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戦後の地価高騰 

2017-10-25 06:16:08 | 日記

戦前の曰本の土地価格の上昇は緩やかでしたが、戦後の1986年(昭和61年)9月の地価水準は戦前の1936年(昭和11年)の13,000倍の値上がりを見せました。戦前の地価の上昇率は卸売物価の上昇率を下回っていましたが、この50年間の卸売物価の上昇率は700倍で、地価は桁違いの上昇です。

1986年昭和61年)12月から1991年平成3年)2月までの51か月間に起こった好景気資産価格の上昇をバブルと呼びますが、日本の土地資産は1990年末に2,456兆円になったと推定され、東京都山手線内側の土地の価格でアメリカ全土が買えるほど土地価格は高騰しました。

1990年の年明けに株が下落し、地価も下落に転じます。バブルははじけました。「土地は必ず値上がりする」と云う土地神話に支えられ、土地に対する需要が高い限り景気は続くと楽観論が支配していましたが、地価は合理的に説明できる価格以上に高騰していて、借金をして買った土地は売れなくなり、金融機関は巨額の不良債権を抱え、日本は「失われた20年」の長期停滞に陥ります。

2017年の公示地価は地方圏で商業地がマイナス0.1%、住宅地がマイナス0.4%で25年連続の下落です。全国平均は三大都市圏の上昇があり前年比0.4%プラスと2年続けて上昇し、住宅地は0.02%プラスと9年ぶりに上昇に転じました。商業地も1.4%の上昇で上げ基調を強めましたがミニバブルと呼ばれた2008年の8割強の水準にとどまっています。

全国の最高地価は11年連続で東京都中央区銀座4丁目の「山野楽器銀座本店」でした。1㎡あたり5,050万円と1年前に比べ25.9%上昇し、ミニバブルと云われた2008年を3割ほど上回りました。

戦後の1955年~1965年(昭和30年代)の地価高騰は、大都市とその周辺地域の企業の事業用地取得と人口集中による住宅地需要に加え、列島改造ブームや過剰流動性を背景とする投機的な土地需要が全国に波及したものです。
しかし石油ショックや総需要抑制政策への転換、国土利用計画法の施行、土地税制改革など、土地をめぐる社会・経済情勢の変化で、1974年(昭和49年)の地価は戦後初めて9.2%値下がりしました。

1978年には低金利政策を受けて住宅地を中心に再び高い上昇率を見せるようになります。三大都市圏の住宅地の平均は1979年に16.3%、1980年に13.4%上昇しました。政府は投機的な土地売買を抑えるために取得後10年以内に売却する土地には重税を課し、第二次石油ショックや円安による資材価格の高騰で住宅建築が冷え込んで地価高騰は一旦収束しました。
我が国のバブルをもたらしたのは1985年9月のプラザ合意が発端です。アメリカがドルの独歩高を修正して対外貿易不均衡を是正しようとし、G5各国が合意に基づいてドル売り協調介入に乗出し急激な円高が進行しました。

1ドル240前後の為替相場が1年後には150円台まで急伸し、日本は円高不況輸出産業が大打撃を受け、東京や大阪などの町工場の倒産が続出しました。当時の日本はGDPに占める製造業比率が高く、円高が輸出産業を通じて日本経済に与えたダメージは甚大でした。ここまではプラザ合意によるマイナスの影響です。

日本政府は公共投資拡大などの内需主導型経済の成長を促す積極財政をとり、日銀は段階的に公定歩合を引き下げて長期に金融緩和を続けました。この結果が円高を克服して我が国に景気拡大をもたらし、その後のバブルに至るのです。

バブルは1986年昭和61年)12月から1991年平成3年)2月までの51か月間の好景気資産価格の上昇、それに伴う社会現象を指します。1986年初めに原油価格が急落したことによる貿易利得も、大きく景気を刺激しました。多くの人が好景気を感じ始めたのは、少し遅れて1988年頃です。

 

