古代日本の歴史を謎解き

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邪馬台国九州説の主張

2021-07-03 14:56:37 | 歴史
邪馬台国の所在地の大勢は
九州説と近畿説です。
九州説は、魏志倭人伝など歴史書がベース
近畿説は、遺跡など発掘がベースです。
九州設の主張です。
・邪馬台国の名前は魏志倭人伝にしか登場しない。
 近畿の大きな遺跡があっても
 それは、他の国
・邪馬台国まで1万2千里(海路10日陸路1月)
 壱岐対馬を経由して博多湾の奴国まで1万6百里
 残り1千4百里では近畿までは無理
・邪馬台国は倭国の南端
 奴国など玄海側国の南に30国
 その南に邪馬台国
 更に南に、邪馬台国に属しなく狗奴国
・めぐりまわる事5000里
・東へ海を渡る(海路1日)で倭人の国
倭国が九州北部で周防半島から四国へ渡り倭人の住む国

魏志倭人伝に対する近畿説の主張
・奴国へ到着した後に
・南へ海路20日で投馬国
・更に南へ海路10日陸路1月
これでは九州を飛び出して南海の孤島へ
ここには陸を1月地域は存在しない。
だから方角を南と東を間違っている。
確かに
博多湾(奴国)から東へ海路で出雲
出雲から海路で東へ、若狭湾
そこから南へ陸路で1月で大和
これに対する九州説の主張
奴国を紹介した後に
投馬国、邪馬台国は紹介しているが
出発地点はあくまでも帯方郡(現在の平壌?)
帯方郡から南へ海路20日で投馬国(それなり大きな国)
帯方郡から南へ海路10日+陸路1月で邪馬台国
帯方郡から末路国(松浦半島)まで海路で1万里
一日1000里で10日
そこから陸路で28日
陸路1日100里で2800里程
奴国まで600里なので残り
2200里程で邪馬台国
別のルートで行くと1万2千里
松浦半島から有明海へ出るルートだと近道で
2000千里・・・
皆さんは九州の地図をみて
邪馬台国はどのあたりと想像されますか。

漢の時代に大陸人が移住し始めて弥生時代に
玄界灘の倭国と関係が深くなった(漢委奴国王の金印)
魏の時代の情報は伊都国経由
邪馬台国の祈祷師 卑弥呼を中心に30国の連合国
その南に、狗奴国
もう一つ大国 投馬国(ズマ国)があった。
多分、ズマ国は出雲(イズモ)??
こんな感じと考えているのですが
如何でしょうか。


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