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コンテナ物流革命

2016-04-13 06:22:01 | 日記

数年間東京湾岸の29階に住んでいた私は、羽田空港での旅客機の発着が真近に見え、東京湾アクアラインの海ほたるがはるか遠くに、東京モノレールの往来がすぐ目の下に見えましたが、視野の多くを占めたのが大井コンテナ埠頭の巨大クレーン群でした。

大井コンテナ埠頭は、全長2,354m、連続7バースの大水深岸壁を有する世界有数の規模で20基のコンテナクレーンを備え、大型コンテナ船の着岸が可能です。半日から1日でコンテナの積み下ろしを終えた大型コンテナ船は、高速で定時性の高い海上輸送を常態化したのです。

1830年代には欧米の鉄道会社が、荷車や船にも積み替えられる木製の小さなコンテナを運用していました。1840年代には鉄製のコンテナも登場し、1900年代初頭には鉄道から貨物自動車に載せ換えられる、密閉されたコンテナも登場しました。

1920年代にはイギリスの鉄道会社間の運賃決裁を行う鉄道運賃交換所が、各社のコンテナの標準化を行い、5ftまたは10ftの長さの「RCHコンテナ」が誕生して非常な成功を収めました。

アメリカでは1926年から1947年にかけてシカゴ・ノースショア・アンド・ミルウォーキー鉄道が、船会社所有の貨物自動車を運ぶサービスを始め、1929年初頭には船会社シートレイン・ラインズ社が、ニューヨーク・キューバ間で鉄道貨車の輸送を始めました。1930年代半ばにはシカゴ・グレートウェスタン鉄道が、貨物自動車を載せた貨車輸送を開始し、各鉄道会社が1950年代までにこのサービスに加わりました。

第二次世界大戦の後期にアメリカ陸軍は、輸送船の積み下ろし時間を短縮するためにコンテナの使用を開始し、このコンテナは鉄の箱で長さ8.5ft(2.6m)、幅6.25ft(1.91m)、高さ6.83ft(2.08m)で、9,000ポンドの貨物が詰められました。

朝鮮戦争では釜山港での沖仲仕による作業時間が長く、木箱に入れた貨物が荷役時にダメージを受けたり盗まれたりするため、鉄製コンテナの機密物資の荷役能力や輸送の効率性が評価されました。1952年には、コンテナで急送する貨物を意味する「CONEX」と呼ばれる至急便が登場して、効率を優先する戦時の兵站輸送がコンテナ輸送の普及を後押しすることになりました。

韓国への最初のCONEX貨物の輸送は、ジョージア州コロンバスでコンテナに詰められ、サンフランシスコへ鉄道輸送され、横浜経由で韓国に上陸する海上経路をとりましたが、荷役の手間が省かれて輸送時間は従来の半分に短縮されました。ベトナム戦争では物資の大半がCONEXで輸送され、国防総省は8フィート×8フィート×10フィートの軍用コンテナを標準化し、一般用にも普及しました。

1955年11月26日、コンテナ専用に建造されたはじめての貨物船「クリフォード・J・ロジャース」が、600個のコンテナを載せてノースバンクーバーから出港し、太平洋を北上してアラスカ州東南部のスキャグウェイ港へ着き、ここでコンテナ専用貨車に積み替えられたコンテナは、国境を越えてユーコン準州へと北上しました。貨物は荷主がコンテナに詰めたまま、鉄道・船・トラックを経由しても、一度も開けられることなく受取人のもとへ届いたのです。

かつての貨物船荷役は、一部ではクレーンを使うものの、大勢の陸仲仕や沖仲仕が人手で行っていました。彼らは岸壁に停泊した船の荷物の積み下ろしを数日がかりで行い、港の沖では無数の船が岸壁の順番待ちで無駄な時間をすごしていたのです。

沖仲仕が海上で、はしけを使って荷役作業を行うこともありましたが、風が強く海が荒れている場合は大変危険です。倉庫や船舶から貨物の一部が抜き取られる「荷抜き」も頻繁に発生していて、作業員による盗難は収まりませんでした。 

今日につながる船舶用コンテナの発明者は、裸一貫から全米有数の陸運業者に登りつめ、1956年にコンテナ専用貨物船「Ideal-X」を就航させたマルコム・マクリーンだと云われています。そのアイディアは1930年代、彼がニュージャージーのトラック運転手だった時代に得たもので、アイディアが実現したのは船会社「シーランド」(現マースクライン)を設立した1950年代でした。

個人トラック業者だったマクリーンは、積んできたトラックの荷物が船に積まれていくのを岸壁で待つ間に、トラックから荷物を降ろしてまた船の船倉に並べなおすよりは、トラックごと船に積んでしまえば楽になると考えていました。マクリーンが陸運会社を大きくした1950年代に、かねてからのアイディアを実現すべく中古の貨物船を購入して改造し、トレーラーをそのまま船倉に乗り入れる貨物船(RO-RO船)を実現しました。

