「勘竹庵」evnc_chckの音楽やそれ以外

音楽の話題が中心になるかもしれませんが日々の雑感など書いていけたらと思っています。

封印された東宝特撮大作!

2009-10-12 00:02:55 | 映画
DVDやらCDやら模型やら、とにかくいろいろな付録をムックに付帯して販売している、「DeAGOSTINI」から、今度は「東宝特撮映画」のDVDシリーズが販売されますね。

怪獣や特撮(懐かしい。今じゃVFXですか?人情味の無い言葉・・・)と聞くとうるさいevnc_chckです。すでに持っているソフトもございますが、全巻購入で鼻息も荒く意気込んで、すでに定期購読の申し込みまでしてしまっております。

初代ゴジラから始まり、つい最近まで邦画観客動員数歴代一位であった「キングコング対ゴジラ」や、少しマイナーなところでは「大怪獣バラン」や「妖星ゴラス」。ラストの核戦争シーンの悲壮さではハリウッド映画のやんわりとした表現なぞおととい来やがれ!の「世界大戦争」などなど・・・。

ところで当のムックには東宝特撮映画の年表が記載されているのですが、何故か1973年公開の「日本沈没」と、1974公開の「エスパイ」の間に一本、重要な映画の収録が抜けています。

それは1974年公開の「ノストラダムスの大予言」という作品です。

1970年代はオカルト・ブームが起こり、悪魔や幽霊など超常現象的なものに人々の興味が集中しました。
ハリウッド映画の「エクソシスト」はショッキングな内容だけで無く、論理的なストーリー展開や登場する役者たちも名優を起用したことで大ヒット。多くの亜流が生まれ、大抵は換骨奪胎であったり、単に気持ち悪いだけであったりしながらも、いくつかは名作として現在も鑑賞され続けています。

邦画は1977年の大林宣彦監督の、どこが巨匠やね映画「ハウス」ぐらいしかオカルト映画的な作品は無いように記憶していますが、そんな中で中世フランスの詩人で医師で占星術師である「ミシェル・ノストラダムス」の、四行の詩で綴られた預言書を世紀の大預言書としてムルヤリ喧伝した、「ノストラダムスの大予言」という胡散臭い書籍の内容を元に、何と東宝製作による大叙事詩的な怪奇ロマン映画が1974年に公開されました。
前年に公開した「日本沈没」が空前のヒットを記録し、日本でもアメリカに負けないパニック映画が(10分の1くらいの予算で)創れる!と多分思っちゃったであろう東宝特撮スタッフは、今度は傲慢に地球の自然環境を蹂躙する人類に、滅亡への警鐘を打ち鳴らような映像を実現しちゃる!と大いなる気概でもって挑んだことでしょう。

映画自体は殆ど「日本沈没」のヒットの勢いと、何故かバカ売れした原作の勢いに乗っかってヒットしたのですが、公開の際に起こった多くのエピソードから、今や伝説のトンデモ映画として語り継がれています。

あらすじはあるような無いような作品です。

まず江戸時代の場面から始まりますが、何を研究しているかわからない江戸時代の学者(丹波哲郎)が登場。どうやら彼はノストラダムスの預言書を研究しているのですが、人心をいたずらに恐怖に陥れたか何かで幕府に捕まります。
その後もこの江戸時代の学者の子孫が、預言書に基づいて第二次世界大戦の日本敗戦をとなえて特高につかまる。

でここで世界の冨田の気色悪いヘニャヘニャとしたシンセ音楽が流れ、時代は現代へと一気に飛びます。

さっきの江戸の学者とそっくりな現代の学者「西山良玄(丹波哲郎)」。つまり子孫なんですが、彼は西山環境研究所の所長として大気汚染などの環境破壊の研究をしており、このままでは先祖が研究していた「ノストラダムスの預言」のとおり人類は「恐怖の大王」により滅亡してしまう。と訴えていますが、糾弾される企業などからはいやがらせもされて前途多難な啓蒙活動です。
公害を垂れ流す企業の上空を勝手にセスナで調査したり、それを注意に来た警官に「企業のイヌ!」と罵倒したり、果ては家族と湯豆腐を食べながら、「しかしこの豆腐には危険な発ガン物質が使われている」とか、何か空気の読めない発言をしている姿を見ると、煙たがられるのもある程度は理解できるかなぁ・・・。

で、こっからはもういろいろなエピソードが現れては次!という感じでどう説明していいかわかりません。

現在と違ってまだゴミの山であった夢の島で、子犬くらいあるナメクジがウジャウジャと現れて焼却処理される。

西山の娘まり子(由美かおる。もの凄い大根ぶりは必見!風呂でも入ってろ!)の彼氏である、カメラマンの中川(黒沢年男)の故郷である漁村では赤潮の大量発生で海の幸が全滅。
漁村の危機の中、夜中に海岸で未来への不安を語り合ううちに感極まったか?漁船の中で思わずセクースするまり子と中川(必然性ゼロ)。かろうじてバスト・トップが見える由美かおるですが、この映画って文部省(当時)推薦であったはず・・・。

各地で異常なジャンプ力や計算能力を持つ「ミュータント」的な子供が現れ、逆に畸形児の出産率が高まる。

エジプトの砂漠に雪が降り、東京上空は大気汚染で空に地上の景色が反射し、ニューギニアの原住民が放射能の影響で食人族になり調査隊に射殺される・・・。

まり子と中川は砂丘でデート。すると突然、何の前置きも無くまり子は踊り出す・・・。バカさ加減は必見!風呂でも入ってろ!

