耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

昔“臨時工”、今“非正規社員”~峰村光郎先生からの手紙

2008-01-22 11:13:02 | Weblog
 『週刊 金曜日』1月11日号に新春特別インタビュー「首切りの嵐にどう立ち向かう~存在意義問われる労働組合」という記事があった。“連合”の高木剛会長と“全労連”の坂内三夫議長に編集委員・佐高信が、「ナショナルセンターの共闘の可能性」を中心に今年の運動の抱負を聞いている。読んでいて、なんともパッとしない内容で、とくに“連合”の高木会長の話は歯切れの悪い指導制に乏しいものである。佐高信が「腑抜けた経営者に対してストライキを打つのもいいと思うんですが」と挑発するが、「最近はストライキという刀がなかなか抜けない。できない組合が多いですね」と人ごとのように言っている。

 ストライキのできない組合ばかりだから、資本・経営側になめられて「労働者派遣法」が導入され、これを逐次ほぼ全産業に適用した結果、派遣業者は賃金のピンハネで丸儲け、一方の派遣労働者はカツカツの生活に追い込まれているのだ。このことについては次の記事ですでにふれたとおりである。

 「今は昔の“ストライキ”の話~その1:http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20070817

 「“ワーキングプア”~NHKの特番をみて:http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20071217


 さて、“正社員”でない労働者は“非正規社員(もしくは非正規雇用)”というらしい。一般に、“非正規社員”にはフリーターやワーキングプアと呼ばれる労働者も含まれるようだが、昔は“正社員”を“本工(常用雇)”、“非正規社員”を“臨時工(臨時雇)”あるいは“日雇”などと言っていた。

 1956年、私が造船所に入社した日、1ヵ月間の「日雇契約書」に署名・捺印するよういわれ、「日雇労働者健康保険被保険者手帳」を渡された。この手帳を毎日庶務係に提出して、健康保険印紙(当時16円)の貼付を受けるよう指示された。雇用身分は日給295円の「日雇」。1ヵ月後、1ヵ月更新の「臨時工(臨時雇)」に改められ、その後しばらく経って雇用契約は3ヵ月ごとに更新されることになる。

 「臨時工」の労働条件はまったく同じ仕事をしながら「本工」のほぼ半分。入社1年後、そういう“不条理”は許せないと同志と計らって「臨時工労働組合」を結成、紆余曲折があって組合結成から5年後、「臨時工制度」は撤廃され、試用期間1年で全員「本工」に採用するという「試用工制度」を勝ち取って組合は解散した。私は4年半「臨時工」だった。

 手元に昭和34年8月3日付の古ぼけた一通の手紙がある。差出人は今は故人だが、元慶応大学法学部長で公労委(公共企業体等労働委員会)会長もされた峰村光郎先生である。(注:公労委は1988年10月、中央労働委員会に合体された)
 毎年恒例になっていた「労働講座」の講師として雲仙にお見えになった先生へ、組合執行部の受講者に託して届けた私の手紙に対する返事である。先生の返答は、私の手紙の裏面に書かれていて、質問した内容が明らかだ。要点を抜き出してみよう。

 <…私は慶応義塾の通信教育生として一般教養科目の法学を先生より学んでいます。…。私は一臨時工労働者です。会社には本工が2500名弱、臨時工が約1000名います。本工と臨時工の労働内容は全く同じにもかかわらず賃金はほぼ2分の1です。本年の夏季一時金でみると、本工の平均が4万3000円に対し臨時工平均は2万1700円であります。こうした差別待遇は企業の脱法行為と思われますが、具体的な次の例についてどう解釈すればよいかお訊ねいたします。

 A,B,Cの三人は同じ条件で同じ日に同じ職場に入社しました。年齢も同じで初任給も同じです。入社数年後、この三人に本工登用(登用者数は1名)の機会が廻ってきました。勤務成績に差はないと観られていたのですが、結局Aが本工に登用され、その結果、Aの賃金はB,Cより約3000円(三人の賃金<日給月給>は約8000円)上回ることになりました。このAの労働力とB,Cの労働力の評価の明らかな相違を法律上どのように理解したらよいのか、お教え下さい。

