レールの幅を「軌間」と云います。我が国では明治以来狭軌が使用されて来て、新幹線で初めて広軌になったと思っている方が案外多いのではないでしょうか。
軌間は線路を構成する左右のレール頭部の内側の最短距離です。世界で最も普及している軌間は1435mm(4フィート8.5インチ)の「標準軌」で、標準軌より広い軌間を「広軌」、狭いものを「狭軌」と呼びます。軌間を変更することは「改軌」です。
JR在来線は軌間1067mmの狭軌に統一されていて多くの私鉄も狭軌ですが、関東では京急や京成、関西では阪急や阪神などの大手私鉄が新幹線と同じ1435mmの標準軌です。
標準軌の起源は、英国のキリングワース炭鉱の馬車鉄道の4フィート8.5インチの軌間です。1814年ジョージ・スティーヴンソンがこの炭鉱鉄道のために蒸気機関車を製造し、1830年には世界初のリバプール・アンド・マンチェスター鉄道がロバート・スチーブンソン・アンド・カンパニー製の蒸気機関車を使って開業しました。
蒸気機関車を用いる鉄道では馬車由来の軌間の必要はないので広い軌間を求める技術者も多く、グレート・ウェスタン鉄道では7フィート4分の1インチ(2140mm)の広軌も採用されています。
1846年の「軌間法」によって、英国の新規路線は4フィート8.5インチに決められました。広軌の技術的な優位を認めつつも、路線長の長い軌間に統一することを選んだのです。
ヨーロッパで最も多く選ばれた軌間は標準軌ですが、オランダ、バーデン、ロシア、スペイン、ポルトガルでは広軌を採用しました。オランダとバーデンは標準軌に改軌しましたが、ロシアとイベリア半島は現在も広軌のままです。アメリカでは1830年代から1840年代に各種の広軌が採用されましたが、1863年に大陸横断鉄道が標準軌を採用したため標準軌に統一されました。
鉄道車両には垂直方向の重力の他に、横風や走行時の車両の動揺、曲線通過時の遠心力など横方向の力がかかります。重心の高さが同じであれば、軌間の広い方が横方向の力にはより安定で高速運転に適しています。
1872年(明治5年)新橋-横浜間で日本初の鉄道が開通した際、イギリスの勧める狭軌かフランスの勧める標準軌かの論争になり、国土が狭い理由でイギリス案の1067mmの狭軌が選ばれました。
明治の鉄道は官営だけでは整備が追いつかず多くの私鉄が認可されましたが、1887年の「私設鉄道条例」で軌間を1067mmに限定し、1900年の「私設鉄道法」でも1067mmを継承しました。
東北本線や常磐線は日本鉄道、山陽本線は山陽鉄道、九州内は九州鉄道など全国の主な幹線は私鉄として開設されたもので、日露戦争で鉄道輸送の有用性と私鉄割拠による不都合を痛感した政府は、1906年「鉄道国有法」により大手私鉄17社を国有化しました。
買収前の官営鉄道の総営業距離は2,459 km、買収した路線は4,806 kmでした。大きな問題が起こらなかったのは各線ともレールの幅が同じだったからです。その後国は1910年に軌間を定めない「軽便鉄道法」を施行し、軌間762mmの軽便鉄道が地方に数多く造られました。
1899年(明治32年)大師電気鉄道(京急の前身)が、蒸気機関車が客車を牽引する狭軌の国鉄に対し、標準軌を採用して電車を走らせる路線を六郷橋-川崎大師間に開設しました。
1905年に開業した阪神電気鉄道は国鉄路線と並行するため私設鉄道法の許可が得られず、路面電車の「軌道条例」により開業しました。道路上を走るのはごく一部なので、実質的には一般の鉄道とまったく変わりません。
「軌道条例」は後に「軌道法」になりますが軌間の限定がなく、関西の大手私鉄はこの軌道法で標準軌を採用し、併走する国鉄に高速運転で対抗しました。大阪市営地下鉄も軌道法に準拠し、関東では京急、京成、京王が国鉄より広い軌道で開業しました。
我が国では1435mm、1372mm、1067mm、762mmの4つの軌間が使われていますが、新幹線や関西の私鉄の多くが1435㎜の標準軌で、関東の私鉄は多くがJR在来線と同じ1067mmの狭軌です。狭軌の鉄道各社は高速走行技術を次々に開発し、狭軌速度記録を塗り替えて世界に冠たる鉄道技術王国を築き上げました。
戦後の高度成長期に、戦前にあった東京-下関間を結ぶ弾丸列車の構想が復活し、従来の2倍以上の速度で走る標準軌の鉄道が東京-大阪間で計画されました。これが1964年(昭和39年)に開業した東海道新幹線です。国鉄は新橋-横浜間で狭軌の路線を開通して以来、92年にして標準軌の悲願を達成しました。
首都圏では路線の相互乗り入れが盛んに行われています。JR在来線と同じ狭軌の路線同士や、同じ軌間同士の私鉄間の直通は容易ですが、軌間の異なる場合は一方が改軌しなければなりません。直通運転を前提とする新線は、通常既存の相手方の鉄道に軌間を合わせます。
