耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

山崎豊子著:『運命の人』を読む~「情報犯罪」を繰り返す“国家”

2009-07-23 11:12:38 | Weblog
 山崎豊子著『運命の人』(文芸春秋社)全四巻を読み終え、なんだか空しい気がした。世界は「謀略」そのものに思えるのだ。佐藤栄作に関しては08年12月23日の記事(『“佐藤栄作”の「ノーベル賞」~“遠きは花の香近きは糞の香”』:http://blog.goo.ne.jp/inemotoyama/e/50cf2f04e1faaec3256cd3ad320de7e2)をご参照いただきたいが、小説『運命の人』は、当時の佐藤栄作首相が引退の花道としていた「沖縄返還」にまつわる「密約」をあばいた毎日新聞の西山太吉記者が主人公で、国家権力(最高権力者・佐藤栄作)の汚い手法で完膚無きまで打ち砕かれるジャーナリストの半生を描いている。

 いわゆる「外務省機密漏洩事件」は沖縄返還一年前に起こった。毎日新聞の西山太吉記者(1931~)が、「米側が支払うべき軍用地復元保障費400万ドルを、日本側が密かに肩代わりする」と記載した密約を暴露したのが発端。佐藤政権は、密約を隠蔽するため“国策捜査”なみの姿勢で臨み、「沖縄返還密約事件」を「外務省機密漏洩事件」にすりかえ、資料提供の外務省女性事務官とともに西山記者を逮捕、有罪にしたものだ。しかも、起訴状で「密かに情を通じ」女性を「そそのかした」と情報源をめぐるスキャンダルに仕立てあげマスコミを煽った。山崎豊子さんは「罪を裁かず、モラルだけを裁いた不当な裁判だった」と語る。


 当然のことながら西山記者は、情報源を明かさずいかにしてこの「密約」を社会に知らせるかに苦悩する。新聞には「沖縄返還」をめぐる日米交渉に関し長文の記事を書くが、ここでも「密約」の存在をにおわすに留めた。一面トップのスクープ記事を書きまくってきた敏腕記者西山は、入手した「密約」をデスクや政治部長に見せるが生記事にすることをあくまで拒む。自分が書けば情報源が特定され、迷惑がかかるのは避けられないからだ。思案の末、国会審議の場で取り上げさせる手段を選ぶ。この場面を小説では次のように書いている。

 <横溝は時折連絡してきては、電信文を欲しがったが、弓成は断わっていた。そして、最後の機会である予算委での連日の質問攻めにあっても、政府はのらりくらいで巧みに躱(かわ)し続けた。今日はもう3月27日、あと一日で衆院審議は終り、欺瞞は歴史の裏側に埋没して行く。
 そうはさせない……、弓成はぐいと唇を噛んだ。>

 横溝とは社会党(当時)の横路孝弘議員、弓成は西山記者である。情報だけは横路議員に提供していたのだ。このあと、弓成は部下の小森記者に「扱いを慎重に……、横溝は弁護士だから心得ていると思うが、気をつけて扱うよう弓成が念押ししていたと伝えてくれ」と言い添え、極秘文書のコピーが入った茶封筒を横溝に渡すよう命じる。これがつまづきの始まりだった。横路議員は極秘文書を頭上に掲げ政府を攻め立て、関連質問に立った爆弾男の異名をもつ楢崎弥之助議員(小説では奈良本議員)がこれを援護する。委員会は蜂の巣をつついたような騒ぎになり、ついに文書は外務省当局の目に止まることになるのだ。文書の出所が特定されるのに時間はかからなかった。女性事務官は上司に告白、その上司のすすめで警察に出頭してこの事件は裁判に移る。事件の発生源となった現在衆議院副議長の横路孝弘(民主党離脱中)は今に至るもこの事件に対する自己の公式見解を明らかにしていない。

 裁判がはじまり、国家による「密約事件」が「機密漏洩事件」にすりかわり、週刊誌のスキャンダル報道の主役になったのが女性事務官蓮見喜久子である。西山記者を悪者に仕立てる「告白記事」を書き、堂々とテレビに出演して自己弁護する。病弱だった夫もこれに加わる。『「密約」―外務省機密漏洩事件』(中央公論・1974)の著者澤地久枝は、検察に都合のよい証言を繰り返し、マスコミでの自己主張を続ける蓮見喜久子にインタビューを申し込むが実現しない。澤地は「ひ弱な女性」を演じる蓮見に厳しい目を向ける。

 西山記者の欠慮から、思わぬ展開を見せた事件の犠牲者である情報源の蓮見喜久子は気の毒な人だ。一方、マスコミの卑劣な誘いがあったにせよ、彼女の言動が裁判の結果を左右し、西山記者とその一族のその後の人生を惨憺たる事態に追い込んだ。しかし、三十数年を経てなおこの事件が大きな政治課題として語られるのは、国家権力のあり方を問う政治哲学にかかわるからだろう。それは、マスメディアのあり方を問うテーマにつながる。


 当時、『週刊エコノミスト』コラム「氷焔」で須田禎一は書いている。

 <“言論の自由を尊重するにはやぶさかでないが、それにはおのずから限度があるはず”と佐藤さんはおっしゃる。

 政府がきめる限度内に“自由”をおしこめることは、とりもなおさず言論の自由がふみにじられることを意味する。

  良薬は口に苦し。
  直言は耳にさからう。
  新聞記者はタイコモチではない。

 この単純な真理を理解できない為政者には、即刻やめてもらうほかない。


 “政府内に秘密のあることは、基本的に反民主主義的であって、官僚主義的誤りを永続させることになる。公けの争点を公開で討論することは、われわれの国の健康にとって肝要である”――
 米連邦最高裁のダグラス判事はベトナム秘密文書掲載の『ニューヨーク・タイムス』事件についての判決文のなかで、こう言っている。

