古代日本の歴史を謎解き

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弥生時代の信仰の変化

2018-12-31 21:17:32 | 歴史
現代の神社 と 仏教と出会う前の神社
では、平安時代に仏教に対抗して現在の神社制度が出来た。
と紹介しましたが、読んで頂ければ
そうかな?と感じていただけると思います。
では、それ以前の神道(古代神道)はどうだったのでしょうか。
歴史の大まかな流れは
・村々の小さな信仰から少しづつ大きくなり平安時代に日本統一の神社制度となった。
・岩や大木など自然崇拝から人間の形をした神様の崇拝(八百万の神々)更に先祖崇拝になった。
二つの大きな流れがあります。
大きな流れの変化は、大陸移住者である弥生人の増加です。
ここでも大きな流れを把握しておく必要があります。
・弥生人(大陸移住人)は九州北部から徐々に東に浸透していった。
実際に
・弥生時代の歴史書(魏志倭人伝など)は九州北部について詳しく記載されている。
・縄文時代(土偶や火焔型縄文土器)は東北地方に多くみられます。
これはたまたまかもしれませんが
・ちょうど中間地点が近畿の大和朝廷???
九州北部、山陰地方が弥生色が強く
東北から長野など山間部は縄文色が強い。
曖昧ではありますが、確かにそんな感じがしませんでしょうか。

さて、自然崇拝から神様への信仰と変わったのが
「魏志倭人伝」に紹介されている邪馬台国の卑弥呼です。
卑弥呼は祈祷師ですので神様ではありません。
当時の人々が信仰している自然の神様達と意志の交流が出来る人と云う事です。
180年ごろに長齢(老婆)でありながら248年までの約70年も生きていたことに
最後は神の存在になっていたのではないでしょうか。
そして、卑弥呼の死後を境に、古墳時代になります。
信仰が亡くなった王様、つまり故人(人物)が神様になります。

縄文時代の自然崇拝の日本に
大陸移住人の弥生人が祈祷師と云う中間的な存在を作り縄文人を支配
古墳時代には、信仰は権力をふるった王が古墳を造り神となる。
飛鳥時代、平安時代は神様が沢山いては統一できないので天照大神様一人にした。
しかし、納得しない国もあり素戔嗚命などが神話として残した。

大まかな流れですが、如何でしょうか。


現代の神社 と 仏教と出会う前の神社

2018-12-31 19:46:11 | 歴史
あと数時間で今年も終わろうとしています。
新年には
皆さん、お近くの神社に初詣に行かれるのでは・・・
現在の神社制度は平安時代に古事記や日本書紀をベースにした
伊勢神宮の天照大神様をトップにした神社制度の上に成り立っています。
では、それ以前の神道はどうだったのでしょうか?
何故、平安時代に現在の神社制度が出来たのでしょうか?
答え
・漢字の伝来
・仏教の伝来
の二つが同時に起きました。
氏姓制度などが伝わり
一族や土地に漢字で名前を付け始めた。
次に、仏像(シンボル)と仏典(経典)が伝わり
文字を使って信者が増えます。

仏教では、仏様、菩薩様など階級があり
お寺や仏像などの配置、意味などが決まっていました。
一方、古来日本の神道には漢字が無く、万物に神様が存在しています。
神様の上下関係もなく、表現は伝承的で抽象化された状態だったでしょう。
天皇家を中心とした大和朝廷の国造りには
・天皇家のご先祖様が、この日本列島を作って下さった。
・天照大神様がご先祖様で、そのご兄弟に素戔嗚命
・神社に上下の階級を付ける。
・鳥居や本殿など神社の作り方も決めた。
・鏡、剣、勾玉などご本尊など神社での神事も決まっていきます。
全てが仏教に対抗する手段ですが
その手法の多くは仏教を参考にしたようです。


日本古来(縄文時代、弥生時代、古墳時代)の神道が
大きく変化したのが平安時代だったのです。
私たちが初詣などでお参りする神社の殆どは
この時代以降の伝承と云えます。