最後には核戦争でほぼ滅亡した人類の後に、ウルトラセブンで登場したバド星人と禁断のスペル星人を、足して2で割ったような「新人類」が登場する・・・。

どうですか?わかります?

結局、このニューギニアの食人族と、最後のドロドロのメイクを施した新人類の描写が、被爆者団体から「被爆者を怪物扱いしている」と抗議され、1974年12月25日に東宝株式会社、株式会社東宝映画、東宝映像株式会社の連名で主要新聞紙上に「お詫び」が掲載された上で、抗議の対象となった場面はカットされて、それでも公開は継続されました。

その後この作品はTVで一度放映されたものの、ビデオ化もDVD化もされることなく、幻の作品となってしまいました。
実際は海外ではDVD化されており、私もとあるルートで購入いたしました。割と簡単に入手できたりする情報化時代ではあります。

今となっては東宝のこの処置が正しかったのか、単に臭いものには蓋的なありがちな話しとするべきなのか、私には判断できません。
しかしややヤコペッティ的な扇情さはあるにせよ、エンタティメントの世界で大真面目に環境問題に取り組んだ姿勢はもう少し高く評価されてもいいのでは無いか?と思ったりします。

「表現の自由」は「解釈する自由」でもあると思う

2009-10-03 00:06:08 | 映画
うーむ・・・。クリエイターとしてどうかと思うが・・・。

『カムイ外伝』崔監督がブチ切れ!「ちゃんと観ろ!」と名指しで評論家に宣戦布告
10月2日10時11分配信 シネマトゥデイ

 映画『カムイ外伝』を朝日新聞紙上で「仕立てが大味」と評した映画評論家に対して、同作の崔洋一監督が「売られたケンカは買う!」と中日新聞で反論した。

 映画『カムイ外伝』でカムイは、忍びの世界から抜け出し、“抜け忍”として逃亡生活を続ける過程で小さな集落にたどり着く。カムイは漁師の半兵衛の家に身を寄せるうち、娘のサヤカがカムイに憧れをいだき、何かとカムイを気遣いはじめる。しかし、サヤカに想いを寄せ、サヤカの父、半兵衛からも容認されている漁師の吉人がその様子に激しく嫉妬し、さまざまな愛憎が交錯しだす。

 このくだりを9月11日付けの朝日新聞紙上にて映画評論家の秋山登氏が「(略)仕立てが大味なのが気になる。カムイがサヤカに熱をあげる青年がいるのに気づかない不用意ぶりは解せない(略)」と評したのが事の発端だ。

 これに対し10月1日付けの中日新聞で崔監督は、「秋山さん、本当に映画を観ていたのですか」と映画評論家にいきなり真っ向から挑戦的。崔監督は「カムイと(サヤカを含む)半兵衛一家の夕餉を感情むき出しに覗き込む吉人に、苦渋と違和感の表情を見せるカムイの芝居を明らかに見落としている」と指摘し、「カムイの孤独がさっぱり伝わってこない」との評に、「勘違いしている」とばっさり。崔監督はカムイと同じ抜け忍のスガルとの体を張った対決に、カムイの孤独との戦いを描いたのを読み取っていない秋山氏を非難した。

 しかも、このコラムの最後には、映画配給会社や宣伝に携わる人たちに影響力を持つ秋山氏ではあるがその判断が本当に正しいのか、ともとれる書き方で結んであり、かなり挑発的な内容になっている。崔監督の怒りはこれで収まってはおらず、秋山氏に言いたいことは、次回のコラムに持ち越すらしい。

======================

私はこの映画、未見だし原作が凄すぎてどうせロクでも無い映画・・・ゲフンゲフン。

それはともかく、わざわざは観ないだろうと公開前から思っていました。ですから崔監督がおっしゃることが、ごく普通に集中して鑑賞した際に観客に伝わるレベルなのか?相当、深く鑑賞しないと汲み取れないほど奥深いのかはわかりかねますが、一つ言えることは「一旦、作者の手を離れた作品はどう評価されようと致し方ないのでは無いか?」ということです。

私も素人ながら作品を創作し、極めて小規模ではありますが一般の方々にご鑑賞いただける環境におります。まぁ早い話が自作の音楽作品をE-Windというフォーラムでネット公開させていただいております。本当に鑑賞いただけるだけでもありがたいことでありますが、こんな素人作品ながらもいろいろなご意見やご指導もいただけ、自身の創作活動や感性を向上させる大きな糧となっております。

ただし、E-Windという限られた環境の中とは言え、感覚や理解できる音楽のジャンルもまちまちの、不特定多数の方々のご意見やご指導です。当然ながら作者の意図する物とは異なる視点や解釈の物もございます。
しかし、それは飽くまでそういうコメントをされた方では無く、それを伝えきれなかった自分の能力の問題であったり、逆にその視点や解釈が私にとっては新鮮で参考になる物であったり、とにかくクリエイター冥利につきる刺激的な事だと考えております。