 
 佐藤さんにお訊ねしたい、
 われわれの国の政治を“健康だ”とお考えになるのかどうか。
 
 (以下略)>(1972年4月18日号)


 この事件当時、佐藤栄作の「ノーベル平和賞」受賞の話が内々進んでいた。栄光の花道を汚す者たちを「粛清」しておく必要があったのだろう。もう一人の佐藤、起訴状に「密かに情を通じ」と書いた担当検事・佐藤道夫(のち民主党参議院議員)は、その起訴状を生涯自慢にしていたらしい。


 米国で機密文書が公開され、当時の外務省高官の「密約」証言があっても、政府はいまなお「関係文書」の存在を否定し続ける。山崎豊子さんは、いつものように徹底した取材で本書を書き上げているが、「外務省の取材はお手上げに近かった」と述懐する。だが、『沖縄密約~「情報犯罪」と日米同盟』(岩波新書)を書いた当事者の西山太吉氏やその他の関係者によって、この国が「国家犯罪」というシロアリによっていかに食い荒らされているかが明らかになりつつある。官僚組織の隠蔽体質は戦前戦後を通じ変わらず、ウソやゴマカシで世間を渡る異質の社会であることを国民はもう気付いている。ここで、山崎豊子さんの言葉を噛みしめたい。

 <私はこの物語を悲劇として描きました。この悲劇をもたらした国家権力に対する、強い怒りをこめたつもりです。>


 ついでに、関連年表を添え、ご参考までに西山太吉氏の動画発言をリンクしておいた。
 
◆1971年6月17日 
「沖縄返還協定」日米間で署名調印。
◆1972年5月15日 
「沖縄返還協定」正式発効。
◆1972年3月27日 
社会党の横道孝弘議員が外務省極秘電信を暴露。
◆1972年3月30日 
外務省の内部調査で、女性事務官(蓮見喜久子)は「私は騙された」と西山太吉記者に機密電を手渡したことを自白。
◆1972年4月4日
外務省職員に伴われて女性事務官が出頭、国家公務員法第100条(秘密を守る義務)違反で逮捕。
同日、同111条(秘密漏洩をそそのかす罪)で西山記者も逮捕。
◆1972年4月5日
毎日新聞は朝刊紙上「国民の『知る権利』どうなる」との見出しで、取材活動の正当性を主張。政府批判のキャンペーンを展開。
◆1972年4月6日
毎日新聞は西山記者が女性との情交関係によって機密を入手したことを知る。しかしこの事実が公になることはないと考え、キャンペーンを継続。
◆1972年4月15日
検察側は起訴状で「女性事務官をホテルに誘って密かに情を通じ、これを利用して」という文言で被告人両名の情交関係を強調、これがその後の裁判の行方を決めることになる。
なお、「密かに情を通じ」の文言を書いたのは、先日亡くなった当時の担当検察官・佐藤道夫元参議院議員(民主党)である。
毎日新聞は夕刊紙上で「道義的に遺憾な点があった」とし、病身の夫(元外務省職員)をもちながらスキャンダルに巻き込まれた女性事務官に謝罪したが、人妻との「情交」によって入手した情報へ世間の非難が集中、抗議の電話が殺到した。反響の大きさに慌てた毎日新聞は編集局長を解任、西山記者を休職処分にした。
◆1974年1月30日
一審判決。
女性元事務官は事実を認め、懲役6月執行猶予1年、西山記者は無罪の判決が下る。
検察は西山記者を控訴。
ここまでの過程で、核心の「密約」に関するマスメディアの疑惑追及は完全に失速。
草の根的不買運動と石油ショックで経営不振に見舞われた毎日新聞は、翌年に会社更生法適用を申請。
この年、佐藤栄作元首相が「核抜き本土並み」の沖縄返還を実現した業績が評価され「ノーベル平和賞」を受賞する。
◆1976年7月20日
二審判決。西山記者に懲役4月、執行猶予1年の有罪判決。西山側は上告。
◆1978年5月30日
最高裁が上告棄却。西山記者の有罪が確定。
◆2000年5月
琉球大学我部政明教授が「密約」を裏付ける米公文書を発見。
◆2002年
米国公文書館の機密指定解除に伴う公開で、日本政府が否定し続ける「密約」の存在を示す文書が見つかる。
川口順子外相は記者会見で「事実関係として密約はない」と答える。
◆2005年4月
西山記者が損害賠償と謝罪を求めて政府を提訴。
◆2006年2月8日
対米交渉を担当した当時の外務省アメリカ局長吉野文六氏が「返還時に米国に支払った総額3億2000万ドルの中に原状回復費用400万ドルが含まれていた」と述べ、関係者として初めて「密約」の存在を認めたことを『北海道新聞』が報道。
安部官房長官はこれを否定。
◆2006年2月24日
吉野文六氏が『朝日新聞』の取材に対し当時の河野洋平外相から「沖縄密約」の存在を否定するよう要請されたと証言。
これに対し河野氏は「記憶にない」とコメント。
◆2007年3月27日
「西山国賠訴訟」、一審で「損害賠償請求の20年の除斥期間を過ぎ、請求の権利がない」と「密約」にはふれることなく門前払い。
原告控訴する。
◆2008年2月20日
二審も敗訴。原告は最高裁に上訴。
◆2008年9月2日
最高裁が上告棄却。


 「沖縄密約訴訟―地裁判決後集会」:http://www.youtube.com/watch?v=A4I_7M13Q2I

 「国の密約に挑む―情報公開の闘い」:http://www.youtube.com/watch?v=Or1hC_Yubd4


最新の画像もっと見る