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歳を取らないと分からないことが人生には沢山あります。若い方にも知っていただきたいことを書いています。

都バス

2017-10-18 06:21:18 | 日記

東京都のバス事業は、1923年(大正12年)9月1日関東大震災で大被害を受けた市電の復旧が長引き、翌1924年1月18日に東京市電気局が暫定的に乗合バス事業を開始したことに始まります。

最初の路線は東京駅渋谷駅間と東京駅-巣鴨駅間で、停留所で切符を販売するワンマン運転でした。バスは明治初期の「円太郎」と呼ばれた乗合馬車を連想させる車体で、「円太郎バス」と呼ばれました。

市電が復旧し1924年7月には運行を終える筈でしたが、市バス利用者が定着したこと、購入した車両や設置した車庫、運転手の処遇などの問題もあって市バスの継続が決り、運行時間や運転系統の見直しが図られます。

当時東京市内には東京乗合自動車が経営する「青バス」がすでに運行していて、白い襟の制服の若い女性車掌が「白襟嬢」と呼ばれて市電の強敵になっていました。東京市も当初ワンマンだったバスに赤い襟の制服の女性車掌を乗せ、「赤襟嬢」として対抗しました。

1937年(昭和12年)に日中戦争が始まると石油の入手が困難になり、1939年には木炭ガス発生炉を市バスに取り付けていきます。当時の木炭車は馬力がなく登り坂ではお客が一旦降りたり、みんなでバスを押すこともあるほどでした。

1938年には戦時体制下での陸上交通事業調整法が施行されます。東京市は1942年2月1日までに「青バス」の東京地下鉄道のバス部門、「黄バス」の東京環状乗合自動車・城東乗合自動車・王子電気軌道の全路線、京王電気軌道東京横浜電鉄のバス部門と葛飾乗合自動車のそれぞれの旧市内路線、大東京遊覧自動車の買収を完了しました。

東京市は市内中心部の乗合バス事業を独占することになります。1943年10月1日東京都制が施行され、市バスを管轄していた東京市電気局は東京都交通局になります。

1941年の日米開戦後は物資の不足や戦争末期の空襲による施設・車両の被害で、敗戦直後は木炭車を中心に僅か12系統が運行されていただけで、満足に走れる車両は多くありませんでした。

1950年代頃までのバスはフロント部にエンジンを載せたボンネットバスです。東京都交通局は1949年にリアエンジンバス「ふじ号」を富士産業(現富士重工)と共同開発し、戦後の国産バスの方向性を決定づけました。

1971年にはボンネットバスの製造が中止されましたが、前輪が運転席より前にあるボンネットバスは運転手が前輪と路肩の位置を把握しやすく、製造中止後も山間部の路線を中心に使われました。

昔のバスはサスペンジョンが金属バネでしたから、ちょっとした道路の凹凸でも車体全体が身震いして大きな音を出し、乗り心地の良いものではありませんでした。路面とバスの床面の間に大きな2段の段差があり高齢者の利用には難があって、高齢者の外出ができなくなる目安の一つがバスの段差が昇れなくなることでした。

1952年都バスは地方公営企業法の適用を受けます。当時は乗客の増加があり経営的にも順調でしたが、1961年度以降は赤字基調となって度重なる運賃の値上げによっても赤字解消は出来ませんでした。

モータリゼーションの普及で都心の交通は渋滞しはじめ、都電の軌道敷や停留場が道路交通を妨げているとして、1963年から1972年にかけて都電が次々に廃止され荒川線を残すだけになります。トロリーバスも廃止されました。これらの代替バス路線の多くが現行都バス路線の基幹になっています。

東京都交通局の財政状況は芳しくなく、都バスの不採算路線の廃止や短縮、都営地下鉄新宿線など地下鉄新線の開業に伴う路線の再編が行われる一方、西東京バス西武バスの独占体制だった青梅地区は、1975年西武バスが一部を除いて撤退したため、都が後を引き受けてほぼ現在の形になりました。

乗客サービスの改善も行われ、1979年に一部で冷暖房車の運用を開始しました。1981年には210台の冷暖房車が投入されてイエローベースに赤ラインの「スズキカラー」になりましたが、スズキカラ-の評判は良くなく、1982年にアイボリーをベースに緑色のラインを入れた「ナックルライン」に替わり、1988年には全車がナックルラインになりました。全車が冷暖房車となるのは1990年です。

エアサスペンジョンに替わったのも1990年頃ですが乗り心地が格段に向上しました。近年は客室の床面を低くし、入り口部分の床面と道路の段差を減らして乗り降りを楽にしたノンステップバスになりましたが、空気圧を利用して乗降時に車体が下がる仕組みを備えたり、車椅子のリフトアップが出来るバリアフリー化も達成されています。

都バスの輸送人員は神奈川中央交通の日本一に次いで全国2位です。2015年(平成27年)度決算は、乗車人員が2億1,768万9千人で前年度より35万9千人増加し、乗車料収入は343億6千7百万円で前年度より5億2千1百万円の増収となりましたが、経常損益は7億3千9百万円の赤字です。1961年度以来、実に半世紀以上連続して赤字が続いています。

1984年に渋谷駅-新橋駅間で、愛称を「グリーンシャトル」と名付けた都市新バスの運行を開始しました。系統番号は都01です。この路線は成功を収め、都市新バス運行後は利用客が増加してバスに対する信頼性を回復しました。この都市新バスはその後も別系統の設定が行われ、2010年現在8系統(都01~08)になっています。