それに比べてこの監督はどういうことでしょう?どれほどの創作過程での苦労や苦悩があったのか。どれほどディテールにこだわったのかはわかりませんが、作者の意図どおりに解釈しようが、まったく意図を理解できていなかろうが、それは鑑賞する側の自由であるはずですし、それが国民に保障された「表現の自由」の裏返しであると思います。「オレの言ってる事が全然わかっちゃいない!」と思うのももちろん個人の自由ですが、公の場で個人名を名指しで発言するなど言語道断です。同じ大人としてみっともないとしか思えないですね。
そもそもこの秋山登氏の新聞紙上での発言は「評論」であって、崔監督が同じく新聞紙上で発言した「売られたケンカ」でも何でも無い、まったく次元の違う話です。クリエイターが評論家や一般大衆の意見や評価を一々「喧嘩」扱いしていては、それこそ表現の自由不在の創作活動になってしまうと思いませんか?

かつて「ショー・ガール」がラジー賞を総なめにした際、それでも堂々と授与式に出席し苦笑しながらコメントしたポール・バーホーベン監督。あるいは「キャット・ウーマン」で同じくラジー賞を授与され、アカデミー賞受賞の時と同じコメントをしてみせたハル・ベリー。
同じクリエイター、アーティストであるにも関わらず、これほどの精神的余裕の差が現れてしまうのは・・・?

それともキレて見せることで逆に宣伝効果を狙っているのでしょうか?

何にしても困ったおっちゃんっすねぇ。「月はどっちに出ている」は割りと良くできてたのに・・・。

観終わると陰鬱な気分になる映画第六弾「星空のマリオネット」

2009-02-22 00:28:08 | 映画

もう30年くらい前ですがATGという映画の配給会社がありました。芸術映画をきどった感じやその運営の実体にいろいろ意見もありましたが、若手の監督の作品を配給し中には後々の大家となる監督や、名作と呼ばれている作品も多くあります。
この「星空のマリオネット」もそんなATG配給の一本です。今は亡き三浦洋一が得意の不良少年を演じた「青春映画」ですが、明るさは微塵も無く全編にわたって主人公のフラストレーションが充満して、いつ爆発するかわからない独特の暗さと緊張感があります。

主人公は街の不良グループのリーダー(三浦洋一)。ある日ちょっとしたことでフクロにした別の不良グループのリーダーに復讐され病院送りに。退院して来ると仲間も女もみんな自分から離れてしまいショックのあまり内向的になります。所謂ひきこもりですな。
医者の息子で試験管ベビーで生まれた(本当か?)境遇から親を愛せない同性愛の少年と、殆ど家出同然で次々と男と関係を持ちながら生きる少女(亜湖)。この二人だけが主人公に接してくれます。この3人の行き当たりばったりで目的の無い生活が始まりますが、同性愛の少年は主人公に愛を拒否され自殺をしてしまい、また少女は主人公の子供を妊娠してしまいます。いろいろ一気に起こって困ってしまったのか、少年は自分の子供を宿した少女を連れて父親のところに転がり込みます。この父親はかつて妻に先立たれ今はやもめ暮らしなんですが、突如押しかけた若い二人が毎晩ハアハアしているのを覗いてお父さん思わず射精してしまうシーンなどがあります。この父親を「ケンちゃんのお父さん」としてお茶の間で有名であった牟田悌三が演じていますが、ケンちゃんのお父さんが股間を押さえ「うぅぉ!」とか叫びながらイってしまうシーンはさすがにショックでした。

何もかも自分から離れて行くことに消えることの無いフラストレーションと、味わったことの無い投げやりさを感じた主人公は少女を父親に与え、自分はバイクで大型ダンプに突っ込んで行くのでした。

時代なのかもしれませんがシンプルと言うにはあまりに現実感の無い、紆余曲折がありながらあまりに伏線の無い、正直あまり良くできた話とは思えないのですが、終始感じられる焦燥感みたいなものが何故か心に残る作品です。アメリカン・ニューシネマの影響。特に「バニシング・ポイント」などの影響も見られるように感じられます。

少女を演じる亜湖はお世辞にも美人とかかわいいとかは言えない女優さんで、いっぱい脱いでいただくのもいいのですが体つきも日本的と言いますか、はっきり言ってかなりポッチャリしています。最近はめっきり女優としての活動を見なくなりましたが(ご本人の体調によるようです)、この作品の「難しいことを考えないでその場その場を生きている姿」は雰囲気によくあっている演技で、妙なかわいらしさを感じさせるものだと思います。

最後に2009年1月8日に永眠された牟田悌三さんのご冥福をお祈り申し上げます。合掌。


リカルド・モンタルバン氏逝去

2009-01-19 00:08:30 | 映画

少し前の情報ですが俳優のリカルド・モンタルバン氏が亡くなられました。

米映画やテレビで活躍したヒスパニック系俳優リカルド・モンタルバン氏が14日午前6時半頃、ロサンゼルス市内の自宅で死去した。88歳だった。
遺族によると、ここ数日間で健康状態が悪化していた。死因は明らかにされていない。

