禅宗・・・「禅」は好きで、よく書物なども読んでいました。
長い歴史の間に、さまざまな、「悟り」を得た禅師・雲水もたくさん出ています。
ただ、アマゾンで買って、読みかじった、原始仏典にある、
お釈迦様の「悟り」と、禅宗の禅師・禅者・雲水の「悟り」の内容は、
比べるべくものもありません。
「月とスッポン」どころか、
「太陽と灯明」どころか、
「全宇宙と、蛍の光」くらいの違いがあります。
「全宇宙」・・・が、お釈迦様の悟りで、
「蛍の光」が、禅の悟り。
それくらい差があります。
真言宗の弘法大師は、日本の仏教史では、トップクラスの境地に至った方と思っていますが、
初めて弘法大師関連の本を読んだときは、「すごい!」と思ったけど、
後に、アマゾンで買った、原始仏典を読みかじると、
お釈迦様の悟りと比べると、やはり、「かなり見劣り」します。
弘法大師や伝教大師、禅宗の名僧知識をすべて足しても、
「全く及ばない」・・・それが、お釈迦さまです。
お釈迦様の十大弟子はじめ、直接の高弟たちの説法も、原始仏典には出てますが、
十大弟子の言葉でさえ、やはり、お釈迦様の説法と比べると、少し見劣りします。
禅宗の坊さんでは、明治大正昭和と活躍した、曹洞宗の「澤木 興道」さんが、もっとも簡潔に、お釈迦様を評価していると思います。
「お釈迦さまのような人は二度と出ない」
お釈迦様の「悟り」は、真理そのものの体得であり、それを密教流に言うならば、
「宇宙の真理との一体」。古いバラモン教のいい方なら、「梵我一如」。
禅宗の禅者・雲水の悟りは、本当の悟りではなく、「気づき」。
まるで別次元のものです。
日本仏教に昔から欠落しているものは、
「戒律」戒行です。
十善戒は、どの宗派でも唱えますが、
唱えるだけで実践しないと何の意味もありません。
十善戒は、呪文じゃなく、実践の行です。
お釈迦様「100まで馬齢を重ねて長生きするよりも、たった一日、真理の教えに触れて死ぬ方がマシである」。
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