しかし船内では、トレーラーの車台や運転席に無駄なスペースを取られるので、彼はトレーラーの運転席・車台部分と荷物の部分を分離し、荷物を入れる箱を規格化して「コンテナ」としました。一方、船倉全体に規格化したコンテナを積み木のように積んで固定するための、ガイドレールを縦横に設けた「コンテナ船」を発明したのです。 

このコンテナの積み下ろしをするクレーンは、当初、船に設置しましたが、船に余分なクレーンを載せるより、世界中の港の岸壁にコンテナ積み下ろし用のガントリークレーンを整備すべきだと考えました。

マクリーンは自らの陸運会社を売って船会社を買収し、中古の軍用タンカーを買ってコンテナ船「Ideal-X」に改造し、1956年、ニュージャージー州ニューアークからテキサス州ヒューストンまで、金属製コンテナを積んで運航しました。

海上輸送のコンテナ化により、目的地の港で規格化されたコンテナをトレーラーに降ろし、そのまま客先まで運ぶ海陸一貫輸送が実現したのです。マクリーンは会社名を海陸一貫の理想をこめて「シーランド」と名づけ、アメリカ国内航路だけでなく外国航路にも乗り出しました。

アメリカの同業者やヨーロッパ日本の船会社も追随し、海上貨物輸送の多くがコンテナによることになりました。1960年代後半には世界各地の主要港で、従来型の荷役作業を行なう港湾労働者の「コンテナ化反対運動」のさなか、コンテナ専用埠頭が次々に完成し、この時代には日本の神戸港がコンテナ取扱個数世界一を誇っていました。

海上輸送用コンテナの規格は、当初はシーランド社の35ftコンテナ、マトソン社の24ftコンテナが主流でしたが、国際海運業界の採用を前に1963年ISOが規格を統一し、長さ40ft(12m)と20ft(6m)の4種類としました。コンテナは耐久性があって何年も使用ができ、中身の貨物は運送中も確実に保持・保護され、積み重ねが可能で野積みの状態では倉庫代わりにもなり、荷抜きの問題は解消されます。

海上の輸送は船が大型になるほど輸送効率がよくなるので、1960年代から原油タンカーには20万トンを越える大型船が登場しましたが、貨物船では大型化するほど荷役に掛かる日数が長く、効率が悪くなるため1万数千トンどまりでした。

しかしコンテナ化とガントリー・クレーンによって、人力では数日かかった荷役作業が半日か1日に短縮されたため、1980年代末には国際貨物が急増する日本やアジアと北米間の海上輸送に対応するため、4,000 TEU級の巨大コンテナ船が建造されました。 

コンテナ船の積載能力はTEUと云う単位で表現され、これはISOによって規格化された20ft(6m)コンテナの1個分に相当します。4,000 TEUとは20ftコンテナを4,000個積める大きさの船になります。現在では積載するコンテナの主流が40ft(12m)コンテナであるため、 4,000 TEUでは40ftコンテナが2,000個積めます。

1980年代以後、パナマ運河を通過できるサイズ(パナマックス)より大きなオーバー・パナマックス船が登場しましたが、その後も巨大化が進み2000年代には、水深16mのスエズ運河を通れるぎりぎりの大きさ(スエズマックス)に近いコンテナ船も現れました。

これらの船は狭いパナマ運河を通れないため、太平洋側のオークランドロングビーチなどで、コンテナを船から直接貨物列車のコンテナ台車に降ろし、大陸横断鉄道で全米へ輸送することになりました。船ですべてを運ぶより鉄道で西海岸から東海岸に運送したほうが、到着時間が早いメリットも出てきました。

2000年頃には中国が世界の工場化し輸送量が増え、運賃競争も激しさを増して、コンテナ船会社同士の国境を越えた合併が相次ぎました。船自体も14,500 TEUと云う全長300mを超える超大型船が運航されるようになり、これに合わせて世界中の港が、ガントリー・クレーンの大型化や水深15m級岸壁の整備など設備の大型化に追われ、コンテナ船に対応できない従来型の埠頭や倉庫は急速に寂れていきました。 

今日では年間の船舶輸送の90%以上がコンテナ化され、年間2億個以上のコンテナが輸送されています。僅か半日か1日で貨物の積み下ろしを終えて次の港へ向かう、速くて定時性の高いコンテナ船時代が到来したのです。コンテナおよびコンテナ荷役機械が世界的に標準化されたのは20世紀半ば以降ですが、コンテナ化は貨物の荷役作業に留まらず、港湾倉庫船舶鉄道、果ては航空機の設計や仕組みまで、物流全般を大きく変えました。

コンテナ輸送は、輸送にかかる時間と費用を劇的に削減した点で、正に、20世紀の物流革命と云えるでしょう。しかしコンテナは、今ではあまりに身近なものになり過ぎていて、その恩恵を誰もが実感していないのは確かかも知れません。

 

 


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