メキシコの首都メキシコ市出身。俳優を志して10代でハリウッドに移り、1941年にデビューした。メキシコ国内で13本のスペイン語映画に出演した後、「闘牛の女王」(47)でハリウッドデビュー。MGM映画の常連として、女優ラナ・ターナーやエスター・ウィリアムズの相手役を務めた。MGMの看板俳優クラーク・ゲーブルとの共演作「ミズーリ横断」(51)撮影中には脊髄(せきずい)を損傷し、手術後も後遺症が数十年残った。

60年代に入るとテレビドラマ出演が増え、連続SFドラマ「スタートレック」第1シリーズの悪役カーンが当たり役に。70年代のヒットドラマ「Fantasy Island」で大勢のファンを獲得した。マックスウェル・ハウス・コーヒーやクライスラー車の広告にも起用された。

ハリウッド映画でステレオタイプ化したラテン系の人物描写の改善に取り組み、娯楽産業で働くヒスパニック系の権利拡大を目指す活動団体の代表を約20年間務めた。

================================

カーン役がやはり印象が深いですが、彼の演技を初めて観たのはSF映画の名作「猿の惑星」の第三作「新・猿の惑星」と第四作「猿の惑星 征服」でした。

力技でシリーズにされた第二作で大変なことになってしまった猿の惑星でしたが、ここで終わりかと思われたこのシリーズも何と第三弾が制作されました。
第一作で使われた宇宙船の実物大モデルがもったいなかっただけでは?と思わず勘ぐってしまうのは私だけか。

この第三弾。私は初公開当時はさすがに知らないのですがリバイバルで観ました。

ネタばれになるのであまり詳しくストーリーは述べられませんが、猿の惑星を脱出した3匹の猿はいろいろあって現代の地球にやって来ます。直立した猿たちに初遭遇した人間たちの驚きの表情からタイトルロールが始まるこの映画、前半の少しコミカルな雰囲気が一転し人類に追われる猿たちの逃避行に変わり、そして衝撃的なラストへとつながっていきます。
実はリカルド・モンタルバンさんはこの第三作ではあまり出番が無く、このラストシーンでポツリと印象的なセリフを語り、この後の人類の運命を示唆するかのように物語が終わります。

ここで終わってるとスケール感を増した想像もできるのに・・・。というでこちらの心配をよそに第四弾「猿の惑星 征服」が制作されました。監督はアクション映画界の職人にして「ナバロンの要塞」のJ・リー・トンプソンだ!でも「ナバロンの要塞」を期待すると悲しいぞぉ!せいぜいブロンソンの「必殺マグナム」くらいだぁ!

でリカルド・モンタルバンさんは第三作から引き続き出演し、ラテン系の彫りの深い顔に髭をたくわえ、ぐっと落ち着いた雰囲気で登場します。近未来の地球。そのころにはすでに少し知性を持ち(え?何故?という疑問はスルーで・・・)、人間の奴隷状態であった猿たちのために戦う人物という役柄でした。
保護していた高い知性を持つ猿(シーザーという名前)を守るために、国家警察のような組織に尋問を受け徐々に追い詰められていくシーンが最大の見せ場です。もうこれ以上は尋問に耐えられない!脂汗を流しながらついに決心した彼が取った行動は・・・・。
これによりシーザーが立ち上がり(蜂起したという意味です)、人類と猿たちとの長い戦いの始まりを示唆して終わります。

ちなみに今度こそここで終わってよ・・・。という悲鳴に近い叫びもハリウッドまでは届かず、さすがにもう駄目駄目な第五弾の制作へと突入しますが、もうこれは観なくてもいいから。TVドラマかと思っちゃいました。
「猿が猿を殺した。猿が猿を殺した。・・・。」

リカルド・モンタルバン氏のご冥福をお祈り申し上げます。


観終わると陰鬱な気分になる映画第五弾「マザーズデイ」

2009-01-08 00:47:03 | 映画

冒頭はいかにも性悪で知性の低そうなバンダナをした若い男女のカップルが、純朴そうな婆さんを森の小道に停めたくるまの中で襲おうとしている場面で始まります。
「あらあら変ね。エンジンが止まっちゃったわ・・・」
とか何も知らずのんびりとお婆さん。性悪低脳カップルは襲うタイミングを虎視眈々と狙います。もう襲われる!婆さん急性心不全か?と思ったとき・・・。
案山子のようなと言うか汚いプレデターと言うか変な覆面をつけた小柄な男と、ゼロ戦の操縦士のような頭巾のようなものを被ったいかつい大男の2人が現れ、まず男の首を鉈でズコッ!とばかりに切り落とします。
女の方は大男にクルマの屋根に持ち上げられ、小男に総合格闘技よろしくマウントパンチの雨あられでボコられます。
瀕死の体をはいずってさっきまで襲うつもりだった婆さんに助けを求める女。
「おやまぁ可愛そうに大丈夫よ」
とか言いながら女を抱き寄せると、優しそうな笑顔のまま細引きで女の頚動脈を絞める婆さん。ドゲェ!この婆さんがこのイカレタ男2人の親玉。と言いますかお母さんだった。と言う超サプライズの設定で、観ていたほうも「もうこの展開で終わりでいいんじゃない」と思えるお腹いっぱいぶり。

