わが国初代文部大臣森有礼は米国の学者ホイットニー宛に手紙を書いた。
<わが国の最も教育ある人々および最も深く思索する人々は、音標文字phonetic alphabetに対するあこがれを持ち、ヨーロッパ語のどれかを将来の日本語として採用するのでなければ世界の先進国と足並をそろえて進んでゆくことは不可能だと考えている>(英文著書『日本の教育』〔Education in Japan〕1873)
(参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9C%89%E7%A4%BC)
<これに対してホイットニーは、言語はその種族の魂と直接に結びついたものであるから、そう安易に放棄するなどと言ってはならない、と森に忠告した」>という。(高島俊男著『漢字と日本人』/文春新書:以下<>は同書より引用)
<森はまた、言語だけでなく人種も変えるべきであるととなえ、日本の優秀な青年たちはアメリカへ行って、アメリカ女性と結婚してつれ帰り、体質・頭脳ともに優秀な後代を生ませよ、とすすめた。>
明治維新後、西欧に「追いつけ追いこせ」を合言葉に「脱亜入欧」を国是としたわが国だったが、文部大臣が歴史ある「国語」を棄て、「西欧語」に転換すべしと主張していたのである。これは森有礼だけが特異とする発想ではなく、明治の有識者の間では有力な説だった、と高島俊男は述べている。
ところが、世界で最初に「働かざるもの喰うべからず」と言ったという江戸中期の思想家・安藤昌益(1703?~62)は、理想とする「自然ノ世」にとんでもない「怪シキ倫(トモガラ)」(曲者)があらわれたと、こんなことを言っている。
≪文字制度などというふとどきなものを作った連中がその曲者どもである。文字のせいで支配と反乱の歴史が始まった。インドでは迷える大衆と、悟った仏というでっちあげの宗教が出現し、日本ではイザナギ、イザナミなどの神話が捏造されてしまった。それからというものは、支配と反乱、迷いと悟り、ありもしない神々が入り乱れ、世の中は混迷して安らぐこともない。≫(参照:井上ひさし著『ニホン語日記』/文芸春秋社)
「安藤昌益研究会:http://www006.upp.so-net.ne.jp/hizumi/」
(参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E6%98%8C%E7%9B%8A
井上ひさしは、安藤昌益が最初の「漢字制限論者」だったと言っている。ついでにふれておくと、井上ひさしは「カタカナ先修」論者で、いまの「平仮名先修」にはいくつかの欠点(たとえば「い・こ・り」「う・ら・ろ」などの類似)があって、漢字の素(もと)であるカタカナを先に教えたほうが「漢字仮名交じり文」学習への移行がスムーズにいくという。
話をもとに戻すが、日本語から西洋の言語に転換する「漢字廃止論」は、「表語(表意)文字」から「音標文字」への転換を意味する。一字一字が語意をあらわす文字からアルファベットやかなのような音だけをあらわす文字への移行である。明治政府は明治30年代に音標文字化を国の方針にした。
おもしろいことに漢字の本場中国でも、音標文字化を国の方針としているという。1912年に成立した中華民国も1949年に成立した中華人民共和国も音標文字を目指した。
<…漢語には漢字が一番あっているのである。…しかし中国人は「人類の文字は象形文字から音標文字へと進む。それが文字の進歩である」と思った(いまもそう思っているらしい)。なぜそう思ったのかというと、西洋で音標文字を使っているからである。>
阿辻哲次著『漢字のいい話』(大修館書店)に「漢字廃止論」のわかりやすい解説がある。
「これまでの長い間、覚えにくい文字とされてきた。漢字はそれぞれの字形が難しいだけでなく、さらには漢字を使って日本語を書くためには、かなりの数の文字を覚えなければならないという条件がある。ちなみに現在の日本で、日常の言語生活における漢字使用の目安とされている「常用漢字表」には全部で1945種類の漢字が収められているのだが、それだけでは足らないのが現実である。しかし英語ならばたったの26文字のアルファベットだけで文章が書けるのだし、大文字と小文字を区別したって、わずか52種類にしかならない。日本語でももし漢字を使わず平仮名かカタカナだけで書くのなら、せいぜい50字たらずの文字を覚えれば用が足りる。だから漢字のような「前近代的」でめんどうくさい文字を使わず、日本語を平仮名かローマ字だけで書こうという主張と試みが、かつてはさかんに行なわれた。」
わが国の「国語問題」の変遷にはかつ目すべき話題が満載されている。戦後、志賀直哉が国語をフランス語にかえようと提案したのは有名な話だが、いまなおローマ字だけで書かれた雑誌が発行されているらしい。
参照:http://www.halcat.com/roomazi/ron1f.html
「漢字がもたらした日本語の不思議」を教える『漢字と日本語』は一読に値する。なお、大要は次をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E5%9B%BD%E5%AD%97%E5%95%8F%E9%A1%8C
