耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“ウンコ”掘り~「労働は商品ではない」

2007-03-05 10:43:05 | Weblog
 私の身内M女は、5年前の定年まで15年間、東京都内の旧国立病院に「賃金職員(非常勤職員 看護助手)」として勤務、一昨年から人手が足りないからパートで来て欲しいと要請され、再び働いている。

 賃金職員とは<日日雇用で任用予定期間が定められている職員>のことで、その身分は国家公務員法第2条第2項に規定する一般職に属し、処遇としては非常勤職員としての取り扱いを受ける。

 M女が勤務する脊損病棟はいわゆる3K労働現場である。彼女のある日の勤務の一部をみてみよう。

 〔三人の看護婦は検温、体向(褥創患者の体位変換)の後、摘便(ウンコ掘り)の準備にかかる。摘便は一日7,8名、臨時がはいると12,3名にもなる。患者を左向きに寝かせて紙便器(新聞紙を直径30cmほどの丸い器にした手作りのもの)の上に半分に切ったオムツを乗せ臀部の下に敷く。そして自発排便ができない患者の状態にあわせてグリ浣(グリセリン浣腸)、レシカル(レシカルポン坐薬)の処置を施す。オペ前の患者があれば高圧浣腸が行われる。

 この間、彼女は尿器(2千cc)から集尿瓶(3千cc)に集めた尿量を計測し、終った瓶は汚物室の消毒液に浸けておく。9時、深夜の看護婦は終業となり、早番の看護婦と彼女は摘便にかからなければならない。彼女は排便を促すため横向きになっている患者の腹部を時計回りに押す役である。

「はい、便を片付けますョ」
 排便準備の施されている患者に声をかけながら、看護婦は布団を捲る。紙便器には山ほどのウンコである。
「まァ、まァ、よく出ましたネ。これじゃ掘る必要はないか」
 と言いながら看護婦は指を挿入する。
「あら、まだあるわ。Mさん押してみて」
 彼女の腹押しで降りてくる便を二本の指で掻き出しながら、
「あ、降りてきた、降りてきた。これでお仕舞いみたいネ。今日はよく出ましたネ」
 
 一人のウンコ掘りが終るとM女はスキナをつけた古着の切れ端でお尻を下拭きし、摘出した汚物と一緒に新聞紙に包み黒のビニール袋に収納しておく。お尻を赤いタオルで清拭するのは看護婦の仕事である。

 一人が終って次に移る。
「どう、出た?」
「わからんよ」
 麻痺患者に自覚はない。布団を捲ってみると、
「あら、入り口で栓しているわヨ」
 小石大のウンコが肛門を塞いでいるのである。看護婦はまずそれを摘み出したあと指を入れて探る。
「おや、おや、コロコロだワ。これじゃひっかかるはずだ。下剤飲んでますか」
「いや、飲んでない」
「少し飲んだがいいわヨ」
 M女はせっせと腹押しをする。
「あぁ、まだあるけど、私の指短いから届かない。耳かきが欲しいワ」
 そう言って嗤う看護婦に、
「それより孫の手がいいじゃない?」
 とM女は合いの手を入れる。看護婦の哄笑につられて患者も吹き出している。
「あら、孫の手いらないワ。笑ったら出て来ちゃった」
 決して愉快とはいえない労働を包み匿すように、時には落ちのついた会話で患者を和ませながら作業を進めるのである。

 また、こんな患者もある。掘っても掘っても出て来るのだ。きっと外出で過食したに違いない。
「まったく締りのないお尻だから」
 看護婦がぼやくと、
「俺のせいじゃないよ」
 と患者も恨めしそうに呟く。
「まァ、いいか」
 そう言っていい加減なところで切り上げたりすると、あとで二回目を掘らされる羽目になる。

 時には、オナラ腹を掘っていて、突然、ビビビビッと実(み)が飛び出して、襲われた看護婦を嘆かせる。自己本来の肉体でありながら、統御できなくなった身体機関の作為なき暴走を誰も責められはしない。泣き笑いの表情を堪(こら)えてひたすら恐縮する患者に、
「うん、もうッ。失礼なお尻ねッ」
 と看護婦は発射口を睨みつけるしかない。