森の奥深く母と息子2人で仲良く3匹のクマのように暮らす家族。優しそうな母と自衛隊にスカウトされそうないい体の息子2人は、気はおかしくて力持ちの焦点のずれた視線が素敵な長男(ちょっとジャン・レノに似ていたりする・・・。ごめんねレオン・・・。)、ラテン系のくどい顔が意外とイケメンだけどすぐにキレて暴力ふるうのが玉にキズの次男。こんななんにも無い森でも時々訪れるキャンパーやヒッチハイカーを襲って生活しています。まぁ。あれだ。つまりは山賊ですわ早い話。

特に仕事が無い日は自主トレに余念が無く、優しいけどやるときはやるお母さんの指導の下犠牲者をいたぶる技術の向上に努めています。このトレーニングがすごい気合です。こんだけやれるんなら町でまじめに勤労すれば・・・・。と言うこちらの気持を知ってか知らずか人殺しのテクを磨くキチ○イ一家。

でおきまりの女3人のキャンパーがこんな辺鄙な森で野営をしています。年のころは35歳。彼氏もいないのか焚き火を囲んで取りとめの無い話をしているところへ件の兄弟が来襲。お母さんのことろへ拉致られます。3人のうち2人は2Fの部屋に監禁され1人(シガニー・ウィバー似のおばさん)は可愛らしいフリフリのミニ・ワンピを着せられ、お人形片手にスキップする演技を要求されます。こわばった表情でスキップしていくるところへ、キレたイケメンの弟の見事なタックル&マウント・ポジション&マウント・パンチ。明らかに脳にダメージを受け無抵抗になった女の両足の間で腰をふる弟。これが俯瞰撮影されこの作品一番の陰鬱シーンです。

翌日、監禁されていた2人は何とか脱出しますが、前夜におもちゃにされた女は結局絶命。怒れる2人はこの狂った家族に復讐を誓います。さて2人の復讐は成就するのか?ってこんな映画だいたい結果は言わなくってもおわかりですよね?

ストーリーを読んでいただけばおわかりいただけるとおり、ホラー映画の金字塔「悪魔のいけにえ」の劣化コピーなわけですが、殺しの場面も復讐の場面もストーリーのめちゃくちゃぶりの割には堅実な演出で、まぁ見所は2人の人殺し兄弟よりも、兄弟を顎で使って犠牲者がいたぶられ殺されるのを凄く嬉しそうに眺める母親ですかね。「悪魔のいけにえ」のように破綻寸前で踏みとどまって傑作になった作品に比べ、ある意味無難な演出と展開は監督(チャールズ・カウフマン)の思いっきりの悪さなんでしょう。もっともトビー・フーパーが「悪魔のいけにえ」を撮れたのも偶然ぽい気はしますが。「悪魔の沼」とか「スペース・バンパイア」とか観るとどうもなぁ・・・。


観終わると陰鬱な気分になる映画第四弾「世にも怪奇な物語」第三話「悪魔の首飾り」

2008-12-06 00:03:10 | 映画

かなり古い映画で子供のころTVの洋画枠で観て以来でしたが、最近にDVD化されています。
ポーの原作を映像化した3話オムニバスなんですが第1話は凄いつまらない。「バーバレラ」のロジェ・ヴァディムですからこんなもんでしょう。できの悪いパゾリーニかと思いました。女優を食ってばっかいるんじゃねえよ。オヤジが・・・。
第2話は物語としてはおもしろいけど及第点。普通の怪談です。人気絶頂(当時)のアラン・ドロンの悪役ぶりがかっこいい(あくまで当時)作品というだけ。冒頭の全寮制男子校の雰囲気はいいんだけどねぇ・・・。「トーマの心臓」みたいで。
第3話は子供心にも恐怖した作品でこのたび観返してみましたがやっぱりよくできたホラーだと思います。
主人公は人気が凋落している英国のシェークスピア俳優で、イタリアでキリストを題材にしたウェスタン(こ、これは観たい!笑)に主演するためにローマに降り立ちます。
いかにもアルコールにやられて精神的にやばそうなテレンス・スタンプの演技は演技を超えるものがあって(プッ)引き込まれます。終始ダルそうで真っ青な顔に汗をかいた姿は恐怖とは違う意味でハラハラさせます。
ところどころに自分の頭がおかしくなったのか?と思わせる色彩や照明がに挿入され、テレンス・スタンプ以外の登場人物が実存なのか主人公の幻想なのかも判然としないまま物語は進行します。
主人公はときどき宙を見つめて独り言を言うのですが、当初はそれが何を意味するのだかわかりません。単なるアル中の異常行動にも見えます。じょじょにその真実が明らかになるにつれ「悪魔か死神に取り付かれた主人公」が、現実逃避を兼ねて「あちらの世界」へ向けて暴走していく様。そしてそれが一瞬で終わるラスト。じわじわと引っ張る演出は「さすがフェリーニ」と思わせます。

フェリーニは「サテリコン」とか「カサノバ」などと同様に客観的でありながら官能的な映像は古さを感じさせず、DVD化のこの機会に是非ご覧いただくとよいかもしれません。ずっと自分も夢を見てただけじゃないかと錯覚さえ覚えますよ。
フェリーニと言えば昔々「キングコング」のリメイクを手がけるという噂がありましたが、結局、「タワーリング・インフェルノ」で大作監督の地位を獲得したジョン・ギラーミンおやじが監督しました。フェリーニのキングコング観たかったなぁ・・・。美女と巨大な猿のありえないアンバランスな純愛なんてピーター・ジャクソンが監督するよりもいいんじゃない?

