前投稿の聖徳太子の時代より、およそ100年ほど前
九州の筑紫磐井討伐にヤマト朝廷(継体天皇)が出兵、磐井を滅ぼした事件です。
527年 筑紫磐井の乱
・ヤマト王権の近江毛野は6万人の兵を率いて、新羅に奪われた南加羅・喙己呑を回復するため、任那へ向かって出発した。
・この計画を知った新羅は、筑紫(九州地方北部)の有力者であった磐井へ贈賄し、ヤマト王権軍の妨害を要請した。
・磐井は挙兵し、火の国と豊の国を制圧するとともに、倭国と朝鮮半島とを結ぶ海路を封鎖して朝鮮半島諸国からの朝貢船を誘い込み、近江毛野軍の進軍をはばんで交戦した。
・継体天皇が大伴金村・物部麁鹿火・巨勢男人らに将軍の人選を諮問したところ、物部麁鹿火が推挙され、同年8月1日、麁鹿火が将軍に任命された。
・528年11月11日、磐井軍と麁鹿火率いるヤマト王権軍が、筑紫三井郡(現福岡県小郡市・三井郡付近)にて交戦し、一年以上続く激しい戦闘の結果、磐井軍は敗北した。
ざ~っと、こんな感じです。
ここでわかる事
・九州は筑紫が支配していた
・大和朝廷は朝鮮半島を支配したかった。
・この時、朝鮮半島支配はかなわなかった。
これより前に、氏姓制度を発布し、ヤマト朝廷に使える豪族らに氏が与えられます。
物部、海部など朝廷に使える仕事分担にあわせて氏を頂いた一族もいれば
筑紫の様に、自ら一族や地名を漢字で決めていた一族もいました。
九州の様な地方には
既に強力な一族がいたので、それぞれの地域の一族の名前を氏名にする。
その地方の権限を任せる程度であったのです。
「日本書紀」では、筑紫磐井は新羅からの賄賂を受け取って裏切った話になっていますが
勝者が歴史を書き換えた可能性もあります。
事実は
・筑紫は朝鮮半島と有効な関係を続けたかった。
・大和朝廷の武力による支配に反対して争いになった。
のではないでしょうか。
この時代より以前に漢字が大和以外の地方でも使われていたことは
事実です。
九州の筑紫磐井討伐にヤマト朝廷(継体天皇)が出兵、磐井を滅ぼした事件です。
527年 筑紫磐井の乱
・ヤマト王権の近江毛野は6万人の兵を率いて、新羅に奪われた南加羅・喙己呑を回復するため、任那へ向かって出発した。
・この計画を知った新羅は、筑紫(九州地方北部)の有力者であった磐井へ贈賄し、ヤマト王権軍の妨害を要請した。
・磐井は挙兵し、火の国と豊の国を制圧するとともに、倭国と朝鮮半島とを結ぶ海路を封鎖して朝鮮半島諸国からの朝貢船を誘い込み、近江毛野軍の進軍をはばんで交戦した。
・継体天皇が大伴金村・物部麁鹿火・巨勢男人らに将軍の人選を諮問したところ、物部麁鹿火が推挙され、同年8月1日、麁鹿火が将軍に任命された。
・528年11月11日、磐井軍と麁鹿火率いるヤマト王権軍が、筑紫三井郡(現福岡県小郡市・三井郡付近)にて交戦し、一年以上続く激しい戦闘の結果、磐井軍は敗北した。
ざ~っと、こんな感じです。
ここでわかる事
・九州は筑紫が支配していた
・大和朝廷は朝鮮半島を支配したかった。
・この時、朝鮮半島支配はかなわなかった。
これより前に、氏姓制度を発布し、ヤマト朝廷に使える豪族らに氏が与えられます。
物部、海部など朝廷に使える仕事分担にあわせて氏を頂いた一族もいれば
筑紫の様に、自ら一族や地名を漢字で決めていた一族もいました。
九州の様な地方には
既に強力な一族がいたので、それぞれの地域の一族の名前を氏名にする。
その地方の権限を任せる程度であったのです。
「日本書紀」では、筑紫磐井は新羅からの賄賂を受け取って裏切った話になっていますが
勝者が歴史を書き換えた可能性もあります。
事実は
・筑紫は朝鮮半島と有効な関係を続けたかった。
・大和朝廷の武力による支配に反対して争いになった。
のではないでしょうか。
この時代より以前に漢字が大和以外の地方でも使われていたことは
事実です。
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