古代日本の歴史を謎解き

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古代の信仰の流れ

2021-04-29 18:14:22 | 歴史
今日の投稿をまとめておきます。
詳しくは前の投稿をご覧ください。
1,縄文時代
  約一億年位前から日本列島に住み着いた縄文人が
  長い時間を経験して日本独特の縄文文化を創り出します。
  当時の縄文人の信仰は自然界の全てです。
  めったに見ることが出来ない自然物
  ・大木や大きな岩など
  ・大きな泉や滝など
  に祈りをかけています。
2,弥生時代
  農耕が大陸から伝わり集落生活が広がります。
  身分や専門の仕事など分業が進みました。
  そして現れたのが自然界の神様と交流できる祈祷師 ミコ
  銅矛や銅鐸が祈祷の道具として使われます。
  権力高い祈祷師 ミコ は鏡なども使い
  専用の建物の中で大勢で生活し、周囲は武人で守られています。
  そして、30の国から信仰を任せられた祈祷師がヒミコです。
3,古墳時代
  卑弥呼の死後、神様への信仰が無くなり
  その土地の王が権力の頂点になります。
  その権力を維持する為に大きな古墳を造り
  ご先祖様の意志を感じる先祖信仰にかわります。
4,飛鳥時代
  蘇我氏(聖徳太子なども)が勧めた仏教の布教です。
  近畿に沢山の寺院が建てられますが
  蘇我氏も暗殺され、大化の改新へ
5,平安時代
  都を京都へ移して、天皇家を倭国の代表とする大和朝廷の国造りです。
  仏教の経典に負けない広大なストーリーを文書化します。
  「古事記」の上巻に書かれている日本神話です。
  各地にあった先祖崇拝を取り止め、出雲の様な強力な信仰は取り入れ
  天照大神の子孫が本家で神宮
  その他の神様は分家扱いで大社
うまい事、国をまとめた平安時代の識者に感服します。
当時の神社制度が現在も脈々と続いています。
高天原に残った天照大神
その子孫、ニニギに三種の神器を渡して天孫降臨(高千穂)
その子孫、神武天皇兄弟が東征(日向から瀬戸内海経由で奈良へ)

三種の神器は近畿を転々として、倭姫によって
現在の伊勢神宮へ
三種の神器の一つ 草薙剣は、天孫降臨の道案内を務めた
猿田彦を祀る熱田神宮に祀られています。
京都を中心に、西に出雲大社、東に伊勢神宮は偶然でしょうか。

出雲大社のある松江市に、黄泉の国への入り口があります。
太陽神である天照大神は日の出の方向がふさわしいと思うのです。
この時代、国をまとめるには信仰は不可欠です。

弥生時代の信仰⓶

2021-04-29 17:23:13 | 歴史
続いて弥生時代の信仰について、魏志倭人伝から考えてみます。
魏志倭人伝には
邪馬台国や卑弥呼など沢山の国名や名前が漢字で紹介されています。
しかし、この時代倭国には漢字は無いので
全ては大国が倭人の発音も元に当て字で漢字にしています。
ルールは、漢字一文字が、一つの発音です。
漢字のままだと、当時をイメージしにくいので
以後、カタカナで紹介します。
国と云う考え方も無かったので、国名は 〇〇地域 或いは 〇〇一族が良いでしょう。
私なりに魏志倭人伝を紹介すると
倭国は30の種族の地域に分かれて、争いが絶えなかった。
争いを止めるために
ヤマト地方の祈祷師 女性のヒミコに倭国の判断を委ねる事にした。
倭国では荒潮が無くなり平和になったが
ヤマトの南にあるクナ一族が反対して争いがあった。
クナには祈祷師 こちらは男性のヒミヒコがいた。
ヒミ は祈祷師 コ(子)が女性、ヒコ(彦)が男性でしょうか。
集落の建物は祈祷の館や道具があります。
航海の成功を祈る祈祷師もいたようです。
他にも祈祷師は沢山いたでしょう。
当時の信仰は 祈祷だったようです。
台風など天災、土砂崩れや地震なども恐怖だったでしょう。
自然界の様々な出来事を神様と考えて
祈祷を行えば、死産会の神様が願いを聞いてくれる。
干害で雨が降らないと、雨ごいの祈祷を行っていたでしょう。
祈祷師は 自然界の神様と交流が出来る人という事です。
ヒミコも神様ではなく、自然界の神々と交流できる人間です。
縄文時代の信仰は八百万の神様で自然崇拝です。
大きな大木や岩に願いを伝えたり
実りを与えてくれる森や川には感謝をしていたようです。
弥生時代には、農耕などで自然をうまく生活に取り入れます。
それでも、どうしようもない自然界の力があります。
人々は祈祷師の存在を信じて願い、その信仰を強めたのでしょう。
鏡など神秘的な道具が広く使われています。