「世にも怪奇な物語」


機会があれば観るといいと思う映画「夢・夢のあと」

2008-11-29 00:02:37 | 映画

とにかく風変わりな映画です。

もうかれこれ20年くらい前にTVの深夜の映画枠で観たきりの映画ですが、オール外人キャストなんで洋画だと思っていたら邦画でした。しかも東宝東和・・・。やるぅ!(笑
国際的なデザイナー(らしいですが服装に無頓着な私はよく知りません。ユニクロでも着てりゃ十分ですよ。)の高田賢三が監督したことで有名な作品です。

ストーリーはどことも知れない砂漠の場面から始まります。砂漠を歩く若者が占いに従って砂漠を渡り遠くの湖に小船を漕ぎ出します。しかし疲れたのか何なのかわかりませんが気を失って目覚めると湖に面した古城で寝かされていました。そこには何故か「月」と「雪」と言う名のお姫様(にしては貧乏そうと言いますかシンプルな白いドレスしか持って無いみたい)が住んでいます。二人は姉妹ですがどこの領地を統治しているのか親がどうしたのかは不明です。ただ冒頭からすでに独特の雰囲気なのでその辺りの「常識」はつっこみ辛くなっていますのでスルー。
姉の「月」はキツイ顔つきの妖しい美女で妹の「雪」は色白(まぁ雪ですから・・・)の地味なおじょうちゃん。と言った雰囲気。若者は明らかに妹に惹かれた感じで、妹も若者に一目ぼれしたようです。
しかしそこにキツイ姉が割り込んで結局、若者も若さ故か姉に誘われるまま関係してしまいます(やっちゃったんですね。つまり)。砂漠で気を失ったばかりなのにえれぇ元気です。
その後も若者は妹が気になる風なんですがその都度、姉が強力に誘ってくる上にこの若者も優柔不断と言いますか「若いんだから仕方無いさ」と言うことでしょうか。この近辺はこの姉妹以外は存在しないのか覗いたりするやつもおらず、太陽の下で開放的に花畑や川原で関係しちゃいます(やっちゃうんですね。つまり)。
存在を「しかと」され男を横取りされた妹はついにキレて姉と大喧嘩をします。姉は唐突に若者を殺すと宣言しますがこの若者の屈託の無い寝顔にその決心も鈍り、「月」は泣きながら外へ。後を追う若者が見たものは白鳥に変化していく「月」でした。
結局この二人はかつて盗賊どもに乱暴され殺されたのですが、関係した男を殺さないと鳥になってしまう条件で蘇っていたのです。姉は妹が辛い思いをしないために妹が恋をするとわざと横から割り込み、男を殺す役を引き受けていた。と言うことでした。

  だったら行き倒れの男なんか拾わなきゃいいのに・・・。

余計なことですが姉妹が白鳥に変化する場面は中身の飛び出した羽毛布団をかぶって走るみたいで、昨今のCG特撮を見慣れると失笑シーンです。
不必要に胸だけ出して走ってるし(笑。
1981年の作品だからリック・ベイカーあたりに無理してでも頼めばもう少し見栄えもしたと思いますが、逆にリアルになりすぎて不気味だったりして。

正直に言うとデザイナー上がりの素人の作品で無ければ「何だこの映画・・・」と思わず口走りそうな内容です。だいたいが「キャット・ピープル」のパクリだしこの手のオチは日本の「雪女(雪女郎)」などでも見られるありがちなもの。
ところが「国際的なデザイナーの初監督作品!」と言われると安い御伽噺もゲイジツに見える不思議・・・。映像も美しいと言えば美しいのですがそれだけで名作と呼ぶのは無理があります。だいたい特に頼みもしないのに勝手に女性の方から来てくれるなんて、「いちご100%」や「To LOVEる」じゃあるまいに、そんなウマい話があるわけないだろう、まったく最近の若いもんは・・・ブツブツ。

「フレンズ」(アメリカの人気ドラマとは違います)で青春スターとしての地位を確立したかに見えた、アニセー・アルビナが「月」の役で主演しているのが見所かも?「フレンズ」と「続・フレンズ」以外にこれと言った作品が無い彼女が観られるだけでも価値はあります。これでもかと言うぐらい脱いでくれてますし。ただフレンズの少女がこんなにキツイ「お姉さま」になるとは思ってなかったのでクレジットを見たときは腰を抜かしました。

その彼女ももうすでにこの世にはいません。女優としての活躍は華々しいものではありませんでしたが「フレンズ」での印象は忘れられません。
ご冥福をお祈り申し上げます。

「夢・夢のあと」


観終わると陰鬱な気分になる映画第三弾「愛の終焉 カフェ・フレッシュ」

2008-10-02 00:23:11 | 映画

もう何に分類したらいいのか?とにかく凄え映画です。なにがってくだらなさが。あまりのことに何箇所かは早送りで見たくらいです。

人類が世界的な核戦争でダメージを受けた後の世界を描いています。よくあるシテュエーションですがこの設定であれば「SF映画」と言えます。
ところがここで驚愕の設定が。核戦争による影響で人類の殆どが「性欲はあるのにセックスをしようとすると体が拒否反応を起こす」体質になってしまったのです。