縄文時代=>弥生時代=>古墳時代

2018-12-16 12:02:00 | 歴史
久しぶりです。
さて、古代の生活を想像する上で、理解しておきたい事
権力の格差です。
・縄文時代
竪穴式の家に一家が生活して
複数の家族が同じ地域で生活
お互いに協力して狩猟などを行っていました。
多分、女性陣が山で山菜や木の実などを採取
男性陣が獣や梅や川魚などを狩猟していたのでしょう。
料理や食料の保存に縄文式土器が使われていました。
生活のための土器として以外に火焔型土器や土偶の様な神事にも使われていたようです。
食料を小さ料理できなかったのでしょうか、比較的大きな土器で厚手です。
共同生活の特徴でしょうか、リーダーとなる人はいても生活は平等で
労働にかける時間も少なく、雨など気象が悪い日は、ひたすら建物の中で休んでいたでしょう。

・弥生時代
大陸から農耕や織物など新しい技術が伝わります。
鉄製の農耕や狩猟の道具の他に、争いの武器としても鉄製品が使われます。
環濠集落が各地に出来て集落が大きく大勢になります。
この時代に仕が専門的になり格差が始まります。
農耕で備蓄が可能な穀物が沢山生産できます。
穀物を保存するための倉が出来ます。
倉に保存された穀物を管理する、守る武人が必要になります。
物々交換ですので、管理する人も必要になります。
多分、大陸から移住した人々がその地位についたでしょう。
農耕は採取と比較すると労働力が必要です。
管理するための仕事、争いも増えますので
縄文時代より労働の時間増加したはずです。
弥生式土器も質素で利便性重視、大量生産向きになります。
卑弥呼の様な祈祷師も世襲制で存在しています。
縄文時代からあった勾玉などをつかった祈祷に加えて
大陸思想が加わり青銅製の鏡も祈祷に使われたようです。
さすがに縄文時代の祈祷が否定されることなく大陸思想と融合したイメージでしょう。
お墓(遺体の埋葬)も始まります。
集合墳ですが、王家の墓は特別な場所に作られたようです。
この王家は元々は縄文人だったかもしれませんが、小さな村々が一つにまとまる中
徐々に渡来弥生人が王となったのではないでしょうか。
もちろん結婚は、近い血族の間で繰り返されたでしょう。
環濠集落の外で農耕や狩猟を行う人が格差の中では、身分が低い人たちで
他にも争いで敗れた国の一族が奴隷として働かされたり、他の国への物々交換の材料にされと思います。
職業は全て世襲制で
・王家
・祈祷師
・倉などの管理、農耕、織物の指導者
・国を守るための武人
などが出来ています。
国をまとめたり、武人に命令した権力が徐々に祈祷師に移ったのでしょうか
祈祷師卑弥呼が女王として紹介されるようになります。
倭国大乱の後ですから、争いごとに不安があり
農耕なども気象に大きく影響されますので、王家共に祈祷師に大きな期待を寄せたのです。

・古墳時代
祈祷師の権力が失われて
権力が王家に集中します。
王家に使えた祈祷師の時代で
大きな古墳が、権力と祈祷のシンボルになったでしょう。
大陸との交易が途切れる時代ですので、日本海、瀬戸内海を使った
国内での交易が盛んに行われたようです。
朝鮮半島に対しては、支配か、友好関係か二分していたはずです。
そして、奈良の奈良盆地で始まる飛鳥時代
朝鮮半島から移住してきた渡来人をうまく活用し
漢字の伝来
仏教伝来
と大きな発展をしたのが 大和朝廷です。
大和朝廷が目指した国づくりは
・氏姓制度
・身分制度の確立
・交通路の確立
・一つの王家による国家統一
・都の建築
大陸に習い新しい国づくりを始めるわけです。
その道のりは険しく
都を平城京、長岡京、平安京と幾度も遷都を繰り返していきます。

約2000年ほど前に数百年をかけて日本列島が一つにまとまったわけです。
権力と武力、財力が天皇家に集中していき
身分の格差が広がり世襲制度となります。
自分の死後を子孫に委ねる気持ちは今も昔も変わらないのでしょう。