「古事記」「日本書紀」を参考に古代を読み解いても
いったい、いつの時代の出来事?
弥生時代?古墳時代?と混乱してしまいます。
原因は初代神武天皇の即位を紀元前600年に設定したためですが
はっきりと年代がわかる聖徳太子の時代から
活躍された天皇をお話を遡ってみます。
聖徳太子(33代推古天皇(女帝))の皇太子で摂政になる。
ご存知の通り飛鳥時代(593年 聖徳太子摂政になる)の時代です。
・蘇我氏(仏教派)VS物部氏(神道派)の争い
・天皇暗殺
・女帝推古天皇、摂政 翔太億太子
と近畿は不安定で権力でもめ事が
天皇家より周囲の豪族に権力があった時代
冠位十二階、17条の憲法など、大陸、朝鮮半島を参考にした
天皇中心の律令政治の始まりです。
26代継体天皇
16代仁徳天皇から25代武烈天皇まで直系で引き継がれた天候一族ですが
悪行で有名な武烈天皇が後継者を指名せず、独身のまま幕なる。
仁徳天皇父、15代応神天皇の子孫となる継体天皇に即位をしてもらう事に
有名な出来事に 筑紫磐井の乱(527年)があります。
朝鮮半島へ出兵を試みるが
九州の筑紫磐井が百済側につき裏切り失敗
大伴金村・物部麁鹿火らに筑紫磐井の討伐を命令
528年、筑紫蒼井が無くなり勝利
大阪府高槻市にある今城塚古墳が
天体天皇陵では・・・
古墳時代の最後の頃です。
16代仁徳天皇
百舌鳥・古市古墳群にある
最大の仁徳天皇陵(大仙陵古墳)で有名です。
記載の内容では、都を難波に移し、朝鮮半島支配に力を入れていたようです。
一方、古墳の名前が 仁徳天皇陵 と 大仙陵古墳 の二つの名前があり
実際に 仁徳天皇の古墳ではないとも考えられています。
古墳時代、全盛期にあたります。
倭の五王の記載に匹敵するので
420年~479年ではないでしょうか。
ここまでは、年代がはっきりしています。
14代仲哀天皇と神功皇后
三韓征伐で有名です。
征伐の途中で仲哀天皇が亡くなり
神功皇后が身重のまま、三韓征伐
仲哀天皇が亡くなりちょうど一年目に九州で出産
近畿には大勢の皇太子がいる中
神功皇后は自分子を天皇に15代応神天皇を
朝鮮半島に残る 広開土王碑 の時代391年でしょう。
日本武尊(ヤマトタケル)、12代景行天皇、倭姫命
・日本武尊の熊襲征伐
・倭姫命の伊勢神宮の創建
いよいよ、年代を特定する明かりが無くなってきます。
33代推古天皇が 592年
16代仁徳天皇が 420年
17代で170年ほど、平均一代10年ほどで計算すると
12代景行天皇は370年ほどではないでしょうかか
同じ計算方法で
初代神武天皇は 420年ー10年*15代=270年
欠史八代を考慮すると
350年ほど??
神武東征の神話も卑弥呼の死(247年)後、古墳時代になります。
ざっとですが
・ニニギの天孫降臨
・出雲の国譲り
・天照の岩戸隠れ
古墳時代の始まり~弥生時代後期
のお話ではでしょうか
神話に登場する高天原の風景も
・服装
・織物
・武器など
弥生時代以降です。
天照大神=卑弥呼・台与 がぎりぎりの時代です。
神功皇后、倭姫命が卑弥呼・台与 には時代背景には無理がありそうです。
いったい、いつの時代の出来事?
弥生時代?古墳時代?と混乱してしまいます。
原因は初代神武天皇の即位を紀元前600年に設定したためですが
はっきりと年代がわかる聖徳太子の時代から
活躍された天皇をお話を遡ってみます。
聖徳太子(33代推古天皇(女帝))の皇太子で摂政になる。
ご存知の通り飛鳥時代(593年 聖徳太子摂政になる)の時代です。
・蘇我氏(仏教派)VS物部氏(神道派)の争い
・天皇暗殺
・女帝推古天皇、摂政 翔太億太子
と近畿は不安定で権力でもめ事が
天皇家より周囲の豪族に権力があった時代
冠位十二階、17条の憲法など、大陸、朝鮮半島を参考にした
天皇中心の律令政治の始まりです。
26代継体天皇
16代仁徳天皇から25代武烈天皇まで直系で引き継がれた天候一族ですが
悪行で有名な武烈天皇が後継者を指名せず、独身のまま幕なる。
仁徳天皇父、15代応神天皇の子孫となる継体天皇に即位をしてもらう事に
有名な出来事に 筑紫磐井の乱(527年)があります。
朝鮮半島へ出兵を試みるが
九州の筑紫磐井が百済側につき裏切り失敗
大伴金村・物部麁鹿火らに筑紫磐井の討伐を命令
528年、筑紫蒼井が無くなり勝利
大阪府高槻市にある今城塚古墳が
天体天皇陵では・・・
古墳時代の最後の頃です。
16代仁徳天皇
百舌鳥・古市古墳群にある
最大の仁徳天皇陵(大仙陵古墳)で有名です。
記載の内容では、都を難波に移し、朝鮮半島支配に力を入れていたようです。
一方、古墳の名前が 仁徳天皇陵 と 大仙陵古墳 の二つの名前があり
実際に 仁徳天皇の古墳ではないとも考えられています。
古墳時代、全盛期にあたります。
倭の五王の記載に匹敵するので
420年~479年ではないでしょうか。
ここまでは、年代がはっきりしています。
14代仲哀天皇と神功皇后
三韓征伐で有名です。
征伐の途中で仲哀天皇が亡くなり
神功皇后が身重のまま、三韓征伐
仲哀天皇が亡くなりちょうど一年目に九州で出産
近畿には大勢の皇太子がいる中
神功皇后は自分子を天皇に15代応神天皇を
朝鮮半島に残る 広開土王碑 の時代391年でしょう。
日本武尊(ヤマトタケル)、12代景行天皇、倭姫命
・日本武尊の熊襲征伐
・倭姫命の伊勢神宮の創建
いよいよ、年代を特定する明かりが無くなってきます。
33代推古天皇が 592年
16代仁徳天皇が 420年
17代で170年ほど、平均一代10年ほどで計算すると
12代景行天皇は370年ほどではないでしょうかか
同じ計算方法で
初代神武天皇は 420年ー10年*15代=270年
欠史八代を考慮すると
350年ほど??
神武東征の神話も卑弥呼の死(247年)後、古墳時代になります。
ざっとですが
・ニニギの天孫降臨
・出雲の国譲り
・天照の岩戸隠れ
古墳時代の始まり~弥生時代後期
のお話ではでしょうか
神話に登場する高天原の風景も
・服装
・織物
・武器など
弥生時代以降です。
天照大神=卑弥呼・台与 がぎりぎりの時代です。
神功皇后、倭姫命が卑弥呼・台与 には時代背景には無理がありそうです。