私などはそのほうが煩わしくなくていいように思うこともありますが(人生の終焉・・・)、現実には生涯現役時代ですから性欲は簡単には解消されるものでは無い(んでしょうね)。外人はたくさんしますしね。

そこでごく僅かに残った「セックスが可能な人類」は「性欲はあるのにセックスをしようとすると体が拒否反応を起こす」人類のために、セックス・ショーをしなくてはいけない「義務」が課せられます。そのショーが毎晩繰り広げられるのが「カフェ・フレッシュ」と言う店です。
セックス・ショーが義務とされるという発想がすごいですね。核戦争でダメージを受けたわけですから他人の性欲処理より他に重要なことがありそうに思いますが、このあたりどんな重要な案件でも「デュエルで決めよう!」とする某カードゲームのコミックみたいです。1枚のカードで世界征服も夢では無い世界観・・・。

何にしてもこの設定で一気にこの映画は「ポルノ」になってしまうわけですが、問題はそのセックス・ショーです。何せ物語は設定の段階でえらく伸びしろの少ない話になってしまっているので、もう上映時間の大半がセックス・ショーの場面とそれをじっとりと見つめて舌なめずりをしたり、自分の股間をまさぐる観客を映しているわけです。しかもそのショーが妙に前衛的と言うかアングラな雰囲気で、場末のストリップ小屋で日銭のために金粉ショーかなんかをやっているアングラ劇団か舞踏団のようです。これを見て欲情している観客も大概説得力がありません。本当に欲情するように作ったら単なる「ハードコア・ポルノ」になってしまう。と言う制作側のすべったこだわりなのかもしれませんが、この延々と繰り広げられる無駄なショーのおかげで、この映画は「カルト・ポルノ・SF」ぐらいのカオスな分類しかできなくなっています。出てくる女優もうら寂しい限りだし・・・。

何か物語の設定の話ばかりになってしまいましたがそれもわけがありまして、ストーリーそのものはこれだけ設定をいろいろ細工したわりには、どうでもいいような男女の恋愛物になってしまっているのです。
主人公は核戦争前はブイブイ言わせていた絶倫男だったのが、戦後は件の体質になりセックス以外に考えることが無いのか、同じ体質の彼女とともにイラだちとあきらめの日々。ところが彼女のほうは最近自分の体質に変化を感じはじめます。そしてある晩のショーで彼女は自分が「セックス可能」に戻っていることを直感で認識し、驚きと哀願のまじった彼の視線をふりきり観客の前でセックスを始めるのでした。
どうです?くだらないでしょう。核戦争後であろうとなかろうと人類の体質が変わろうとあいかわらずスキモノだろうと、どっちだっていいストーリーですよ。
何か精神的な疾患で性欲はあるのに女性が抱けなくなった彼氏を捨てて、別の男と彼の目前でことに及んだ彼女を見て愕然とする男。と言ったような安いレディコミで十分語れそうな内容ですよね。

無名の脇役俳優数人に演技させてあとは舞台でセックスしてるか、客席でオナニーしているかですから低予算はあきらか。SFでありながらSFXやセットには金をかけられません。設定を逆手に取っていっそコミカルにする手もあったかもしれませんが、それなりにひねった設定にしておいて安いマナ板ショーをふんだんに見せておき、つまらないストーリーを大真面目に進行させたことがすべてを台無しにしています。
クソ映画のネタにされるならご覧になっても構わないかもしれませんが、はげしくお薦めしません。

主人公の彼女役のミシェル・バウアー(ピア・スノウ名義)だけが見所・・・(笑。


観終わると陰鬱な気分になる映画第ニ弾「バスケットケース」

2008-09-18 00:36:28 | 映画

と言う事でほぼ100%みなさんが目をそむけるくだらなくて陰鬱な映画をご紹介します。

この映画はカルト・ホラー・ファンの間では超有名なんで今更ですかね。
シャム双生児として生まれた兄弟。兄は足も無くまるで腫瘍のような姿で弟に貼り付いた状態で生きています。こんな姿ながらも兄弟仲良く生きてきた二人でしたが、ある日彼らは分離手術を受けることとなります。抵抗空しく分離された二人ですが弟は肉塊となりゴミとして廃棄されていた兄を助け、バスケットケースに入れてこっそりと養います。
成長した二人は兄弟を分離した憎い医者や学者を探し出し復讐をするのですが(お~い、逆恨みじゃねぇ?)、五体満足な人生を謳歌し始めた弟にフラストレーションとジェラシーを感じ始める兄。そして弟にガールフレンドができたことから兄弟二人の愛憎は悲劇的な結末に向けて動き出すのです。

どの角度から観ても超低予算映画であることは疑いの余地もありません。
低予算だ低予算だと言われながらも殺される女優にはそこそこの美形が並ぶ「13金シリーズ」や「バーニング」に比較しても、一人としてグッと来る女優が皆無なのはもはや奇跡の配役です。数多いぶさいくからようやく選別したであろう女優がかろうじてヒロインを演じていますが、普通の青春映画とかだったらとっくにいじめられっ子のレベルです。

