耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“市町村合併”~長野県栄村が教えるもの

2008-01-18 09:04:50 | Weblog
 「平成の大合併」で、馴染みの町や村が消えていく。郷里の町も、古い温泉で知られた隣町と合併し、その温泉町の名をとって新しい市になった。しばらくは馴染めず、従兄や旧友への便りも旧宛名で出す始末。今年の年賀状は初めてパソコンで宛名書きして済ませた。1999(平成11)年3月末に3,232あった市町村が、2006(平成18)年4月には1,820にまで減った。2005(平成17)年4月施行の「合併新法」の期限である2010(平成22)年3月まで合併は進むとみられている。

 政府は合併の主要なネライを、
○自治体財政力の強化
○生活圏の広域化に対応
○政令指定都市や中核市・特例市に権限委譲
などに置いているようだが、「ハコモノ行政」で疲弊した地方自治体の鼻先に財政支援というエサをぶらさげて、苦しい国家財政のつじつま合わせ、ないしは問題先送りに「合併」を利用しているようにも見える。

 政府主導のこの合併ブームには批判も少なくないようだが、福島県東白川郡矢祭町(やまつりまち)は「合併しない宣言」をいち早く打ち出して注目された。六期24年務めた前町長の根本良一は、収入役の廃止、議員定数を18人から10人に削減、庁舎清掃は町長以下全職員でするなど、徹底した財政削減策を講じて成功する。なかでも住民基本台帳ネットワークシステムに非接続、図書館設立に際し蔵書の寄贈を募り全国から約43万5000冊集めたこと、介護保険料が福島県一安いなどで注目をあび、テレビなどでも紹介され全国の顔として話題をさらった。その行政実績は後任の町長に受け継がれているという。

 参照:「矢祭町」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E7%A5%AD%E7%94%BA


 この矢祭町同様「合併しない宣言」をした市町村がいくつかあるようだが、宣言をしないまでも「自立(自律)」を掲げて苦闘している素晴らしい村がある。『東京新聞』WEB版に今年元日から連載されている『結いの心 市場原理と山里』は、日本一の豪雪地である長野県下水内郡栄村の生き残りをかけた凄絶とも言える物語である。

 “栄村”(村長・高橋彦芳)は「中央政権による一律(高基準)の補助金を受けた場合、補助金はあくまで補助金であるため、当地の財政は破綻すると考えた村長は、独自の政策を掲げて運営してきた。」という。具体的にみると、「“紐付き”補助金に頼らない田直し事業や、山間の“下駄履きヘルパー”を派遣する事業を実施するなど、過疎地にあわせた政策を展開している」と紹介されている。

 参照:「栄村」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%84%E6%9D%91


 さて、『東京新聞』の連載『結いの心 市場原理と山里』だが、元日から「村長の夢 (1)~(6)」引き続き「米づくり(1)~(8)」(17日現在)となっている。これは必見の“物語”である。どういう内容かはリンクを見てほしいが、「村長の夢(2)」の「『百姓』の誇り 合併反対」(1月3日)を収録して、ご参考に供したい。

 <その日は、栄村(長野県)にとって運命の日だった。

 「栄村は自立の村づくりを進める」

 2004年1月30日。合併を問う村議会で、村長の高橋彦芳(79)は公式に決意表明した。自立か合併か。採決の二時間前、合併推進派はすし店に集結し「一票差で勝てる!」。だが、多数決の結果は村長に同意。おもいもかけない「裏切り」のためだった。

 結束を破った桜沢恒友(75)は採決前、言いようのない「迷い」を感じていた。桜沢は一町二反(約1万2千平方メートル)の田を耕す「代々の百姓」。高度成長の1960年代、冬は東京で過ごした。三世代の大家族を養うため、新宿・歌舞伎町で「焼きイモのバイ(売)」をする出稼ぎだった。

 酔客が面白いように買ってくれた。空き缶にどんどんたまる百円玉。「よう儲(もう)かったなぁ」と振り返る。よく売れたのは九州産。二つに割ると黄色の実からモワッと上がる湯気。「いいイモつくるよなぁ」。ネオンと喧騒(けんそう)のど真ん中で一人の「百姓」に戻り、見知らぬ「百姓」をたたえていた。

 「だけど、おれも米つくりなら誰にも負けねぇ。日本一って自負はある」

 都会の主婦から「デパートの最高級の米よりおいしいです」という手紙も受け取った。稼ぎがどれだけだろうが、米作りを捨てようと思ったことはない。

 採決前。一人の「百姓」として立ち止まった。「合併しなきゃやっていけんほど、ここは“駄目なところ”なんか」。何で立ってんだー。合併派の面々は目を疑った。桜沢が村長に「同意」の起立をしていた。

 隣接する飯山市にはやがて北陸新幹線の駅ができる。「合併で新幹線のある市になりゃ若いもんも(村に)残る」。合併派は「裏切りもん」と今も桜沢に憤る。

 消えてはよぎる問い。高橋も同じだった。「首長としてはなぁ」。長いものに巻かれ、大樹に寄るのが山村行政の常識。巨大な風車に向かうドン・キホーテになりはしないかーと。

 幼いころの忘れがたい記憶がある。

 「こんな猫の額のような狭いところにいるより広い満州(中国東北部)を目指せ」。戦前、都会から来た若い教師の口癖に、高橋は「この野郎」という怒りを胸にためた。イネを背負い田んぼで山鳥を追いかけた。学校帰りに飛び込んだ夏の川、河原の石のじんわりとしたぬくもり。父と糸を垂らしたイワナ釣り。ふるさとを「猫の額」と切って捨てる物言いが、幼心に許せなかった。

 そして今、効率論が山村切捨てに向かう。ふるさとの価値に気づかない日本人が、ふるさとを踏みにじる。

 先月、高橋は今期限りでの引退を表明した。

 「いくらか、きっかけはつくれた。あとは一人一人の自立。自分たちで考え、自分たちで守る。でないと、山っぺたの小さな村なんて簡単にのみ込まれちまう」

 自然と田園と人の絆(きずな)~お金に換えられない村の宝を守るのは“一人のリーダー”ではない。そのことに、高橋は気づいている。>

 『結いの心 市場原理と山里』:http://www.tokyo-np.co.jp/feature/yui/

 
 「村長の夢(6)」は「田守り“ここで土になる”」で終わるが、その冒頭はこうである。

 <今春、長野県栄村の村長を退き何をやるか。高橋彦芳(79)はもう決めている。

 村長をはじめ三十ほどの肩書をすべて捨てても、これだけは外せない。「百姓さ。おれは根っからの百姓だから」…>


 多くの場合、「何を捨て、何を守るのか」の民意が十分には問われないまま、市町村合併が進行してはいないか。

 話は飛ぶようだが、長崎県、佐賀県は「地元同意条件」を踏みにじって長崎新幹線建設を強行しようとしている。新幹線は本当に必要なのか。長崎県は巨大開発「諫早湾干拓事業」の失敗から何も学んでいないらしい。少数派を切り捨て、弱いものの立場への配慮を忘れた行政が、地方を疲弊させ、過疎化を加速させ、国土の荒廃を招いているのではないのか。栄村の事例から学ぶべきことは多いはずだ。

 「栄村ホームページ」:http://www.vill.sakae.nagano.jp/