古代日本の歴史を謎解き

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韓国最大の古墳発掘されるが・・・

2021-03-28 12:22:57 | 歴史
最近のニュースですが
韓国で朝鮮半島最大の古墓再び埋める
簡単に紹介すると
韓国で朝鮮半島最大の古墳が発見され
発掘調査すると日本の古墳とそっくりだったため
再び埋められる。

他にも、朝鮮半島南部には沢山の前方後円墳が発見されています。

その中の一つ「長鼓峰古墳」を発掘調査したところ
5~6世紀の九州の古墳とそっくり
「長鼓峰古墳」は6世紀前半と推定されています。
ご存知の通り、日韓関係は戦前の歴史問題を発端に最悪の状態です。
この事実を素直に認めると
「5~6世紀 朝鮮半島の南部は倭人の王が支配していた」
現韓国政府が認めるわけにいかない現実です。
発掘調査後、間もなく埋められた理由はこれでしょう。

ここは、素直に考えてみましょう。
時代は百済、佳那、新羅の三韓時代
実は、百済の南、佳那の西方向に
倭人の国があった。
日本書紀に登場する「任那日本府(みまなにほんふ)」ではないか。
3世紀頃の倭国を紹介した魏志倭人伝では
倭国の始まりが 佳那韓国(現在のプサン周辺)から
壱岐、対馬を経由して九州の末露国を紹介しています。
当時の中国(魏国)が佳那韓国を倭人の国としたのか
佳那の国だったのかは解釈次第です。
弥生時代のお墓は、甕棺を使った集合墳ですが
卑弥呼の死後は古墳時代に変わり
王の墓は、前方後円墳が主流になります。
卑弥呼の墓が
最初の前方後円墳なのか
最後の集合墳なのか? 結論は無いです。
5~6世紀では、日本列島各地で前方後円墳が作られています。
九州では 筑紫、山陰では出雲
近畿では大和と国名を名乗り
大和が西日本を連合港としてまとめた時代です。
今回、韓国で発掘調査された前方後円墳の内部は
九州の前方後円墳とそっくり
装飾品は既に盗掘されていたが
倭国の物もあり、百済文化、佳那文化が含まれていた。
4世紀に九州北部は筑紫の国になり
5世紀には王族が朝鮮半島南部にの住んでいて
百済、佳那、佳那の他に、筑紫一族の国があった
この国が「任那日本府」だったのかは、結論が出ないですが
どうも事実です。
反日一色のお隣、韓国の主張は
・前方後円墳は韓国が発祥
・当時の倭人が真似をした
と言う事らしいですが
年代を考えると、どう考えても逆です。
魏蜀呉の三国が滅んで大陸が乱れていた時代。
高句麗(現在の北朝鮮付近)が力を付けます。
南下して百済、新羅とも争っていたようです。
百済経由で朝鮮文化、仏教などが倭国へ伝わった事も事実です。
意外と百済、新羅と倭国は友好的な関係だったのではないでしょうか。