まぁ女優の質の劣悪さから言ったら同じ監督(フランク・ヘネンロッターと言うおっさん)の「フランケンフッカー」のほうが数枚上手なんでこれ以上つっこむのはこのへんで・・・。

で映画ですが「役者」はそのへんのスラム街で自給2ドルぐらいで雇ったような素人が、その都度監督の指示であっちへ歩いたり少し驚いたりしているのがモロわかりの眠たい演技。映像もわざとブラシをかけたように粗いし、肝心の双子の兄はメカニカル・パペットとモデル・アニメーションをメインにした特撮ですが、これを特撮と呼ぶと苦情が来そうなできです。
メカニカルはどっか一部ワイヤーが切れてるんじゃ無いかと疑うような微妙な動きしかしません。まるで風にゆれる木の枝のようなゆったりとした腕の動き、畸形だから。と言う理由を勘案しても乏しすぎる表情。
またモデル・アニメに至っては噴飯ものでアーダマン・スタジオに20年は丁稚に入ってもらわないといけないできです。まさに百聞は一見にしかず。兄がキレて部屋で暴れるシーンが一応モデル・アニメの見せ場なんですが思わず笑みがこぼれる不思議な恐怖シーンでした。

同じ母から同じ家に生まれた兄でありながら弟にしか頼らざるをえず、害虫のようにかくれて生きるしかない辛さ。夜空に向かいコヨーテのように叫ぶ兄の姿が悲しいです。
どうでもいい殺人シーンやとってつけたようなトホホお色気シーンなど吹き飛ばす、哀しく切ない兄弟愛を描いた名作(あくまで物語としての)です。

なお調子こいて続出した続編は観ないように。例え観ても観なかったことに。乱歩の「孤島の鬼」を劣化させた駄作だと思えばOKの作品で~す(笑。

バスケットケース(1982)


観終わると陰鬱な気分になる映画第一弾「死霊の罠」

2008-08-14 00:06:47 | 映画

と言う事でほぼ100%みなさんが目をそむけるくだらなくて陰鬱な映画を時々思いついたらご紹介します。

「死霊の罠」

得体の知れない連続殺人鬼に理不尽に殺される恐怖を描いたよくあるシテュエーションなんですが、邦画ということで選択しました。ちなみに「佐野史郎」が怪演する続編もありますが全然続編じゃないです(笑。

ある放送局のキャスターの元に送りつけられてきたビデオ。内容は縛りつけた女性の眼球に刃物を突き立て殺す。所謂スナッフビデオです。
撮影された場所をつきとめ(「やめときゃいいのに」感をただよわせながら)取材に行くキャスター一行。そこは使われなくなった軍施設。(「やめときゃいいのに」感をただよわせながら)少人数に分かれて探索を始め、あとはだいたいこちらの予想したとおりの順番で殺されていくご一行様方です。

「罠」と言うタイトルだけあって主人公は結局おびきよせられただけというプロットは結構楽しい。キャスターご一行様の殺され方も「そんなに時間かけちゃ見つかるよ・・・」というこちらの老婆心など何のその。じっくりギミックたっぷりにいたぶり殺します。首にワイヤをからませ引っ張り上げ自動車の屋根を一回通り過ぎて後頭部から地面にドスッ。とか柱に縛っておき誰かがドアをあけるとトラップが起動して刀が側頭部にグサッ。とか。当時、全盛であった特殊メイクもこれでもかと導入しており「13金」や「エルム街」に負けない映画を!と言う気概は十分感じられます。
ただ正直それだけなんっすよね。淡々として盛り上がりにかけおきまりのヒロイン一人が殺人鬼に追われるシーンもハラハラドキドキが無いです。

こんなうさんくさい取材を計画して他人を巻き込んでおきながらイケイケ感ゼロで、終始悲壮な表情のキャスター役の「小野みゆき」の演技が正直暑苦しいのと、AVを堂々と観る機会が皆無な年頃だった私には少しうれしかった「小林ひとみ」の絡み(今思えば短いし必然性にかけるし大したことも無いしよく見ると結構ブ○イクだけど)が印象に残るぐらいかな。
途中、いかにも怪しげに出てくる「本間優二」扮する謎の男が最後まで怪しいのは捻りが無いです。
しかし本間優二って「狂った果実」や「とりたての輝き」での、醒めてふてくされてような演技のまんまですけどあの演技以外は基本的に無い人なのかしら?嫌いな役者じゃ無いんだけど最近あんまし見ないですね・・・。

ZABADAKの音楽がもろゴブリンなのは大きくつっこみたい気持ちをおさえてスルーしないと大人気ないのですね。

あ、少しは誉めないとね(笑。

全体に極彩色の映像は「ダリオ・アルジェント」か「ミケーレ・ソアビ」のようで美しいです。そっち方面的にはですが。殺人鬼の居住区と言うかラスト近くに出てくる医務室のような部屋で、海底のプランクトンのようにキラキラした塵状のものが降るシーンなど「アクエリアス」の一場面を思い出します。映像美をうたっておきながらヒッキーがうたうだけのクソ映画「キャシャーン」に爪の垢でも煎じて呑ませたいです。なんだあの映画・・・ホントに。カネ返せよ!衛星で観たんだけど・・・。

死霊の罠(1988) - goo 映画