<わが国の最も教育ある人々および最も深く思索する人々は、音標文字phonetic alphabetに対するあこがれを持ち、ヨーロッパ語のどれかを将来の日本語として採用するのでなければ世界の先進国と足並をそろえて進んでゆくことは不可能だと考えている>(英文著書『日本の教育』〔Education in Japan〕1873)
(参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%9C%89%E7%A4%BC)
<これに対してホイットニーは、言語はその種族の魂と直接に結びついたものであるから、そう安易に放棄するなどと言ってはならない、と森に忠告した」>という。(高島俊男著『漢字と日本人』/文春新書:以下<>は同書より引用)
<森はまた、言語だけでなく人種も変えるべきであるととなえ、日本の優秀な青年たちはアメリカへ行って、アメリカ女性と結婚してつれ帰り、体質・頭脳ともに優秀な後代を生ませよ、とすすめた。>
明治維新後、西欧に「追いつけ追いこせ」を合言葉に「脱亜入欧」を国是としたわが国だったが、文部大臣が歴史ある「国語」を棄て、「西欧語」に転換すべしと主張していたのである。これは森有礼だけが特異とする発想ではなく、明治の有識者の間では有力な説だった、と高島俊男は述べている。
ところが、世界で最初に「働かざるもの喰うべからず」と言ったという江戸中期の思想家・安藤昌益(1703?~62)は、理想とする「自然ノ世」にとんでもない「怪シキ倫(トモガラ)」(曲者)があらわれたと、こんなことを言っている。
≪文字制度などというふとどきなものを作った連中がその曲者どもである。文字のせいで支配と反乱の歴史が始まった。インドでは迷える大衆と、悟った仏というでっちあげの宗教が出現し、日本ではイザナギ、イザナミなどの神話が捏造されてしまった。それからというものは、支配と反乱、迷いと悟り、ありもしない神々が入り乱れ、世の中は混迷して安らぐこともない。≫(参照:井上ひさし著『ニホン語日記』/文芸春秋社)
「安藤昌益研究会:http://www006.upp.so-net.ne.jp/hizumi/」
(参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E6%98%8C%E7%9B%8A
井上ひさしは、安藤昌益が最初の「漢字制限論者」だったと言っている。ついでにふれておくと、井上ひさしは「カタカナ先修」論者で、いまの「平仮名先修」にはいくつかの欠点(たとえば「い・こ・り」「う・ら・ろ」などの類似)があって、漢字の素(もと)であるカタカナを先に教えたほうが「漢字仮名交じり文」学習への移行がスムーズにいくという。
話をもとに戻すが、日本語から西洋の言語に転換する「漢字廃止論」は、「表語(表意)文字」から「音標文字」への転換を意味する。一字一字が語意をあらわす文字からアルファベットやかなのような音だけをあらわす文字への移行である。明治政府は明治30年代に音標文字化を国の方針にした。
おもしろいことに漢字の本場中国でも、音標文字化を国の方針としているという。1912年に成立した中華民国も1949年に成立した中華人民共和国も音標文字を目指した。
<…漢語には漢字が一番あっているのである。…しかし中国人は「人類の文字は象形文字から音標文字へと進む。それが文字の進歩である」と思った(いまもそう思っているらしい)。なぜそう思ったのかというと、西洋で音標文字を使っているからである。>
阿辻哲次著『漢字のいい話』(大修館書店)に「漢字廃止論」のわかりやすい解説がある。
「これまでの長い間、覚えにくい文字とされてきた。漢字はそれぞれの字形が難しいだけでなく、さらには漢字を使って日本語を書くためには、かなりの数の文字を覚えなければならないという条件がある。ちなみに現在の日本で、日常の言語生活における漢字使用の目安とされている「常用漢字表」には全部で1945種類の漢字が収められているのだが、それだけでは足らないのが現実である。しかし英語ならばたったの26文字のアルファベットだけで文章が書けるのだし、大文字と小文字を区別したって、わずか52種類にしかならない。日本語でももし漢字を使わず平仮名かカタカナだけで書くのなら、せいぜい50字たらずの文字を覚えれば用が足りる。だから漢字のような「前近代的」でめんどうくさい文字を使わず、日本語を平仮名かローマ字だけで書こうという主張と試みが、かつてはさかんに行なわれた。」
わが国の「国語問題」の変遷にはかつ目すべき話題が満載されている。戦後、志賀直哉が国語をフランス語にかえようと提案したのは有名な話だが、いまなおローマ字だけで書かれた雑誌が発行されているらしい。
参照:http://www.halcat.com/roomazi/ron1f.html
「漢字がもたらした日本語の不思議」を教える『漢字と日本語』は一読に値する。なお、大要は次をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E5%9B%BD%E5%AD%97%E5%95%8F%E9%A1%8C