国土庁は1985年の「首都改造計画」の中で、東京のオフィスは2000年までに5,000㏊、超高層ビルで250棟分必要になるとしました。当時のオフィス供給量は年間130haです。国土庁が目論んだのは地価高騰の抑止でしたが、国土庁の意に反して不動産会社ゼネコンはオフィス供給が国策とみて、都心の用地確保に飛びつきました。

1980年代後半は大企業が新株発行増資による自己資金の調達で銀行離れし、1987年末には都銀の収益を支えていた製造業向けの貸出が初めて2割を割りました。1985~1990年度の5年間で日本の金融機関の資金量は90%拡大し、銀行は貸出先の開拓に追われます。

金融機関の融資は不動産に向かい、土地とへの投機が盛んになります。転売目的の売買で地価は高騰し、高騰した土地を担保銀行は貸し付けを拡大しました。1985年3月末から1993年3月末にかけて全国の銀行の貸出は、251兆円から482兆円へと増加します。資産価格高騰は資産保有者に含み益をもたらし、資産効果によって消費が刺激され景気が過熱しました。

企業収益の向上と共に個人所得も増加し、日本の1人あたりの国民所得はアメリカを追い抜きました。1986年2月にNTTが上場し、株価は2か月で売り出し価格の3倍にあたる318万円の高値をつけ、企業も個人も財テクにのめり込んでいきました。

三大都市圏における地価は1986年から急騰し、1987年には東京都の商業地で対前年比80%の上昇となりました。地価上昇の影響は経済全体に波及し、土地に対する需要が高い限り景気は続くと云う楽観論が蔓延しました。

日経平均は1986年から急上昇し始め1989年12月末に38,915円の最高値を記録、1985年9月の12,598円の3倍となり、日本株の株価収益率はバブルが弾ける直前は100~200倍でした。地価も1990年には1985年と比較して4倍の上昇となりました。

1980年代半ば以降法人税が42%から30%へ、所得税最高税率が70%から40%へ引き下げられ、物品税も撤廃されて、増大した可処分所得が土地や株の購入に向かい銀行は土地担保融資を拡大しました。

大都市圏内の容積率の規制緩和、東京湾アクアライン建設、臨海副都心構想の具体化によって東京の不動産取引が活発化し、1986年の都心の地価の上昇は70%に達しました。

 

大都市の優良な土地の高騰に続いて収益の見込めない北海道や沖縄などの遠隔地の土地も、リゾート開発を名目に高い値段で取引されはじめ、建設・不動産・ホテル業界はリゾート地やゴルフ場を次々と開発しました。

1987年に総合保養地域整備法、通称「リゾート法」が制定され、都市から離れた地域に大企業を誘致してリゾート施設を開発する動きが活発になりました。ゴルフ場の会員権価格は軒並み高騰しました。

こうした土地を担保に巨額の融資が行われ、インカム・ゲイン(土地の有効活用による収益)ではなく、キャピタル・ゲイン(将来地価が上昇することで得られる値上がり益)が追求されるようになりました。

土地担保の融資は通常評価額の70%が目安ですが、土地の値上がりを見越して過大に貸し付けることも珍しくなく、破綻した北海道拓殖銀行では120%を融資した事例もあります。

都心の優良地区は地権が細分化されている上に借地借家が多数混在し、借主の権利が保護されていて大規模開発の推進が困難でした。そのため地上げ屋による強引な「地上げ」が行われて社会問題となります。

高級車が飛ぶように売れ、リゾート開発が進んでゴルフ場、スキー場に人が溢れ、若者たちは高級ディスコで夜通し踊りました。好景気はどこまでも続くと云う思い込みや、世界一の経済大国になった陶酔感が国全体を覆います。

潤沢な資金を得た企業は海外の不動産や企業を買収しました。三菱地所による2,200億円のロックフェラー・センターソニーによるコロムビア映画をはじめ、国外の不動産・リゾート・企業の買収が行われ象徴的なビルや企業が日本企業の手に渡ったことで、ジャパン・バッシングがおこります。

1990年の年明けにまず株が下落し、その後地価も下落に転じました。借金をして買った土地は売れなくなり、金融機関は巨額の不良債権を抱え、日本は「失われた20年」の長期停滞に陥っていきます。