 摘便を終了すると、M女はビニール袋に包んでおいた汚物を一纏めにして廃棄物専用のダンボールに収納し、廊下を引き摺って指定場所に搬出する。〕


 
 八年前に出版した「自著」から引用したが、この脊損病棟には三人の「看護助手」がいて二人は正職員である。賃金職員のM女の処遇は、全く同一の勤務実態ながら、福利厚生面を含めて正職員のほぼ半分といっていい。私はたびたび、M女に「不当差別」を公的に訴えるよう勧めたが、雇用継続の解消を怖れ同意しなかった。国家公務員法が過去の労働判例を無視してこうした差別を温存しているのはなぜか。

 最大の理由は、労働組合が労働法に無頓着で、処遇差別・身分差別に鈍感であるばかりか、「社会正義」に立ち向かう気力を喪失してしまい、こうした実態を放置してきたからである。いったん退職したM女に声がかかったのは、3K労働が敬遠され働き手がいないので、クソ真面目だった彼女に目をつけたというわけだ。悲しいかな「労働力」、しかも「単純労働力」しか所有しない生活者は、コルセットを腰に巻きながらでもきつい労働現場で働くしかない。経団連御手洗会長、派遣会社社長奥谷禮子ら労働者を「商品」と見做す連中には、前近代的な雇用実態が随所に温存されているのが見えないのだ。

 今日も参議院予算委員会で「格差問題」が論議されているが、その論議が無意味だとは言わないまでも、国会に依存せず、労働者に降りかかる「社会的不正義」には労働組合が決起して世論に訴えるのがスジというものだろう。恵まれた待遇に満喫する大企業労働組合の正社員と公務員正職員が中心の「連合」は、いまや企業・役所と「運命共同体」の組織になりさがり、欧米諸国のように「社会正義」のためには敢然とストライキで立ち向かう覇気が全く失せてしまっている。私の知る限り、「連合」幹部のほとんどが、労働者の基本的権利であるストライキを「社会悪」とみているのだ。M女が勤務する職場では組合脱退者が相次ぎ、かわりに「ご利益」に乗せられて入信する創価学会員が増えたという。いかがわしい団体が増長する原因を作っているのは、ほかでもない労働者にとっては糸の切れた“凧”のような労働組合なのである。

 労働基準法第三条は「差別禁止」を定めている。労働組合の任務は、なにはともあれ労働基準法の定めを使用者に遵守させることだ。戦前戦後を通じ、政府・資本家は労働者からの搾取を最大化するため季節工・日雇い工・臨時工などさまざまな呼称を並べ立て、雇用差別・身分差別を行なったが、1960年代半ばまでの労働組合は、こうした政府・資本による差別と闘ってきた。ところが、米国務省「招待組」と言われた労使協調派組合幹部がアメリカ留学から帰ってわが国主要労組を牛耳り、これが政府・資本と同調しながら「市場原理主義」に基づく「労働者派遣法」などの悪法を労働者に押し付けてしまったというのが今日の実態である。

 わが国の労働組合、とくに労使運命共同体を標榜する「連合」指導部は、1944年5月10日、国際労働機関総会で採択された<フィラデルフィア宣言>を思い起こすべきだろう。


<総会は、この機関の基礎となっている根本原則、特に次のことを再確認する。

(a)労働は商品ではない。
(b)表現及び結社の自由は、不断の進歩のために欠くことができない。
(c)一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である。
(d)欠乏に対する戦は、各国内における不屈の勇気を持って、且つ、労働者及び使用者の代表者が、政府の代表者と同等の地位において、一般の福祉を増進するために自由な討議及び民主的な決定にともに参加する継続的且つ協調的な国際的努力によって、遂行することを要する。>

 今から60年以上前に、ILO(国際労働機関)は「労働は商品ではない」と高らかに宣言した。さらに「一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である」とも言っている。これらが人類にとっての普遍的な「原則」と言っているのである。この「原則」の実現に向かって努力するのが労働組合に課せられた責務なのだ。「院内」に頼ることなく、「院外」で労働者大衆の怒りを爆発させる組織に変貌しない限り、ジリ貧状態の組織率の低下は食い止められはしないだろう。