現代の神社で働く女性 巫女(ミコ)はヒミコからの伝承ではないでしょうか。
しかし、そのお仕事は自然界の神様との交流ではなく
天照大神に仕える事の様です。
後の古墳時代、大陸仏教伝来の飛鳥時代
日本古来の神道を復活させた平安時代
時代と共に信仰が変化しました。
最後にここまでのまとめを投稿しておきます。

弥生時代の信仰 祈祷①

2021-04-29 16:10:49 | 歴史
前に時代に遡ります。
弥生時代です。始まりは定かではありません。
縄文時代は日本に住んでいた倭人が大陸との交流もすくなく
独自の文化を営んでいました。
大陸が魏蜀呉の三国に分かれて争っていると
多くの大陸人が日本列島へ移住してきます。
農耕や建築などが日本へ伝わり
大陸人が縄文人と一緒になり、混血も進んでいきます。
地理的な理由もあり弥生文化は九州から徐々に東へ広がっていきます。
これが弥生時代の始まりが定かでない理由です。
村を作り、倉を建てて食料の保存も出来る様になります。
土器も縄文時代の分厚い縄文式土器から
薄くて大量生産が可能な弥生式土器に変わります。
生活は豊かになり、身分の上下も出来ます。
それぞれに仕事が与えられます。
当然、争いも増えて、集落の周囲は環濠で囲まれて
武器を持った武人が守ります。
大陸の史記「魏志倭人伝」では2世紀ぐらいは
「倭国大乱」国同士が争う時代が100年ほど続いていたようです。
当時の遺跡を見ると
・九州から中国地方が銅矛文化圏
 弥生時代初期の武器です。
 環濠集落も争いで亡くなった遺体も九州地方に多いです。
 倭国大乱は九州地方の出来事でしょう。
・近畿から東は銅鐸文化圏です。
 農耕の道具、或いは、豊作のお祈りに使われたいでしょうか。
 意外と争いごとは少なかったようです。

弥生時代で有名な方は
邪馬台国の女王 卑弥呼 でしょう。
そして
248年 卑弥呼が亡くなり
265年 大陸の魏も滅亡して、大陸も乱れてしまいます。
この時を境に弥生時代が終焉を迎えます。
人々が環濠集落を捨てて住まなくなります。
銅矛・銅鐸の文化も無くなります。
農耕などの生活が変わったわけではありません。
権力者と信仰が急に変わりました。
長くなるので、次に
魏志倭人伝に紹介される倭国の信仰を続いて紹介します。

古墳時代~仏教伝来~日本神話

2021-04-29 14:39:13 | 歴史
3世紀後半に始まった古墳時代
各地の王が権力をもち、自分の死後も権力を持ち続けるために古墳を造ります。
もちろん、その子孫たちも古墳を使って祈祷を行い
「ご先祖様のお告げです」と家臣や民衆に伝えて権力を維持したでしょう。
日本の先祖崇拝の始まりです。

その流れに割って入ったのが
仏教伝来と漢字(文字)の普及です。
時代は6世紀(500年代)飛鳥時代と呼ばれています。
仏教を国の守護とすべきと蘇我氏一族
日本には古代から神道がある物部一族
の対立です。

あの聖徳太子も蘇我氏派閥で仏教派です。
結局は武力闘争に発展して
587年 丁未の乱(ていびのらん)
蘇我馬子らが物部守屋を襲撃、物部一族を滅ぼします。
権力を手中にした蘇我氏(蘇我入鹿)も
645年 乙巳の変(中大兄皇子・中臣鎌足らによる暗殺)で亡くなります。
「大化の改新」など改革があり
712年の「古事記」「日本書紀」が編集され
日本神話をベースに神社制度が確立します。
仏教の経典や大陸の歴史書「三国志」などを参考にしたでしょう。
もちろん、古墳時代の先祖崇拝とは大きな違いがあります。
・天地創造
・伊邪那岐、伊邪那美の国産み、神産み
仏教に負けない壮大な物語を追加します。
・天空の高天原と死後の世界 黄泉の国
こちらも仏教を意識していますが
古墳時代の先祖崇拝より上に、高天原の神様 天照大神を頂点にします。
出雲の神様 素戔嗚を天照大神と兄弟とする等
時の権力者に配慮もしています。
天照大神と月夜見の名前も新しいです。
漢字に意味を持たせて、昼の神(太陽神)と夜の神(月の神)です。
素戔嗚の名前は古代の神の名前をそのまま、漢字で当て字です。
天照大神に相当する別の名前の神様(ご先祖様)がいたのでしょうか
或いは、新たに加えられた何らかの神様でしょうか?
大和朝廷の祖は初代天皇 神武天皇です。
橿原神宮の近くに、神武天皇陵(古墳)も存在します。
大和朝廷の先祖崇拝は、神武天皇ですが
伊邪那岐、伊邪那美の国産み、神産みの神話の後に
天照大神、邇邇芸命天孫降臨、神武東征の話が盛り込まれています。
近畿のヤマト国から倭国統一の大和朝廷になった時代では
高天原の天照大神の神話は必須だったのでしょう。
天岩戸隠れの話が諸国の信仰を集めるほどの重要な話ではありません。
しかし、この神様の存在は大きく、諸国でも有名だったはずです。
この女性の太陽神が神武天皇のご先祖様と云う流れも必須でした。
古墳時代の各地方で信仰された先祖信仰より
各地で知られていた有名な神話が残っていたのでしょう。
この様な事情の全てを検討して
出来上がった平安時代(大和朝廷)の神社制度が
現在も残っています。
1300年の歴史を持つ信仰と天皇家は世界でも類を見ません。

