いやあ、めでたい。片岡仁左衛門丈が、人間国宝になることが決まりました。
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文化審議会は17日、歌舞伎立役の片岡仁左衛門(本名・片岡孝夫)さん(71)(東京都品川区)ら4人を重要無形文化財の保持者(人間国宝)に認定するよう、文部科学相に答申した。
仁左衛門さんは人間国宝だった歌舞伎立役の十三代目片岡仁左衛門(故人)の三男。歌舞伎立役の人間国宝は、坂田藤十郎さん、尾上菊五郎さん、中村吉右衛門さんに続いて現役では4人目だ。
ほかに認定を答申されたのは京舞の井上八千代(本名・観世三千子)さん(58)(京都市)、人形浄瑠璃文楽太夫の豊竹嶋大夫(本名・村上五郎)さん(83)(東京都新宿区)、鍛金の大角幸枝さん(69)(東京都国分寺市)。京舞は1955年に重要無形文化財に指定されたが、2004年に保持者不在となり、指定が解除された。今回復活指定され、2人目の保持者に認定されることになる。
今回の答申で人間国宝は芸能58人、工芸技術58人(重複認定者が1人いるため実質57人)の計116人(同115人)となる。
また、同審議会は、いずれも重要無形文化財に指定されている「歌舞伎」「組踊」「義太夫節」「宮薗節」の各団体の構成員として計28人を追加認定することも求めた。
人間国宝の認定が決まった歌舞伎俳優の片岡仁左衛門さんが思いを語った。
世話物から時代物、新歌舞伎まで幅広い芸域を誇り、上方、江戸両方の狂言に当たり役を持つ、現代の歌舞伎界を代表する立役だ。「(認定は)本当にありがたく、大変恐ろしいことでもある。これからは自分の芸の良しあしだけでは済まなくなる」と重責を受け止め、精進を誓う。
大阪で生まれ、間もなく京都に移り住んだ。幼少期は学業より芝居優先の生活に悩み、昭和30年代以降、関西での歌舞伎公演が激減すると、父・十三世仁左衛門さんが苦闘する姿に「役者をやめようか」と思い詰めたこともあった。それでも踏みとどまれたのは「芝居が好き」という強い思いからだった。父から学んだすべてが、自身の基礎になっていると実感する。
舞台では役の心情をつかむことを、何より大切にする。「(演技の)型をなぞるのでなく、その型がなぜできたのかを追求し、役の気持ちをお客様に伝えなければいけない」
若い役者たちには「目先の人気取りに走らず、とにかく自分に厳しく、地道に修業をしてほしい」と願う。
「基本をしっかりと身につけてから、いろんなことに挑戦していくことが、本当の意味で歌舞伎の隆盛には必要です」
「本当にありがたく、たいへん恐ろしい気持ちです。今までは仁左衛門としての舞台がいいか悪いかを考えてやってきましたが、文化財に認定されますと、悪い…ではすまない。人間国宝とは誰がお名付けになったのか(笑い)。国の宝と言われると、ちょっと恥ずかしいですね」
涼しい目元をほころばせつつ、感想を口にした。
仁左衛門は5歳だった49年、大阪・中座で「夏祭浪花鑑」に、本名の「片岡孝夫」を名乗って初舞台。人間国宝だった13代片岡仁左衛門を父に持ち、兄は5代目片岡我當、2代目片岡秀太郎。三男だったため、98年に仁左衛門を襲名するまで、本名のまま半世紀近くも活動してきた。
歌舞伎界では異例だったが「三男ですから、そうそう名前がなかった。でも、孝夫の方が、歌舞伎らしくないので、親しみやすかったかもしれませんね」と振り返る。
仁左衛門は多くのテレビ、映画でも活躍してきた。時代劇、現代劇を問わずに名演を見せ、CMでも人気を得た。テレビでの役者業と、舞台での歌舞伎活動を並行させ、成功させた先駆的存在でもある。後に故坂東三津五郎さん、中村獅童、片岡愛之助が続いた。
一方で「女殺油地獄」の与兵衛、「伊賀越道中双六」の呉服屋十兵衛、「勧進帳」の弁慶など、スラリとした立ち姿、比類なきさわやかな二枚目ぶりと、迫力のある芝居から、歌舞伎での当たり役も次々に出した。父が得意とした「菅原伝授手習鑑」の菅丞相役も手中に収め、上方歌舞伎復興へ尽力を続けてきた。
「そう思いますと、子どものころは、友だちが学校に行き、放課後に遊んでいるのに、なぜ自分はけいこをしなきゃいけないのか。学校にも行けず、公演で1カ月休むこともしょっちゅうあったので、つらかった。役者をやめたいと何度も思いましたが、徹底して仕込んでいただいたことを、父に感謝しています」
その父と同じ人間国宝までたどり着いた。
「お前みたいなので認定されるのか、と、言っているかもしれません」と笑った。自身は、いまだ芝居への探求心は尽きない。
「芝居に終わりはない。役作りにしても、歌舞伎には型がありますが、その型はなぜできたのかを考えて演じないといけない。なぜここで右を向くのか、それは理由がある。そこを考えない若い人(役者)が増えている」と、将来の上方歌舞伎へ危機感を口にした。
最近では、兄秀太郎の養子である愛之助のテレビ、歌舞伎双方での活躍が目覚ましいが、若手俳優には厳しい注文も出した。
「若い人たちには人気、奇策に走らず、とにかく地道な修業を続けていただきたい。劇場側も無策の客寄せに走らないでほしい」
自身は5歳で初舞台を踏み、小学、中学と、同級生が勉学やスポーツに汗を流し、友情を深める姿をうらやましく思いつつ、連日けいこに励み、下地を作り上げた自負がある。それゆえ、現代の若手、中堅役者への歯がゆい思いは強い。
また、仁左衛門といえば、孝夫時代から「色男」の代名詞的存在だが、実は「色男と呼ばれるのは一番嫌いなんです。敵役と言われる方が好き」と、内面には骨太の反骨心を備える。
20代のころから、坂東玉三郎と「孝玉コンビ」として人気を得てきたが「当時の写真を見たら、目がへこんでいるし、なんでそれが美男と言われたのか」。その上で「美男、美女というものは、決して器量じゃないと、つくづく思いました」と語った。
あくまでも、内面に裏打ちされた美しさ、確かな下地の上にある芸があってこその「色男」「二枚目」。愛之助ら、次世代俳優にとっては“金言”となるような本音も吐露していた。
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