 この「臨時工制度」は単に労働問題のみでなく民法第90条(公序良俗違反)にもふれ、経済、社会一般の問題として多くの不合理が存在していると思われます。機会があれば、もっと赤裸な実態についてご質問申しあげ、私たち労働者の「身分的差別」をなくす糧にしたいと念願する次第であります。>


 これに対し達筆でしたためられた先生の手紙が職場宛に届いたが、その内容は以下のとおりだった。(全文)

 <○○様
 雲仙の講座が終了した後御手紙を係の者から手渡されました。すぐ諫早に出て昨夜唐津に参りました。今日講座が済み次第特別サクラ(注:特急「さくら」号)で帰京します。
 只今唐津の宿で講座に出掛ける前にペンをとったのですが、田舎の宿のことでありレター・ペーパーも封筒もありませんので、御手紙の裏を使わせて頂きます。右の次第ご了承願います。
 
 御質疑の臨時工の労働法上の問題は労組法第17条の協約の一般的拘束力の問題でもあり、労組法3条、4条の均等待遇、同一価値労働同一原則の問題でもあります。これらの問題については普通の労働法の本にも註解が出ていますから御らん下さい。小生も「臨時工~その実体と法律問題」という本を数年前に出版して居ります。
 御手紙によりますと貴社における常用工組合へ臨時工の加入が認められているかどうか判明しません。労組法17条の4分の3、4分の1の割合の条件を欠いているようですが、ご質問のA,B,Cの関係の問題は民法90条の問題ではなく、労働基準法3条の均等待遇の原則に違反していると考えられます。
 
 問題は臨時工組合があるかどうか、若しあるとすれば右様の事態にどう対処しょうとされているかにありますし、また常用工組合がどのように見ているかによって問題解決にとっての難易があります。
 旅先のこと、時間もなく十分お答えするには時間も不足、事情を詳しく承ってからでないと思い違いもありますのでこの程度で御了承下さい。
 労働法の解説書をごらんになれば大抵は御質問のようなことなら説明があります。
   8月3日 朝8時半   唐津の宿にて
                           峰 村 光 郎>

 翌年8月、スクーリングで東京三田の大学に出席した折、約束を取り付け先生の教室を訪ねていろいろご教示を頂いたことを想い出す。こんにち、派遣労働者、パート労働者たちが独自の「ユニオン(組合)」をあちこちで立ち上げつつあるようだが、その輪が広がることを切に祈っている。百数十年前に書かれたルードルフ・フォン・イェーリング(1818~1892)著『権利のための闘争』の冒頭の言葉を、苦難の境涯にある労働者たちは想い起こして欲しい。

 <権利=法の目標は平和であり、そのための手段は闘争である。権利=法が不法による侵害を予想してこれに対抗しなければならない限り~世界が滅びるまでその必要はなくならないのだが~権利=法にとって闘争が不要になることはない。権利=法の生命は闘争である。諸国民の闘争、国家権力の闘争、諸身分の闘争、諸個人の闘争である。
 世界中のすべての権利=法は闘い取られたものである。>

 “正社員”と“非正規社員”の不当待遇は、明らかに労働基準法第3条の「均等待遇の原則」に違反している。この「原則」は歴史の中で「闘い取られた」ものだ。資本・経営側の理不尽な政策、加えて大企業労組の「御用組合化」によってこの「既得権」が侵害されている。イェーリングの言葉通り、これを奪い返すには「闘う」しかないのだ。

 最後に、労働現場における「身分差別」について書いた3月5日の記事をぜひ読んで欲しい。

 「“ウンコ”堀り~労働は商品ではない」:http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/d/20070305


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