JOEは来ず・・・ (旧Mr.Bation)

なんの役にも立たない事を只管シコシコと

G・ガルシア・マルケス 木村栄一・訳 「わが悲しき娼婦たちの思い出」

2007-03-17 | BOOK
ガルシア・マルケスの今世紀第1作という事です。

Memoria de mis putas tristes (2004)

同じくノーベル賞作家の川端康成「眠れる美女」に想を得た作品とくれば読まずにはおけません。昨年読んだ「眠れる美女」の妖しくも美しい日本文豪エロ小説にコロンビア文豪はどう挑むのか。
双方は恋する少女がほとんど眠っている事意外、あまり類似性はないようです。描写の美しさから日本の川端を選びたい所ですが、いかにもラテン・アメリカらしく描いたガルシア・マルケスも捨てがたい。いや、比較する物じゃありませんね。
「満90歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた」主人公は若い頃から商売女でも素人でも寝た場合は必ず金を払うようにしてきた独身で、現役の外電屋。半世紀以上、日曜日の記事を書き続けてきた。
年老いてはいるが、どうにも元気溌剌で読んでいて90歳の年齢が感じられないくらいだ。でも90歳には間違いない。ご長寿早押しクイズには出れない90歳。
14歳の処女デルガディーナ(仮名)に恋をする。初恋だ。

ローサ・カバルカスの娼館では殺人事件も起こるし、例によってラテン・アメリカらしい出来事が起こるのだけれど、このあたりは中篇のせいか、ちょっと物足りない。マルケスはもっともっと長く読んでいたいのだ。
外電屋の私は年老いて恋に落ちると日曜日の記事がラブレターになってしまい巷で物議をかもし、世の中を騒がせる。なんと素敵な90歳よ。

言葉の魔術師マルケスというけれど、日本人にとってはこの小説、木村栄一氏の訳の美しさに魅了されます。特に冒頭の「1」なんて読んでいて気持ちが良くなっちゃいます。そしてラスト読後感の爽やかさ。確実に死を迎えるはずなのだが、その死は愛に恵まれた幸せなもの・・・

恋を題材にしたという点からも、この小説は20年前に発表された「コレラの時代の愛」と対にして読むべきもののように思う。訳者もデルガディーナを作者が純な魂のアメリカ・ビクーニャを死に至らしめた事で心を痛め20年の歳月をかけて蘇らせた生まれ変りという解釈をしている。なるほど、そうやって読むのも面白い。

途中、昔なじみの娼婦カシルダ・アルメンタとの再会場面がとても良かったので、他にも何百という「わが悲しき娼婦たち」とのエピソードを読んでみたい・・・




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