2000年からは増収対策の一環として車体に広告を貼り付けるラッピングバスが登場しましたが、この広告の登場は公共の乗り物には相応しくない印象をもたらしました。 

通勤通学の用途のほか、小型バスを使用して住宅街の中を細かく回るコミュニティバスが出現します。東京都武蔵野市の「ムーバス」が成功例となり、2001年台東区からの委託を受けて「めぐりん」の運行を開始しましたが、2004年日立自動車交通へ移管しました。2005年からは江東区からの委託を受けて「しおかぜ」の運行を開始し、辰巳・潮見・枝川地区を走っています。

都バスは毎日1,500両の車両が58万人の乗客を運んでいますが、都バスの車両整備は江東区の自動車工場と各営業所車両係が担当しています。自動車工場は道路運送車両法に基づく指定を受け、すべての都バスの整備や車検を行います。各営業所では対処できない故障車の修理や、エンジンのオーバーホール等の重作業も一括して工場で実施します。

各営業所・支所では定期点検整備のほかに故障の修理対応を行っていますが、バスにはPASMO料金収納機や音声合成放送装置など様々なワンマンバス機器が装備されいて、最近では電気・電子工学的な分野の知識も重要となってきました。

都バスの利用客の減少を食い止める様々な試みが行われていますが、地下鉄半蔵門線南北線の延長や都営大江戸線りんかい線の全線開通、日暮里・舎人ライナーの開業で、多くのバス路線が廃止減便され、地下鉄とバスの並行区間の利用客が落ち込んで都バスの利用者は減少を続けることになりました。

2008年4月26日より東京駅丸の内北口から日本橋・秋葉原・上野・浅草経由で錦糸町駅に至る下町地域の観光地訪問客に対応した路線バス「東京→夢の下町」を南千住営業所の管轄で運行しています。東京駅発着は土曜休日の一部便のみです。

東京ビッグサイトでのイベント・国立劇場での公演・江戸川競艇場でのレース・東京湾大華火祭開催時などのイベント開催時には、周辺主要駅と会場間に臨時バスが運行されます。

東京ビッグサイトへの臨時路線は深川・品川営業所が担当しますが、大規模イベントの開催時には全営業所から車両を出して運行します。最も運行される機会が多いのが国展01系統です。東京ビッグサイトで開催されるイベントに来場する客をピストン輸送します。

イベントによっては主催者が運賃を支払って貸切扱いとなるので、来場者は無料で利用できます。2013年の東京モーターショーや毎年12月のエコプロダクツ展では無料となり、貸切扱いの場合は東京駅丸の内北口から発着します。

台場を走る鉄道として新橋発のモノレール「ゆりかもめ」がありますが、2006年3月27日に有明-豊洲間が開通して豊洲とビッグサイトが結ばれました。同じく台場を走るりんかい線2002年12月1日の全通に伴い、定時性に優れた同線への利用客流出が見込まれ、小規模のイベントでは台場行きの臨時バスは運行されなくなりましたが、東京駅直結の臨時便は抜群の利便性があり、他の交通機関と比べて格安な運賃のため依然として需要は確実に存在します。

2007年2月18日東京マラソンでは、観客・参加者の帰宅時にビッグサイト発の臨時便が運行されました。これらは東京駅行き経路が交通規制エリア内に入るため、品川駅行きとなりました。

現在全国の路線バスは、道路運送法の改正でバス事業の新規参入が緩和されて以来過当競争に陥り、地方都市を中心に苦しい運営状況におかれています。多くのバス会社は赤字路線を維持できず、経営環境の悪化から倒産する会社も出てきています。

収益の改善に向けては車体全体を広告に供するラッピング車両の導入、空港連絡路線の強化、地域ごとの分社化、運行業務の他社への委託などが行われています。大都市では地下鉄路線網の拡充に合わせて路線網が縮小された地区が多く、渋滞によるダイヤの定時性維持(平均時速15km)が最大の課題です。

バスレーンの無い道路ではバス停での乗降が渋滞の原因となり、福岡市北九州市宇都宮市大通りのようにバスの台数が極端に多く、運転系統が市の中心部に集中しているところでは、バスが渋滞の原因となっています。

乗合バスの事業者は全国の7割以上が赤字と云われ、ドル箱都市東京の都バスですら赤字体質なのには、公営企業特有の悩みがあります。23区内を走る路線は一律210円(ICカードは206円)の均一料金で、環境やバリアフリーに配慮した最新鋭の車両を投入する費用も重くのしかかります。

70歳以上の東京都民は、非課税者の場合は負担金1,000円、課税対象者は負担金20,510円で、1年間都バス・都営地下鉄と都内に乗り入れている私営バスに自由に乗れる「シルバーパス」を取得できます。これまでは課税対象者の負担金は半額でした。

若い人は少しくらい遠くても鉄道の駅までバスに乗らずに歩きますが、高齢者はなるべく歩かずに済ますようになります。80歳になる前に運転免許証を返納した私たち夫婦は都内に住んでいた間、このシルバーパスの恩恵に預かりました。

バスの座席は優待席以外は前方を向いていて、外の景色を眺めていると結構市内観光が楽しめます。都バスと都営地下鉄を使えば多少回り道になっても、都内で行けないところはありません。低床バスの普及で地面とバスの床面の段差が減り、脚力が衰えた高齢者でも格段に乗りやすくなりました。課税対象者の負担金が倍になったとしても、シルバーパスはシニアにとって大変有難い制度です。

都バスの担当者は「都バスはあくまで公共交通機関として、たとえ路線の7割が赤字でも、3割の黒字路線でどうにか都民の移動手段を確保していく」と云ってくれています。足の確保は都民にとって本当に貴重なことなのです。

 

 

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