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ワンマン始皇帝

2009-09-27 00:04:01 | Weblog
こんな記事がありました。

秦の始皇帝は毎日30万字を読んでいた?―中国誌
9月26日9時19分配信 Record China

22日、中国誌・博覧群書は秦漢史の研究者として知られる王子今氏の寄稿を掲載した。王氏は秦の始皇帝は毎日約30万字を読む習慣があったと論じている。

2009年9月22日、中国誌・博覧群書は秦漢史の研究者として知られる王子今(ワン・ズージン)氏の寄稿を掲載した。王氏は秦の始皇帝は毎日約30万字を読む習慣があったと論じている。網易歴史が伝えた。

秦の始皇帝は中国を初めて統一した皇帝。陝西省西安市にある始皇帝陵や兵馬俑は有名な世界遺産だ。兵馬俑は6月から新たな発掘作業を始めており、国内外の多くの観光客を惹きつけている。

秦(紀元前778年―同206年)の時代、文字は竹簡(ちくかん)という竹で出来た札に書かれていた。前漢時代の歴史家、司馬遷(しばせん)の著書「史記」には、「始皇帝は事の大小に関わらず、すべて自ら決裁していた」とあるほか、1日に閲覧する量を決め、それが終わるまでは眠りにつかなかったとされている。「史記」に記されたその1日の量は「竹簡120斤(現在の約30kgに相当)」。

王氏はこれを台湾の学者が発表した論文を参照にして計算した。その論文によれば、当時の竹簡の平均的な重さは51kgで1枚につき38文字前後、合わせて53万文字前後が書かれていた。これに照らし合わせれば、「竹簡120斤」には約31万文字が書かれていた計算になるという。

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まぁ「白髪三千丈(9km)」のお国なので、そのまま額面どおり受け取っていいものかわかりかねますが、どれぐらいの速度で読んだら日当たり31万文字を達成できるのでしょうか?

まずは31万文字という数字を具合的なイメージにする必要があります。
小説とか少し軽めの学術書が書かれた文庫本は、段落替えとかタイトル部分など空白もかなりあるので一概には言えませんが、多めに見積もって大体1頁600文字くらい印刷されていると思います。
そうなると

310,000文字÷600文字=516.666・・・

ですから、比較的薄めの250頁くらいの文庫本2冊強です。私は出張で電車での移動がある場合に、その時間は正直暇なので文庫本を3冊くらい購入して持ち込みます。小説であったりエッセイであったりいろいろですが、内容がおもしろければ3時間くらいで2冊読んでしまうこともあります。ただしこれは興味を持って読めれば。ということとそれほど集中せず内容がある程度わかればいい、ぐらいの読み方を仮定したものです。
しかしいずれにしても文庫本520頁弱を毎日読むのだ。とイメージすれば人間の能力として「超人的」と言うほどでは無いと思いませんか?

ただし、始皇帝の読んだ31万文字は、未来からやってきた不思議美少女と何故か次々と女子がほれてくれるふざけた男子高校生を描いたラノベや、お父さんの大好きな人妻の体験を描いた官能小説ではありません。企業で言えば稟議書や申請書の類ですから、決して楽しい内容の物ではありませんし、事の重大性の大小はあれどそれなりに集中して読む必要があります。

始皇帝が一日24時間をどう時間配分をして過ごしたかはわかりませんが、いくら一代で中国統一を成し遂げた偉人とは言え一日4時間くらいは眠ったとして、起きて活動しているのは毎日20時間。食事はよくグルメ雑誌とかでも「始皇帝の晩餐」とかで大袈裟に紹介されている、豪華絢爛な満漢全席を本当に食べていたとしたら、どんなに急いで食べても三食で2時間くらいは要したことでしょう。
それに入浴や用便もありますからそれにやはり2時間くらい。
となると趣味と業務に使えるのは16時間といったところでしょうか?他国からの要人の接待や、「郡県制」をしいていたことからも地方への視察などの公務や、個人的な趣味に半分くらい使ったと考えると、平均8時間で来る日も来る日も稟議決裁をしていたと仮定します。

そうすると文書を読む速度は

310,000文字÷(8時間×3,600秒)=10.7638・・・文字/秒

何かピンと来ませんねぇ・・・。

実際のところ、文書を読むスピードは一定の時間内に単純に読める文字数で測ることは難しいと思います。そもそも表意文字である漢字を繋げた漢文や、同じく表意文字である漢字と、ひらがな・カタカナの混在する日本語と、名詞と動詞を繋げた英語や独語などとでは読み方も異なります。一つ言えることはどんな言語であっても文字を一つ一つ読んでいけば、文書の意味がわかるという物では無く、いかに重要な単語や表現を見落とさず、逆にそこだけにポイントを絞って読むか。ということでは無いかと思います。

ですから当時の秦においては、始皇帝の読む文書は書式や形式がかなり細かく規程されていたのではないでしょうか?
まず文書を予算申請とか、制度改訂とか、人材採用とかの内容によって分類する。
そしてタイトルは内容の重点を明確にさせたものとし、更に内容の要約を予算などと共に5W1Hで前文に記載させる。
大体のものはここまで読めば概ね決裁できるレベルになっており、必要に応じて詳細文や添付資料を確認するようにしていたと考えられないでしょうか?

このあたりは現代でも一般的な企業や役所であればごく当たり前の制度ですし、漢字を標準化し、貨幣の統一を行うなど先見性のあった始皇帝です。この程度の制度運用はされていたと思います。そうで無ければダラダラとただ長いだけで要点の無い文書を、本当に集中して毎日毎日文庫本2冊分も読めたとは思えないです。

それより気になるのは「~事の大小に関わらず、すべて自ら決裁し~」という記述ですね。

その辺の企業と一大国家を同一には論じることはできませんが、企業では業績の低迷や外部環境の変動に応じて、企業トップの決裁範囲を広げたり狭めたりすることはよく行われます。
従来は予算1,000万円以上は社長決裁。それ未満なら担当役員決裁としていたものを、社長決裁が500万円以上からになる。とかの制度変更です。
しかし、中にはワンマン経営者が例え10万円の支出でも、すべて目を通す。何ていう例も散見されます。
企業環境が厳しい中での処置ならともかく、通常時までそういった経営体制を貫くことで、経営体制の活性化が遅れてしまい、結果として後継者難とか、新規事業や問題点への迅速な対応遅れなどで企業業績悪化に陥ってしまう例も無いわけではありません。

後年、不老不死を夢見てありもしない蓬莱国の発見に巨額の投資を続けた始皇帝は、ごく一部の側近の意見のみ聞く、などで真の中央集権国家制度の整備や、後継者作りに失敗して大国秦は崩壊します。

来る日も来る日も行政文書や外交文書に目を通し、徹底した「私企業」管理で国家を率いた始皇帝は、あの世で何を思うのでしょうか?


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