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弥生時代をざっくりと
からご覧ください。
魏志倭人伝に登場する倭国の女王 卑弥呼ですが
・隣国(南側)の狗奴国との争いが激化
・大陸の魏国に仲裁の依頼をする。
・大陸の役人 張政らに倭国派遣の命令が出る(247年)
しかし、張政らが到着すると
「卑弥呼以て死す」
卑弥呼は亡くなっていたようです。
・径100歩の大きな墓に埋葬される。
・殉職者は100名
などの記載があります。
更に
・男王が立つが国まとまらず乱れる。
・13歳の卑弥呼の宗女 台与 が女王になり国がまとまる。
張政らは、卑弥呼の死後の倭国をしっかりと描写しています。
事実を目のあたりにしたのでしょう。
但し、卑弥呼の死の原因については
「以て死す」の一言だけです。
さて
当時の倭人たちは張政らに卑弥呼の死の原因を伝えなかったのか?
考えられる事
1,あえて倭国の役人が伝えなかった。
2,伝えたが張政らが大陸に伝えなかった。
※答えは一番最後にあります。
考えられる死の原因
1,老衰による死亡
2,狗奴国による殺害
3,邪馬台国内部の内乱
4,他の倭国(伊都国や奴国)からの殺害
などが考えられています。
私自身は
卑弥呼 複数説です。
180年頃から247年(或いは248年)まで
70年ほども老女の卑弥呼が生き続けることが無理
魏国に朝貢して、「親魏倭王」金印を与えられるなど
既に祈祷師が行う治世ではない。
となると
1,老衰による死亡
2,狗奴国による殺害
引き続き、祈祷政治を続けるのであれば
次の 卑弥呼を立てればよいです。
しかし実際には、次に男王が立っています。
女性の祈祷文化に終わりを告げたのです。
後の古墳時代の始まりでしょう。
武力を持つ豪族の時代の始まりです。
考えられるのは
3,邪馬台国内部の内乱
4,他の倭国(伊都国や奴国)からの殺害
です。
倭国は男王派閥と卑弥呼の様な女王派閥と二分したのでしょう。
改めて卑弥呼の宗女 台与 が女王になります。
卑弥呼と云う祈祷師の呼び名ではなく
台与と云う女性の名前になっています。
祈祷文化は終了しますが
卑弥呼の祈祷の歴史は残ります。
多分、伊都国、奴国の男王と結婚したのでしょう。
そして、新しい国名は、筑紫と変わります。
さて
魏志倭人伝に卑弥呼の死の原因が書かれていない理由
・殺害したであろう伊都国、奴国側の説明
卑弥呼は悪者で国を惑わしたので成敗した
・殺害を止めたであろう邪馬台国の説明
卑弥呼は責任を感じて自害した
この二つが、一致しなかったので
どちらが正しいか判断できなかった。
ではないでしょうか。
卑弥呼の墓は
弥生時代の最後の集合墳
大きな古墳を造る時間はありません。
殉職者100名も卑弥呼の宗女らでしょう。
唯一、生き残っていたの台与など若い女性だけでした。
弥生時代をざっくりと
からご覧ください。
魏志倭人伝に登場する倭国の女王 卑弥呼ですが
・隣国(南側)の狗奴国との争いが激化
・大陸の魏国に仲裁の依頼をする。
・大陸の役人 張政らに倭国派遣の命令が出る(247年)
しかし、張政らが到着すると
「卑弥呼以て死す」
卑弥呼は亡くなっていたようです。
・径100歩の大きな墓に埋葬される。
・殉職者は100名
などの記載があります。
更に
・男王が立つが国まとまらず乱れる。
・13歳の卑弥呼の宗女 台与 が女王になり国がまとまる。
張政らは、卑弥呼の死後の倭国をしっかりと描写しています。
事実を目のあたりにしたのでしょう。
但し、卑弥呼の死の原因については
「以て死す」の一言だけです。
さて
当時の倭人たちは張政らに卑弥呼の死の原因を伝えなかったのか?
考えられる事
1,あえて倭国の役人が伝えなかった。
2,伝えたが張政らが大陸に伝えなかった。
※答えは一番最後にあります。
考えられる死の原因
1,老衰による死亡
2,狗奴国による殺害
3,邪馬台国内部の内乱
4,他の倭国(伊都国や奴国)からの殺害
などが考えられています。
私自身は
卑弥呼 複数説です。
180年頃から247年(或いは248年)まで
70年ほども老女の卑弥呼が生き続けることが無理
魏国に朝貢して、「親魏倭王」金印を与えられるなど
既に祈祷師が行う治世ではない。
となると
1,老衰による死亡
2,狗奴国による殺害
引き続き、祈祷政治を続けるのであれば
次の 卑弥呼を立てればよいです。
しかし実際には、次に男王が立っています。
女性の祈祷文化に終わりを告げたのです。
後の古墳時代の始まりでしょう。
武力を持つ豪族の時代の始まりです。
考えられるのは
3,邪馬台国内部の内乱
4,他の倭国(伊都国や奴国)からの殺害
です。
倭国は男王派閥と卑弥呼の様な女王派閥と二分したのでしょう。
改めて卑弥呼の宗女 台与 が女王になります。
卑弥呼と云う祈祷師の呼び名ではなく
台与と云う女性の名前になっています。
祈祷文化は終了しますが
卑弥呼の祈祷の歴史は残ります。
多分、伊都国、奴国の男王と結婚したのでしょう。
そして、新しい国名は、筑紫と変わります。
さて
魏志倭人伝に卑弥呼の死の原因が書かれていない理由
・殺害したであろう伊都国、奴国側の説明
卑弥呼は悪者で国を惑わしたので成敗した
・殺害を止めたであろう邪馬台国の説明
卑弥呼は責任を感じて自害した
この二つが、一致しなかったので
どちらが正しいか判断できなかった。
ではないでしょうか。
卑弥呼の墓は
弥生時代の最後の集合墳
大きな古墳を造る時間はありません。
殉職者100名も卑弥呼の宗女らでしょう。
唯一、生き残っていたの台与など若い女性だけでした。
古代史が中々決着しない理由はいくつかありますが、一番大きい理由の一つは、タイトルのとおり、いくつも解釈が存在し、それが淘汰されないからだと気付きました。
わたしは長く理系の仕事をしてきましたので、現象を解明するための実験を行い、解釈=仮説を検証してきました。古代史の場合は実験は余りありませんので、どうするかを考えました。
その結果、一つの事象だけでなく、それと関連すると考えられる前後の複数の事象群について、つまり時代を跨いでその時代に一体何が起こったのかを説明する仮説を考えると解決できることに気付きました。論理学でいう仮説推論(アブダクション)を用いて事象群を個々に矛盾なく説明できる仮説が、実際に起こったことである蓋然性が高いということなのです。
ですから、あなたがひらめいた卑弥呼の死に関する仮説は、その前後の事象とどう絡み合い、その時代を矛盾なく説明できるかということに着目する必要があるということです。
この手法の特徴は、今まで考えもしない推論が突然ひらめいて発見できるということです。これによって弥生時代から古墳時代初頭の出来事が矛盾な説明できました。ただし、検証はいつまでも続きますが、大きな事実誤認がなければその仮説が正しい可能性は高いと考えられるということです。
何よりも単なる想像が根拠ではなく、事実に基づき妥当な推論をすると言うことなのですから可能性は高いということです。よろしければ拙ブログ「古代史を推理する」に詳しく説明していますので、お越しください。突然失礼しました( ^)o(^ )