耳を洗う

世俗の汚れたことを聞いた耳を洗い清める。~『史記索隠』

“貴あれば賎あり”ということ

2008-01-16 23:16:42 | Weblog
 被差別をテーマにした小説『橋のない川』を書いた“住井すえ”(1902~1997)は、「石川君が心配だ」とずっと言っていたと、娘の“増田れい子”(元毎日新聞論説委員・エッセイスト)が語っている。

 <最後までその思いをもって、あの世へ行った。あの世へ行ったら天国か地獄かどちらがいいと聞かれると「地獄のほうがいい。昭和天皇も行ってるじゃないか。あの人といろんなことを話して、いろんなことを明らかにしたい。あの世へ行ってからの楽しみだ」といっていた。>(2005年5月24日・「狭山事件の再審を求める市民集会」http://www.sayama-case.com/appeal.html

 「石川君」とはもちろん、戦後最大の冤罪事件とされる「狭山事件」の[被告人]“石川一雄”氏のことである。

 参照:「狭山事件」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AD%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 「石川君が心配だ」と言っていた“住井すえ”は、永六輔との対談で「住井さんに影響を与えた方というのはいらっしゃいますか」と問われて「幸徳秋水ただ一人です」と答えている。

 <…あの6月2日か3日かに幸徳事件が新聞に発表になったとき、校長が子供を運動場に全部集めて訓辞をやったときにね、一から十まで私が考えているのと同じことを幸徳がいっているんですよね。だから私はこの世の中に同志がいた、と。校長が批判する貧富の差をなくす、天皇制という制度を廃止する、両方ともいいことだと私は思ったね。…>(住井すえと永六輔の『人間宣言(じんかんせんげん)』/光文社)

 その幸徳秋水が首謀とされた「幸徳事件」では、1910(明治43)年、「大逆罪」(旧刑法第73条「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」)に問われ12名が絞首刑に処せられた。
 
 参照:「幸徳事件」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E5%BE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 「狭山事件」同様この「幸徳事件」もいわゆる「権力」による謀略だったことは、戦後明らかになった隠匿資料によって暴かれたが、実は、当時から明治政府の謀略であることは周知のことであった。徳富蘆花は12名の処刑8日後、一高生への講演で述べている。

 <諸君、幸徳君らは、時の政府に謀叛人と見做されて殺された。諸君、謀叛を恐れてはならぬ。新しいものは、つねに謀叛なのである。…
 身を殺しても、魂を殺す能わざる者を恐るるなかれ。肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂である。…幸徳らは、政治上に謀叛して死んだ。死んでもはや復活した。墓は空虚だ。いつまでも墓に縋りついてはならぬ。>

 戦前も戦後も「権力」(もしくは「権威」)の実相に変わりはない。野間宏・安岡章太郎編『差別~その根源を問う上・下』(朝日選書)は、被差別出身の作家中上健次や在日朝鮮人詩人の金時鐘、水上勉ら作家数人、民俗学者、弁護士による「狭山事件“最高裁決定”の背景を掘り起こす」としてその辺の事情にもふれていて格好の手引きである。

 1927(昭和2)年、軍隊内の差別問題で天皇に直訴し陸軍衛戌監獄に入獄し、戦後も解放同盟の指導者だった“北原泰作”は自著『の後裔~わが屈辱の抵抗と半生』(筑摩書房)でこんなことを書いている。

 <の住民はすべて浄土真宗の門徒であるが、老人はとくに熱心な信者であった。現世の苦悩は前世からの宿業だと信じている彼らは、ひたすら死後の世界に救いを求めて極楽浄土にあこがれた。後生願いといわれる人たちが主催して、年に一度はかならず先祖の霊をなぐさめるための合同法要がいとなまれた。西本願寺の布教師という肩書を持つ僧侶がその法要に招かれて、説教の講座にのぼった。
 ~鶴の脚は長い脚、亀の脚は短い脚、その身そのまんまのお助けじゃぞよ~
 高座の説教師が抑揚のある節をつけて法話を語ると、満員の信者たちは一斉に合掌して、「ありがとうございます」といい、「なまんだぶ、なまんだぶ」と念仏を唱えた。
 いわゆる節談説教というやつである。差別と貧乏に苦しむ彼らにとって、無差別平等の救いを約束する仏の教えこそ唯一の解放の光明であったのだ。>

 「一向一揆」敗退後に創出された被差別だが、それから400年後、民の心の支えとなったのは、あの自分たちを裏切ったはずの「転向宗教」であったことを“北原泰作”はあぶりだした。

 「鶴の脚」とは「貴」のことである。「亀の脚」とは「賎」のことである。「貴あれば賎あり」ということだ。“住井すえ”が「天皇制の廃止」をいうのは、これをなくさないかぎり「真の平等」はあり得ないとみるからである。

 最後に、「幸徳事件」に連座し、死刑から無期懲役に減刑された浄土真宗の僧侶・高木顕明師だが、事件後、浄土真宗大谷派は高木師を[ひん]斥処分にした。
 (注:[ひん]=手偏に賓)
 その経緯および戦後(事件から80年後)やっと処分取り消しを通達した大谷派本山の記録をリンクしておく。

 参照:「処分の経緯」http://www1.ocn.ne.jp/~jyosenji/taigiyakujiken.htm

    「処分取り消し」http://www1.ocn.ne.jp/~jyosenji/kokuji.htm