松下幸之助氏(パナソニック創業者)のもとで23年側近として過ごした江口克彦氏。若手ビジネスパーソン向けの連載として好評だった上司と部下の「常識・非常識」に続いて、「50歳からの同調圧力に負けない人生の送り方」について書き下ろしてもらう。

今の時代、公共施設はもとより、オフィスやレストラン、カフェなど、どこでも「分煙」。中には、完全禁煙というお店もある。

家でも、居間で、食卓で堂々と喫煙できる人は少ないはず。だから、愛煙家は、肩身の狭い思いをしながら、ベランダでタバコを吸うような状況である。冬などは、寒空のもとで喫煙するというのは、なんともわびしい。マンションを遠くから見ると、タバコの火が点々と見えるから、まるでホタル。だから、「ホタル族」などと揶揄される。

愛煙家は、家庭でも社会でも、ますます敬遠され、ゆっくりと喫煙できる場所が少なくなってきている。お気の毒という以外にない。

禁煙によるストレスも大きい

周囲からも、健康的な人生を送るよう禁煙をすすめられ、日増しに圧力が強くなってくる。しかし、そうだからといって、愛煙習慣を変えるというのも耐え難いだろう。とくに、50歳過ぎまで喫煙する習慣があった人なら、尚更のことだと思う。

しかし、よくよく考えてみるがいい。20年や30年も吸ったニコチンが、一朝一夕で肺から除去されるわけではない。どちらかというと、もう手遅れかもしれない。

実際に、タバコをやめて20年後に肺がんになって亡くなった人もいる。それより、愛煙習慣をやめようとしたときの心理的ストレスのほうが害悪となるかもしれない。タバコをやめた途端に、その反動で、精神的にイライラ感が生まれ、周囲に当たり散らすようになったり、仕事の能率が落ちたりすることもある。

また、禁煙をした途端、口が寂しくなり、「甘いもの」に手を出してしまい、肥満や糖尿病を発症し、それが原因で入院したり、亡くなったという人もいる。これなら喫煙していたほうが、まだマシなのではなかろうか。

愛煙家には、愛煙家なりの理屈というものもあろう。だから、自分が吸いたいと思っていることを周囲から「やめなさい」と言われると、意地でも吸いたくなる。自分の健康のことは、自分が一番理解していると自信をもっているからである。

「やめなければならない」という強迫観念

いや、社会的圧力に同調し、「やめなければならない」という強迫観念に陥ってしまい、情緒不安定になることのほうが、これからの生き方を考えたときに損失になる、また、家族にとっても不幸になると言えるのではないか。

当然、周囲の人は、本人の気持ちとは別の理屈がある。

「病気になって余計な医療費がかかって、老後生活を圧迫する」

「がん治療のための看病の苦労や莫大な治療費が大きな負担となる」

「受動喫煙で被害が、他人や家族に及ぶ。それこそが重大な問題だ」

などと言うけれど、それは吸わない側の「自分の都合」からの物言いではないか。周囲も結局、本人を心配しているようで、実は、「自分の都合」「自分の健康」を優先しているのである。タバコが嫌い、臭いが嫌い、受動喫煙が困るという自分の都合ならば、それは、自分自身がきっちりと自分で判断していくべきではないか。人は主体性を持って生きていくべきだ。これが人間として大事なことなのである。

喫煙者を仲間外れにすればいい。仕事以外は、口をきかなければいい。喫煙者の多い店に行かなければいい。あそこは、おいしい料理を出してくれるから、という人もいるが、おいしい料理を出してくれるレストランや店などは、他にいくらでもある。

煙草を吸う伴侶が嫌ならサッサと離婚、別れたらいいそのような友人とは絶縁したらいいタバコを吸っている人から離れたらいい嫌な相手、嫌な人とムリして付き合う必要はない。公共の場、乗り物の中で、喫煙するも者が嫌なら、周囲が喚き倒したらいい。喫煙者、愛煙家を孤立させ、村八分にすればいいではないか

