子供のころ近所にあった少し大きめの池。先日、久々にその池の側を通ったときに、ふと昔そこに建っていた木造の小屋のような一軒家の記憶がよみがえりました。
ずっと謎であったこの一軒家の家族の生業は、この池から収穫した生き物を加工することでした。
銀色の魚をおろし終え、次にお母さんが始めた作業。
バケツの中から取り出され私の目の前に現れたその生き物は、お母さんに両足を左右の手で握られ逆さづりになった、体長20cmはあろうかというカエルでした。
カエルは自由にならない足の代わりとばかりに、前肢を力士が突っ張りをするようにバタバタとさせています。はた迷惑なイビキをかいて眠るおっさんのようにノドを膨らませ、低いうなるような声で「グムォー、グムォー」と鳴いています。
そんなカエルの空しい抵抗もお母さんは気にも止めずいきなり腕に力を入れると、カエルの両足をエキスパンダーでバストアップを夢見るかのような勢いで「グイッ」と左右に引き離しました。
食パンのCMでふっくらモチモチ感を表現するために、食パンをゆっくりと割く場面がよく見られますが、そんな感じでモッチリと伸びてお母さんの力に抵抗するカエルの股間。それを紙でもやぶくようにお母さんが「エイヤッ!」と引き裂くと、皮の亀裂からカエルのヒョロヒョロとした内臓がこぼれてドロンと流し台に落ちました。
裂けると言うよりグーンと伸びてから「パチン」と切れるようなイメージで、そのカエルは左右に分かれました。
その左右対称になったカエルをまな板に置くと、お母さんはでっかい包丁を右手に持ち、左手でカエルの半裂きを押さえて打ち出の小槌でも振るみたいに包丁をまな板に叩きつけます。
「スコン」と軽快な音がしてカエルの足と半分になった胴体が切り離されると、お母さんはカエルの胴体を流しの中に包丁で黒板をふくように捨てます。
そしてもう半身。
それが終わるとまたまたお母さんはバケツの蓋を少しズラし、中から新たなカエルを取り出しました。
そこからはひたすら「グイッ、ヒョロヒョロ、ドロン、パチン、スコン、ポイッ」のくり返しです。
その初めて目前にし、恐らく今後も二度とお目にかかれない光景に瞠目している私の方を振り返ると、お母さんはニカリと笑いながら話しかけて来ました。
「これね、おいしいよ、少し持ってく?」
フルフルと首を左右にふると、ここからはひたすら妹が一刻も早く戻ってくることを祈るばかりです。しかし妹はなかなか戻らず(単に時間の経つのが長く感じられただけかも・・・)、私は鬼武者も裸足で逃げ出すカエルのジェノサイドにたっぷり付き合う。という苦行に耐えたのでした。
この一家は鯉や鮒などの淡水魚や食用蛙を池で養殖し、それを加工して販売をしていました。当然、物凄くニッチな職業ですから地域でも最高級の中華料理店や料亭に卸していたそうです。と母から聞いたことがあります。
現在は時代が時代ですから、勝手に個人が近所の池で食用の魚介類を養殖して販売するなど許されないでしょう。衛生管理だってどうなっていたかわかりません。
池の周りを歩きながらかつてカエルが半裂きになっていた辺りを眺め、甘酸っぱい思い出に浸るevnc_chckでした(笑。
ずっと謎であったこの一軒家の家族の生業は、この池から収穫した生き物を加工することでした。
銀色の魚をおろし終え、次にお母さんが始めた作業。
バケツの中から取り出され私の目の前に現れたその生き物は、お母さんに両足を左右の手で握られ逆さづりになった、体長20cmはあろうかというカエルでした。
カエルは自由にならない足の代わりとばかりに、前肢を力士が突っ張りをするようにバタバタとさせています。はた迷惑なイビキをかいて眠るおっさんのようにノドを膨らませ、低いうなるような声で「グムォー、グムォー」と鳴いています。
そんなカエルの空しい抵抗もお母さんは気にも止めずいきなり腕に力を入れると、カエルの両足をエキスパンダーでバストアップを夢見るかのような勢いで「グイッ」と左右に引き離しました。
食パンのCMでふっくらモチモチ感を表現するために、食パンをゆっくりと割く場面がよく見られますが、そんな感じでモッチリと伸びてお母さんの力に抵抗するカエルの股間。それを紙でもやぶくようにお母さんが「エイヤッ!」と引き裂くと、皮の亀裂からカエルのヒョロヒョロとした内臓がこぼれてドロンと流し台に落ちました。
裂けると言うよりグーンと伸びてから「パチン」と切れるようなイメージで、そのカエルは左右に分かれました。
その左右対称になったカエルをまな板に置くと、お母さんはでっかい包丁を右手に持ち、左手でカエルの半裂きを押さえて打ち出の小槌でも振るみたいに包丁をまな板に叩きつけます。
「スコン」と軽快な音がしてカエルの足と半分になった胴体が切り離されると、お母さんはカエルの胴体を流しの中に包丁で黒板をふくように捨てます。
そしてもう半身。
それが終わるとまたまたお母さんはバケツの蓋を少しズラし、中から新たなカエルを取り出しました。
そこからはひたすら「グイッ、ヒョロヒョロ、ドロン、パチン、スコン、ポイッ」のくり返しです。
その初めて目前にし、恐らく今後も二度とお目にかかれない光景に瞠目している私の方を振り返ると、お母さんはニカリと笑いながら話しかけて来ました。
「これね、おいしいよ、少し持ってく?」
フルフルと首を左右にふると、ここからはひたすら妹が一刻も早く戻ってくることを祈るばかりです。しかし妹はなかなか戻らず(単に時間の経つのが長く感じられただけかも・・・)、私は鬼武者も裸足で逃げ出すカエルのジェノサイドにたっぷり付き合う。という苦行に耐えたのでした。
この一家は鯉や鮒などの淡水魚や食用蛙を池で養殖し、それを加工して販売をしていました。当然、物凄くニッチな職業ですから地域でも最高級の中華料理店や料亭に卸していたそうです。と母から聞いたことがあります。
現在は時代が時代ですから、勝手に個人が近所の池で食用の魚介類を養殖して販売するなど許されないでしょう。衛生管理だってどうなっていたかわかりません。
池の周りを歩きながらかつてカエルが半裂きになっていた辺りを眺め、甘酸っぱい思い出に浸るevnc_chckでした(笑。
鮒だと思っていたのですが、「鮒だと当たり前過ぎるしなぁ~」とも思っていました。
「カエル」とは・・・、まったく頭に有りませんでした^^;。
ところで、こういう思い出は「甘酸っぱい」のでしょうか^^?。「池の周りを歩きながら」は「甘酸っぱい思い出」もあったのでしょうか^^?。
じゃ、また^^。
後にも先にもカエルを養殖している一家は、私もお目にかかったことはありません。
これは珍しい経験であったと思ってます。
他にもザリガニも飼っていたようですが、今はもうさすがに跡形も無くなっています。
資本を貯めて養殖場を建てられたのかもしれませんが、よくわかりません。