生駒のアラ還の独り言

医療業界のあることないことを独断と偏見で綴る

公益的、公的、公共的 という言葉の恣意的な使い分け

2010-05-14 19:24:55 | 日記

 医療業界では、公益的とか公的とか公共的とかの言葉がよく使われます。それが恣意的に使われることが多くこれが結構市民の誤解を招いています。特に問題なのは、実態の伴わない形式的・表面的な部分に拘った使い方が多いことです。
 ここ生駒市の生駒市立病院開設案件においても同類の発言が、医師会や市議会議員からなされています。
 公的病院と一般病院を別次元の存在のように主張する医師会。その意を汲んでか、医師会は公益法人だとか公共的法人で、その意見は厳かに拝聴すべきと主張する議員。
 しかしちょっと待ってください。その主張には、言葉の定義の曖昧さと実態無視さらには恣意的なものがあるのではないでしょうか。生駒市民は言葉遊びをしているわけではないのです。生駒総合病院が閉鎖されて5年余を経過し、生駒市の切実な医療崩壊の再生を議論しているのです。一般病院でも、個人病院でも、国立病院でも、医師会立病院でも、恩賜財団日赤病院でも、大学病院でも、県立病院でも 何でも結構です。それが、公的であろうが私的・一般的でも構わないのです。要は形に関係なく、実態的に生駒の医療ニーズ(特に2次救急、小児救急)に対応してくれる指定管理者を求めているわけです。公立私立関係なく、看板倒れの救急告示病院は却って迷惑です。看板だけ集めて、”救急体制は万全である”という医師会の詭弁はもうご免です。実態と本質の議論をしたいのです。
  
 ある業界識者の意見でもありますが、そもそも医療というもの自体が公益的なものなのです。個人開業医でも、同じく医療という公益的事業を行なっているはずです。
 話がくどくなりそうですので簡潔にします。要は、経営主体が誰であれ、やるべきは公益的事業である「医療」を真摯に遂行することなのです。赤字であろうが黒字であろうがやるべきことはやる というのが医療機関の本来の姿です。最終的に黒字経営ができるかどうかは経営者の力量次第です。ビジネスである以上、ゴーイング・コンサーンの埒外ではないわけです。①やる気と②志と③経営ノウハウ でしょうか。これができない医療機関は即刻退場ものです。赤字部門には見て見ぬふりをし、黒字部門のみにコバンザメのように張り付く医療機関は情けない限りです。
 で、「政策医療=赤字=市立(公的)病院が担当・負担」 という図式は、それこそ恣意的主張と思います。赤字部門のみを担当するのが市民病院(公的病院)の役割だ という医師会の主張がどれほど外れた主張なのかは以上でご理解いただけると思います。民間でも当然やるべき公益的事業をやらず(もしくは 力量がない)、嫌なものだけを市立病院に押し付けているだけなのです。

 しかしこんな医師会の意識レベルですので、生駒市立病院は民間病院が嫌がることも結局はやらざるをえないのでしょう。尻拭いですが、ことここまで崖っぷちまできた以上仕方ありません。
 政策医療という赤字部門を抱えながらトータルとしての病院全体では黒字経営を達成し、生駒市民の負担をさせない健全経営を行うこと。これを市立病院指定管理者である徳洲会に実行していただきたい。市民も全面的にサポートしてゆくでしょうし、必ずや成功します。そして、こんなお粗末な医師会や民間医療機関を見返してやりましょう。

 話が散漫になりましたが、緊急の具体的な議論をする際には言葉を意図的に恣意的に使うことは避けるべきことを話しました。また、議論は表面や形式でではなく、実質的・実態的な議論をすべきを指摘しました。

 なんで今更こんなことを話する必要があるのでしょうかね。我ながら情けなくなってきました。