのアクション映画の中でも金字塔的作品です。
「続・夕陽のガンマン」

ラストの三人による三角形になっての決闘シーンはものすごい緊張感です。「漢(おとこ)」なら是非ご覧ください。もちろん女性もどうぞ。精悍でクールなクリント・イーストウッドは超かっこいいです。

あと以前にマカロニ・ウェスタンにオマージュを捧げた自作曲です。一応宣伝・・・。

「黄昏のジャンゴ」

超絶だけど・・・なバンド「てつ100%」

2009-08-14 00:09:56 | 音楽(全般)
昔々のこと、1986年ですからもう20年以上も前の話です。

当時、ジャズ、フュージョン一辺倒であった私ですが、世は「洋楽」ブームの真っ只中。ロックやポップスなどの軽音楽の世界では、音楽をPRするためにその曲の演奏者(つまりバンドですな)のライブ映像などを、一緒にTVで放映することが一般的になりつつありました。今で言う「PV(プロモーション・ヴィデオ)」の黎明期です。
もちろんPV自体はもっと以前から存在はしていたのでしょうが、このメディアがTV番組のコンテンツとして成立し、1983年に制作された故マイケル・ジャクソンの「スリラー」のように、単独で商売となり得たのはまさにこの時代のことです。
深夜枠でありながら小林克也さんが司会をされていた「Best Hit in U.S.A」や、日本語版の「MTV」に私の友人たちは釘付けになって見入っていたものです。

そんな状況なので日本のバンドも新曲が出れば、シングルカットされた曲などには簡単なPVが作られ、ローカル局の深夜の天気予報のバックなんかで流されていました(笑。

ある夜のことでした。基本、放任主義で育った私は、深夜にも関わらず友人の家で、数人の仲間とだらだらとスナック菓子を食べながらTVを見ておりました。
突然、TVに「唄う天気予報」とテロップが入り、どこかのバンドのPVに地元の明日の天気が白抜きの文字で重なって放映され始めました。
PVはそのバンドの演奏を何のひねりも無くただ写しただけ。背景はどこかの倉庫みたいなガランとした場所で、全体をモノトーンぽく画質処理して、ダランとしたコートをはおったリーゼントにグラサンのボーカルを中心に、ギター、アコピ、ウッベ、ドラムスが周りを囲み、ときどき各プレイヤーを大写しにしたり、なんか勘違いした芸術映画のようにグルグル回ってみたりする。どうやらこのバンドのデビュー・シングルのPVらしいです。

バンドの名前は「てつ100%」。流れていた曲のタイトルは「TOKYO TACO BLUES」でした。

前述の編成で演奏されるアコースティックなブルースをバックに、このリーゼントのあんちゃん風のボーカルが歌う歌詞は、

ヘイ!彼女 一緒にお茶の水、イヤヨ!あんたきっと何か信濃町、ノーノー 俺は何も千駄ヶ谷・・・。

何事かと画面に視線と耳が固定された我々グダグダメンバー。次の瞬間、このおっさんか小学生の思考からわいて出たような駄洒落の連続に、思わず我々は爆笑してしまいました。

腹を抱え、ヒーヒーと笑う友人たちと一緒になって笑う私は、しかし、そのバックで演奏するメンバーのテクニックにすっかり耳を奪われていました。

しぶくまっすぐなラインを引き続けるベース(普段はどうかわかりませんでしたが、この曲ではウッドベースでした)。

エルヴィン・ジョーンズかトニー・ウィリアムスを思わせる、スピーディーでテクニカルなドラムス。

鋭い音色で絶妙なフィルを入れるピアノ(若いおねえちゃんでした)。

しかしカネの無いガキんちょの私には彼らのアルバムを買い揃える余裕が無く、ましてジャズのライブを聴きに行くのが精一杯な中、「てつ100%」のライブに行くこともできず、彼らの曲を聴く機会はありませんでした。

結局、彼らのアルバムを入手する機会はそれから5、6年後のこと。中古CDが山積みになったワゴン・セールの中に「てつ100%(1987年3月5日リリース)」、「あと3cm(1987年11月1日リリース)」、「Jack In the Box(1988年9月1日リリース)」の3枚が、雑然と置かれているのを発見した時でした。

「てつ100%」は1989年にすでに解散しておりました。

あの時TVでオンエアされた変なブルースは収録されていませんでしたが、他の曲も

・キング・コンブ(よくわからないけど、地中海に生存するらしい「でかい昆布」のことを爽やかなラテンのリズムで唄う・・・くだらない・・・)
・はじめての外泊(読んでのとおり女の子が初めてお泊りする歌だけど、何か気恥ずかしい上に何故か聞いていてむかつく・・・勝手にしろ!と毒づいてしまう)
・エレベーターにのって(タイトなシャッフルに乗せて、ずっと「エレベーターにのって」と唄うだけの歌・・・どう反応したらいいのか?)
・マンガ姫(今じゃ珍しくも無いマンガオタクの女の子の歌だけど、何故か現在の腐女子よりもっと共感できない・・・不思議だ)
・いとしの森鴎外(森鴎外に恋する「マンガ姫」とは対極の女の子の歌だけど、こんな女いねぇよ!と激しく突っ込みたくなる・・・不思議だ)

などなど。どれもタイトルを聞いただけで吹き出すかあきれる曲ばかり。
しかしアレンジはブルージーな物やソウルフルな物が多く、パフォーマンスも相変わらずバックメンバーのうまいこと、うまいこと・・・。

ただ、どこかウェットなノリやマイナー系の曲調が多く、歌詞も基本的に下ネタが多い(特に女性が引きそうな・・・)せいか、あまり人気も出ないまま解散したようです。
メンバーの服装とかも、その辺をぶらついてそのまま現れたようなカジュアルにもほどがあるもので、「こりゃ華が無いわ・・・」と思わずつぶやいてしまいます。

もう少しノリが良くて、例え下ネタであっても明るい曲が多ければ、女性ファンが付いて爆風スランプくらいにはいけたかもしれないのですが・・・。コンセプト似てるしね。

メンバーのその後ですが、実は私にはよくわかりません。ネットで調べるとリーダーでボーカルの杉原徹さんは、ラジオのDJとかCMのナレーションなどもこなしながら、今も歌手を続けられているそうです。

そしてキーボード担当の菅野よう子さんは、ご存知の方も多いでしょうがTV版の攻殻機動隊や、ゲームの信長の野望の音楽を担当されている売れっ子作・編曲家です。