古代日本の歴史を謎解き

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鉄剣・鉄刀銘文 と 日本武尊

2020-06-15 17:36:36 | 歴史
527年の筑紫磐井の乱からさらに時代をさかのぼってみます。
大部手掛かりが少なくなりますが、戦後の発見と技術で
古代の刀に刻まれた文字の再現がかのうになりました。
まだ、数は少ないのですが、大変な発見が
埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した 稲荷山古墳出土鉄剣

熊本兼玉名郡の江田船山古墳から出土した 銀錯銘大刀
に奇妙な特徴があります。

稲荷山古墳出土鉄剣 115文字

辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ。其の児、(名は)タカリのスクネ。其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ。其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。

其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケル(クヮクカタキル)の大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。
辛亥年は471年(或いは531年 60年に一度)
ヲワケの臣
ご先祖様は オホヒコで
その子 6代の名前
獲加多支鹵大王:ワカタケル(クヮクカタキル)の大王の寺

銀錯銘大刀  7宇5文字
天の下治らしめし獲□□□鹵大王の世、典曹に奉事せし人、名は无利弖、八月中、大鉄釜を用い、四尺の廷刀を并わす。八十たび練り、九十たび振つ。三寸上好の刊刀なり。此の刀を服する者は、長寿にして子孫洋々、□恩を得る也。其の統ぶる所を失わず。刀を作る者、名は伊太和、書するのは張安也
獲加多支鹵大王(ワカタケル大王、雄略天皇か)の時代
刀鍛冶の名前は 伊太和
文字を刻んだのは張安(ともに中国人では?)

獲加多支鹵大王と云う人物が両方の刀に刻まれています。
共に同じ時代に同じ場所(多分、大和)で大陸の刀職人に作らせて大陸人に文字を刻ませたようです。
名前が ヲワケ と云う呼び名を乎獲居で当て字で漢字にしています。
この時代、日本(大和地方)では名前を漢字にしておらず、必要に応じて当て字も用いた!!
更に疑問は、大和で造られた刀が遠く離れた関東と九州で発見されている。
※まだ発見されていない刀があるはずですが。

「古事記」「日本書紀」を参考に探してみると
日本武尊(父が12代景行天皇)の熊襲征討・東国征討
・生まれつきの怪力、兄を握りつぶしてしまう。
・父景行天皇 熊襲征伐を命令される。
・女装して熊襲兄弟の宴会に潜り込み、二人を倒す
(その時に尊:タケルと云う名前をもらう。)
※獲加多支鹵大王(ワカタケル大王)= ヤマトタケルか(?)
 タケル と云う名前は結構大勢いたようです。

・帰ってくると次は東国征伐命令される。
・途中、伊勢により叔母の倭姫より剣と袋を授かる。
・東国で敵が放った火に囲まれて大ピンチ
・授かった剣で周囲の草を切ると炎の向きが相手方向に変わる。
 ※この時から、この剣が「草薙剣」と呼ばれるようになる。
・東国も征伐するが期間の途中で亡くなり白鳥となって大和へ戻る。

雄略天皇が21代、景行天皇が12代天皇 9代ほどずれがありますが
この時代、兄弟で天皇家を伝承しているので世代的には6世代になります。

もう一人、九州征伐をしたお方が神功皇后(14代仲哀天皇の后)
この方は身重の状態(後の応神天皇)で九州征伐と朝鮮半島征伐を成し遂げています。
お二人とも神業的なお力を持っておられるので、実在と云うより伝承の人物でしょう。

いずれにせよ
400年代後半、漢字が使われ始めたが、先祖の名前を当て字で刻む程度
しかし、ご先祖様の名前はきちんと伝承で残っていました。

「古事記」に記載されている年代とずれが発生しています。
正しい年代、年齢なども信ぴょう性が疑われるため、西暦の表示がなくなっています。

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