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高橋真梨子、人生の贈りもの 第4回

2018年07月27日 03時59分39秒 | 音楽

真梨子さん、図太いです。

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(語る 人生の贈りもの)高橋真梨子:4 上京、でもソロで歌いたかった
朝日新聞2018年7月26日05時00分

「スクールメイツ」に在籍していた1967年ごろに=本人提供

 ■歌手・高橋真梨子

 私は歌に助けられました

 男と不倫する母を見ているより、違うことに没頭している方が良かった。母に反抗して中学で不良グループに入ったけど、歌っているときは全部忘れられました。

 最初にちゃんと歌ったのは小学校のコーラス隊。中2から、父の知り合いのジャズピアニストに教わり、発声の基礎をたたき込まれました。

 母は「好きならやりなさい」。私が歌っている方が、母も気が楽だったんじゃないですか。後に、「歌手になる目標を持てば落ち着くと思った」と母に言われました。

 《高校に入り、渡辺プロダクション九州支社の責任者に歌を学ぶ。博多を訪れて彼女の歌を聴いた人気歌手にスカウトされたこともあった》

 とりあえず上京して、渡辺プロの渡辺美佐さんに会ったら「うちの家に来なさい」と言われて、下宿することになりました。高校1年が終わった春のことです。

 《歌手のバックで歌い踊る「スクールメイツ」としてテレビに出た。同じ下宿に中尾ミエや木の実ナナがいた》

 でも、うまくいきませんでした。4人のコーラスグループに入れられて人のバックで歌うだけ。空しかった。

 私は芸能人やタレントになりたかったわけじゃない。ダンスや演技のレッスンなんかどうでもよかった。私が上京したのは歌手になるため。ソロで歌いたかったんです。

 スクールメイツで何年か頑張って歌手デビューする人もいたし、競争は激しかった。でも、そんな時間がもったいないと感じていました。

 それに私、素行が良くないというか、不良だったんで、門限が夜8時ごろだったり遊びに行ってはいけないと言われたりして自由にできないことが嫌だったんでしょうね。

 あるとき、友達の家で数人でお酒を飲んでしゃべっているうちに夜が明けちゃった。慌てて下宿に戻ったけど、門限を破って無断外泊に飲酒ですからね。即クビでした。しょうがないなって、すぐ荷物をまとめて博多に帰りました。(聞き手・坂本真子)

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渡辺美左といえば、当時、日本の芸能界を牛耳っていた人です。その権勢の凄さは、小林信彦の『夢の砦』に描かれています。その渡辺に平然と逆らえたのは、真梨子さんぐらいだったのではないでしょうか。不良というよりも、反骨心。感心してしまいます。


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