更に前の投稿の続きです。
魏志倭人伝の最後は、卑弥呼の死後を
あらためて男王をたてたが、国中は不服であった。
こもごもあい誅殺した。当時千余人を殺しあった。
倭人たちはまた卑弥呼の宗女の壱与(台与)なるもの
年十三をたてて王とした。
国中はついに定まった。
張政らは、檄をもって壱与を告諭した。
壱与(台与)は倭の大夫の率善中郎将掖邪狗ら二十人をつかわし
張政らの帰還をおくらせた。
と締めくくっています。
13歳ですので・・・
仮に卑弥呼の死後249~250年頃の出来事として
卑弥呼が「親魏倭王」の称号をもらった238年頃の生まれになります。
4~5歳くらいで身の回りの出来事がわかるようになったとして
・卑弥呼と狗奴国の卑弥弓呼との争い
・卑弥呼死後の出来事
を記憶している年齢でしょうか
最後の卑弥呼と近い年齢の宗女はいなかったのでしょうか?
何故、卑弥呼の後継者にふさわしい 巫女 の名前を引き継がなかったのか。
卑弥呼は生涯独身とされていますが、最後の卑弥呼は結婚していた?
10代で壱与(台与)を238年頃主産していた?
妊婦が政治の頂点で大仕事をするとも考えにくいので
最後の卑弥呼とは血縁関係のない別の女性の子供かもしれません。
卑弥呼に近い人物の子供であった事は間違いないでしょう。
帰国していた難升米、張政ら
卑弥呼の死後は
卑弥呼反対派と卑弥呼信仰派の争いが残っていた。
帰国していた難升米、張政らが仲裁に入り
国を二つに分けて、お互いに争わない約束をすることで
平和になった。
そのひとつが、壱与(台与)の国
もう一つは、後の時代の筑紫ではないでしょうか。
もちろん、卑弥呼の宗女は他にもいるので
幾つかの国へ嫁入りしたでしょうし
王家へ嫁入りできなくても召使として連れ添った人もいたでしょう。
但し、男性側には容赦なかったかもしれません。
魏志倭人伝に壱与(台与)のみが登場するのは
張政らが共にしたのが壱与(台与)だったので女王として大陸で紹介された。
当時の卑弥呼の宮殿となった環濠集落も無くなったはずです。
卑弥呼が持っていたはずの鏡や金印も
割られた、つぶされた、溶かされたなどして無くなってしまった。
或いは、卑弥呼の墓に一緒に埋められたかもしれません。
こうして倭国は一つにまとまることなく古墳時代を迎えます。
後の「古事記」の上巻にある日本神話では
九州は 筑紫、豊(トヨ)、日向、熊襲(狗奴国)の四つがある。
天孫降臨が高千穂、神武東征出発が日向で豊国、筑紫に寄って
瀬戸内海を経由して近畿へ
天皇家の祖先が天照大神(女性)と云う流れに伝承された。
卑弥呼の宗女の子孫が後の大和朝廷を建国したと考えています。
魏志倭人伝の最後は、卑弥呼の死後を
あらためて男王をたてたが、国中は不服であった。
こもごもあい誅殺した。当時千余人を殺しあった。
倭人たちはまた卑弥呼の宗女の壱与(台与)なるもの
年十三をたてて王とした。
国中はついに定まった。
張政らは、檄をもって壱与を告諭した。
壱与(台与)は倭の大夫の率善中郎将掖邪狗ら二十人をつかわし
張政らの帰還をおくらせた。
と締めくくっています。
13歳ですので・・・
仮に卑弥呼の死後249~250年頃の出来事として
卑弥呼が「親魏倭王」の称号をもらった238年頃の生まれになります。
4~5歳くらいで身の回りの出来事がわかるようになったとして
・卑弥呼と狗奴国の卑弥弓呼との争い
・卑弥呼死後の出来事
を記憶している年齢でしょうか
最後の卑弥呼と近い年齢の宗女はいなかったのでしょうか?
何故、卑弥呼の後継者にふさわしい 巫女 の名前を引き継がなかったのか。
卑弥呼は生涯独身とされていますが、最後の卑弥呼は結婚していた?
10代で壱与(台与)を238年頃主産していた?
妊婦が政治の頂点で大仕事をするとも考えにくいので
最後の卑弥呼とは血縁関係のない別の女性の子供かもしれません。
卑弥呼に近い人物の子供であった事は間違いないでしょう。
帰国していた難升米、張政ら
卑弥呼の死後は
卑弥呼反対派と卑弥呼信仰派の争いが残っていた。
帰国していた難升米、張政らが仲裁に入り
国を二つに分けて、お互いに争わない約束をすることで
平和になった。
そのひとつが、壱与(台与)の国
もう一つは、後の時代の筑紫ではないでしょうか。
もちろん、卑弥呼の宗女は他にもいるので
幾つかの国へ嫁入りしたでしょうし
王家へ嫁入りできなくても召使として連れ添った人もいたでしょう。
但し、男性側には容赦なかったかもしれません。
魏志倭人伝に壱与(台与)のみが登場するのは
張政らが共にしたのが壱与(台与)だったので女王として大陸で紹介された。
当時の卑弥呼の宮殿となった環濠集落も無くなったはずです。
卑弥呼が持っていたはずの鏡や金印も
割られた、つぶされた、溶かされたなどして無くなってしまった。
或いは、卑弥呼の墓に一緒に埋められたかもしれません。
こうして倭国は一つにまとまることなく古墳時代を迎えます。
後の「古事記」の上巻にある日本神話では
九州は 筑紫、豊(トヨ)、日向、熊襲(狗奴国)の四つがある。
天孫降臨が高千穂、神武東征出発が日向で豊国、筑紫に寄って
瀬戸内海を経由して近畿へ
天皇家の祖先が天照大神(女性)と云う流れに伝承された。
卑弥呼の宗女の子孫が後の大和朝廷を建国したと考えています。