喫煙者、愛煙家もそれでよしとすべきだ。人間関係が悪くなるのを覚悟すべきだ。嫌な人だと言われ、拒否され、村八分にされても、以て瞑すべしだ

それでとやかく文句を言うのは、これまた、おかしい。それは困ると悩むぐらいなら、禁煙すればいいだけのことである。

そもそも喫煙していても、短命の人ばかりではない。長命の人だっている。要は、周りから「禁煙しなさい」と強要されてやめるという、自主性がないのがいかにも軟弱過ぎるように思えるのだ。

だからこそ、愛煙家は、他人から言われたからといって禁煙をしてはいけない。とことん、好きなだけ喫煙すればいいし、周りから、それこそ煙たがれても気にしなければいい。肺がんになっても、それは覚悟のこと。断固として喫煙を続け、友人から嫌われ、伴侶から離縁されてもよしとするほどの覚悟をもつべきだ。

愛煙家は「世捨て人」になることを誇りにするくらいでいい。現代の社会の風潮に不適合な人間としての自覚を持てばいい。その覚悟あらばこそ、真の「愛煙家」といえる。

そうすれば、徹底的に愛煙家同士で、はっきりした友人を選ぶことができる。お互いに世の禁煙の風潮への憤懣を語り合いながら、呵々大笑いすればいい。愛煙家だけが集まれば、喫煙を邪魔する人がいなくなるのだ。楽しいではないか。

喫煙者専用の素敵なクラブを作ればいい

いっそのこと、喫煙者同士でクラブをつくったらいい。同じ仲間同士、紫煙を燻らせていたらいい。そして煙草を一つのファッションアイテムと捉えることでもいい。

ただ、愛煙家という以上は、それだけの「誇り」を持つべきだ。たかが、ひと箱400円ちょっとのタバコを吸うのは、なんともみみっちい。実に、みじめ、憐れという以外にない愛煙家を自負するならば、たばこ増税に反対すべきではない。むしろ、愛煙家の方から、ひと箱1000円、2000円にしてくれと訴えるべきだ。まして、値上げに反対するのは、実にみっともない。そこには愛煙家としても誇りの一欠片(ひとかけら)も感じられない。

「たばこはやめられない」「たばこは絶対にやめない」という愛煙家ならば、「ダビドフ・ミレニアムブレン」とか、「コイーバ・マデューロ5」など、1本4000円、5400円の葉巻を極めるくらいの、真の誇りある愛煙家になってはどうか。愛煙家みなが今まで以上に税金を払って、それで社会が豊かになったら、嫌煙家だって少しは見直すこともあろう。繰り返すが、タバコの税率アップに反対する喫煙者などは、愛煙家の風上にも置けない

そうだ、いっそ「ひと箱5000円値上げ運動」を起こしてみてはどうだろうか。タバコのためには全財産を使い尽くし、孤高を恐れず、周囲から嫌われ、伴侶からも三下り半。こういうことを敢然と受け入れればもう、誰一人として文句は言えまい。あっぱれ愛煙家。真の喫煙者よ、誇り高くあれ、と言いたい。

とにかく、中途半端がいけないまして隠れて喫煙する、ベランダで喫煙する、ビルの出入り口で喫煙する。そのような喫煙の仕方ほど、惨(みじ)めなものはない。悲しい風景はない。堂々と吸って、周囲から嫌がられる気高き人間になりたい。いかほど高価かは知らねども、葉巻タバコを咥えて、アル・カポネ風に、堂々と闊歩している政治家の麻生太郎くんを見習ってほしい。

著者:江口 克彦

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江口氏の舌鋒の鋭さに圧倒されるとともに、こんな愛煙家なら、応援したくなります。

1箱5000円。とても良い案だとおもうのですが、とても自民党にはできないことでしょうねえ。