神社(日本神道)は先祖崇拝

2021-04-29 12:57:13 | 歴史
平安時代に始まった現在の神社(日本神道)ですが
全ての神社には、祀られている神様がいます。
熱田神宮の様に、天照大神から授かった剣(草薙の剣)をご神体にしていたり
天照大神様から与えられた鏡を祀っている神社も沢山あります。
ご先祖様を神様として崇拝しています。
人神様は他の宗教でもあります。
キリスト教のイエスキリスト
仏教のお釈迦様
聖書や仏典に登場するこの方たちは、大変な苦悩の歴史を経験して
多くの人々の幸せを願っています。
さて、我が国の神道の祖」 天照大神様 ですが

・イザナギの子供として産まれる。
・兄弟 素戔嗚とは仲が悪い
・誓約で仲直りしようとするも納得せず
・天岩戸に隠れてしまう。
・周囲の神様に騙されて、やっと出てきます。
・素戔嗚は高天原を追放
特に国づくりの役立ち、人々(神様達)を助けた・・・
そんな方ではない様です。
産みの親 イザナギから「高天原に残り、この国を治めなさい」
と命令を受けただけで、日本神道のトップになります。
素戔嗚は出雲の国造りで、「八幡のオロチを退治しています」
もう一人神様 月夜見 は、死後の世界「黄泉の国」を治める事になり
その後登場機会もありません。
日本神話の繋がりですが
古墳時代から徐々に力を付けてきた近畿のヤマト朝廷
日本を治める為に必要なお話に都合よく書き換えられています。
古墳時代は各地の王が権力象徴の為に自分の墓(古墳)を作った時代です。
先祖崇拝そのもので、中には
権力で庶民を従わせたり、武力で他国を侵略したり
他の国の食料を分捕ったりして英雄になった人もいるでしょう。
この時代(古墳時代~平安時代)の信仰の流れを簡単に紹介します。

古代の信仰から日本神道(神社制度)

2021-04-29 12:19:27 | 歴史
皆さんもお正月には初詣
近くの神社にお参りされると思います。
この神社の制度は、何と約1300年前の
平安時代に原型が作られています。
その信ぴょう性と正当性を作り上げたのが
日本神話です。
日本神話は、平安時代(712年)の古事記、日本書紀で
きちんとした史記(本Iになりました。
その神社制度ですが、天皇家の始まり
天照大神を祀る伊勢神宮を始まりとする神宮
と出雲大社などその他の家系の人を祀る大社などに分けられます。

神宮
伊勢神宮 ・・・・・・天照大神
橿原神宮、宮崎神宮・・神武天皇
宇佐神宮 ・・・・・・応神天皇、神功皇后
などから
明治神宮 ・・・・・・明治天皇
大社
出雲大社 ・・・・・・大国主神(素戔嗚の血統)
多賀大社 ・・・・・・イザナギ、イザナミの命
宗像大社 ・・・・・・宗像三女神(天照と素戔嗚の誓約で産まれた女神)
諏訪大社 ・・・・・・ご神木で有名です。
熊野那智大社・・・・・那智の滝で有名です。
日本神話では
・イザナギとイザナミは夫婦神
・イザナミは神産みの最後に亡くなり黄泉の国へ
・イザナギが黄泉の国へ行き、帰りに禊を行って
・天照大神、月夜見、素戔嗚の三貴神を産む
・天照大神と素戔嗚で産まれた三女神と五男神
天照大神の生みの親 イザナギは大社
誓約で産まれた三女神は大社、五人の男神が直系血統です。

この神社制度も日本神話を含む「古事記」「日本書紀」も
平安時代の権力者 大和朝廷の正当性を明文化する為に作られて物です。
実際の歴史とは違う部分も多々あるでしょう。
1300年以上の歴史を現在も続けている神社制度(神道)から
当時の倭国や更に前の時代(古墳時代、弥生時代、縄文時代)を想像してみます。