1990年3月27日大蔵省が金融機関に不動産融資の総量規制を通達しました。行き過ぎた不動産取引を抑え込む狙いでしたが地価バブルを崩壊させるきっかけとなり、その後の日本に想定を超える深刻な打撃を与えました。

株や土地などの資産の下落で、一転して大きなキャピタルロスを抱えた企業や個人が増えましたが、バブルと云う言葉が広く実感を伴って認知されたのはバブル経済が崩壊したことによってです。

バブル崩壊後は物件を見極める目も厳しくなり、売れなくなった都市近郊のマンションは事実上資産価値がなくなり、多額の支払い残高を抱えて身動きが取れない事例も増えました。

我が国では戸建住宅を取得することが人生の目標の一つでしたが、戦後の地価高騰は都心の戸建て住宅はおろか、都市近郊でさえ取得するのを困難にしました。東京圏のマンション価格もサラリーマンの平均年収の8.9倍に達し、賃貸住宅の家賃も高騰して都心から遠い土地へと移転を迫られ、通勤時間が長くなる状況が生まれました。

バブル期の地価上昇を前提とした夢の住宅取得モデルは、若いうちに融資を受けて小さいマンションを取得し、値上がり後に下取りに出して、順次一段上のマンションに買い換えることを繰り返せば、最終的には望む戸建ての住宅を手に入れられると云うものでした。

異常なまでの地価高騰はどんなに小さな土地であっても、土地を持つ者と持たざる者の間に極端な不公平をもたらしました。バブル景気による土地・住宅・株式の値上りの恩恵に浴した者と、そうでない者との間には膨大な資産格差が生じたのです。

現在我が国では終身雇用制が崩れ、非正規雇用者の所得は厳しいものになりました。6人に1人の子供が貧困の時代になって食べ物にも窮しています。終身雇用制を前提に長期の融資を受け住宅を取得した従来の方式は、中年期の雇用喪失で成り立たなくなりました。その一方で高齢者が資産を持っていると云われるのは、バブルの恩恵に浴した人たちが高齢になったと云うことです。

我が国の一億総中流意識は未だに完全には崩れ去ってはいないようですが、戦前の中流意識であった50坪の敷地に家を持つことは、今年の東京23区の公示価格の坪単価181.5万では土地代だけで9千万を超え、給与所得で都内に土地を買い家を建てるのは不可能でしょう。

ソニー生命保険が「中高生が思い描く将来についての意識調査2017」を公開しています。日本の未来について、半数を超える中高生が明るい見通しを持っていません。9割の中高生が大人は「大変そう」「疲れている」と回答しています。

なりたい職業について男子中学生では「ITエンジニア、ゲームクリエーター、ユーチューバー」、男子高校生では「ITエンジニア・プログラマー、ものづくりエンジニア、ゲームクリエーター」です。スマホから多くの情報を受けている若者たちの社会観が、大人とはまったく異なっているのは明らかでしょう。

現在の貸せない売れない中古住宅は今後もますます増えていくでしょうが、これまでの大人のアナログの感覚では、将来とも都心の土地の価格が手ごろな値段まで下がるとは思えません。

中高生のデジタルの感覚ではITの活用によって、全国どこに住んでいても個人の能力が生かせる仕事が出来るようになり、自然豊かな土地にゆったりと住みながら、現在都会でなければ果たせないと思われている社会生活が、ごく当たり前に、できるようになるのかも知れません。

18世紀の産業革命はアナログの世界でのものでしたが、IT革命は過去のアナログの世界とはまったく別の世界へ至る社会革命です。これまでの人類はアナログの世界で食べるために働き、獲得した既得権を護ることに終始してきました。

近い将来のITの世界では、現在日常的に行われている仕事のほとんどをAIロボットが行うことが予想され、10人のうち9人までが今とは違う仕事をしているだろうと云う人までいます。

ITの世界では食べるための働きはすべてロボットに任せ、言葉の問題もAIで解決されて、どこに住んでいても世界中の誰とでも交流ができ、まったく新しい、自由な個人の生き方が展開できる世の中になるのかもしれません。



 

 

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