縦横無尽に張り巡らされた東京の地下鉄は営団と都営を合わせて13路線あり、9路線で軌間の同じ路線同士のJRや私鉄が相互乗り入れしています。都営地下鉄で最初に開通したのは1435mmの浅草線ですが、地下鉄と郊外の私鉄との直通運転を望む運輸省の方針で、都は京急、京成と協議を重ね、京急の1435㎜の標準軌に統一することになりました。
浅草線との直通運転を先に達成したのは京成です。京成はそれまでの1372㎜軌間を浅草線に合わせて全線改軌しました。終電後に行った難工事でしたが、1日も運休せず2か月弱でやり遂げました。都心への乗り入れは京成にとっての悲願だったのです。
京急は改軌の必要はありませんでしたが、実はその前に2回も軌間を変更しています。しかも1435㎜から1372㎜にし、再び1435㎜に戻しています。京急の前身の大師電気鉄道は標準軌で開業して都心への進出を狙いましたが許可が下りず、東京電車鉄道(後の東京市電)との乗り入れを目指して1372㎜に全線改軌しましたが、直通は実現しませんでした。
京急はその後湘南電気鉄道と合併して神奈川への進出を図り、湘南電鉄が標準軌のため1933年(昭和8年)1372㎜から1435㎜へ再び改軌し、品川-浦賀と云う長大な路線が誕生しました。
京急は現在泉岳寺-押上間で都営地下鉄浅草線を経由して京成と直通になり、成田から品川を経て三浦半島の先端までが1本に繋がったほか、京浜蒲田から羽田空港を結んで成田-羽田の両国際空港間が直通になりました。
都営地下鉄三田線も当初1435㎜で計画され、その直後に北は東武東上線、南は東急池上線と相互乗り入れの話が出て、両社に合わせて1067㎜に変更しました。この両者との直通は見送られましたが都は1067㎜のまま工事に踏み切り、2000年に1067㎜の営団地下鉄南北線、東急目黒線との直通が実現して結果的に大きな成功をもたらしました。
新宿線も当初の計画は1435㎜でした。1970年代後半新宿線と京王線が直通運転するにあたって、都は1372㎜の京王帝都電鉄に軌間の変更を求めましたが、京王は改軌は困難だとして新宿線が計画変更することで折り合いました。
東急は1956年渋谷-二子玉川園間の新玉川線の免許申請の際、営団地下鉄銀座線への乗り入れを狙って1435㎜で計画し、溝の口-長津田間の田園都市線も1435㎜の計画でしたが、計画は1年で覆りました。両線とも小田急線との乗り入れを考慮して1067㎜に変更したのが幸いし、後に小田急との相互乗り入れが実現しました。
軌間の異なる路線の相互乗り入れには、改軌をせずに三線軌条や四線軌条とする方法もあります。三線軌条の場合片側のレールは共通で、もう片方のレールをそれぞれの軌間に合わせて2本としますが、19世紀半ばから世界各地で広く用いられてきました。
工場で作られたばかりの新型車両や中古の車両もJR在来線を介して日本各地へ輸送されますが、1067mmの軌間でない車両は臨時に1067mmの台車に交換して輸送する工夫がなされています。
スペイン国鉄は広軌(1668mm)を採用していますが、曲線区間では内側と外側のレール長の差が大きいため、左右の車輪を一軸とせず、左右独立の車輪を採用して車輪の磨耗を軽減し、低重心化による曲線区間の速度向上を図っています。
1968年タルゴ社が製造したTalgoⅢ-RDは世界初の軌間可変車両で、広軌のスペインと標準軌のフランスのいずれの路線も改軌することなく、直通運転を可能にしました。
軌道の曲線部で外側のレールを内側よりも高くすること、またその高低差をカントと云います。車両に作用する重力と遠心力の合力を線路の中心に対して垂直に近い角度にすることで、曲線部を安定して通過するためです。新幹線のカントは180 mmまで、JR在来線は105 mm、標準軌私鉄では150 mmまでとされ、脱線防止に重要な働きをしています。
山形新幹線と秋田新幹線には、東北新幹線の標準軌の車両がそのまま乗り入れていますが、狭軌のJR在来線と別に標準軌路線を新設したのではありません。山形新幹線は、福島駅から山形駅を経て新庄駅までの奥羽本線を走行する新幹線列車と区間の通称ですが、既存の在来線を標準軌に改軌して新幹線車両の直通を可能にしたのです。そのためこの区間は普通列車も標準軌車両に替えられています。
秋田新幹線は、盛岡駅から大曲駅までが田沢湖線で、大曲駅から秋田駅までが奥羽本線ですが、単線の田沢湖線は標準機に改軌され、複線の奥羽本線の片方が標準機に改軌され田沢湖線と結んで秋田新幹線となり、もう片方は狭軌のまま新庄駅から大曲駅、秋田駅を経由して青森駅まで繋がっています。
京急や京成の標準機を見慣れている私には、JR在来線の狭軌はいかにも狭くて頼りなく見えますが、同じ軌間同士の郊外電車と地下鉄の相互乗り入れのお蔭で、関東地方の北から南へ、東から西へと、都心を経由して直通で移動できるようになりました。PASMOやSuicaはオートチャージが可能で電車に乗るのにはまったく手間いらずとなり、公共交通の利便性向上は有難みが実感できます。