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古代日本の歴史を謎解き

パソコンが故障して、パスワードが分からず
旧ブログから引っ越しです。

弥生時代の信仰⓶

2021-04-29 17:23:13 | 歴史
続いて弥生時代の信仰について、魏志倭人伝から考えてみます。
魏志倭人伝には
邪馬台国や卑弥呼など沢山の国名や名前が漢字で紹介されています。
しかし、この時代倭国には漢字は無いので
全ては大国が倭人の発音も元に当て字で漢字にしています。
ルールは、漢字一文字が、一つの発音です。
漢字のままだと、当時をイメージしにくいので
以後、カタカナで紹介します。
国と云う考え方も無かったので、国名は 〇〇地域 或いは 〇〇一族が良いでしょう。
私なりに魏志倭人伝を紹介すると
倭国は30の種族の地域に分かれて、争いが絶えなかった。
争いを止めるために
ヤマト地方の祈祷師 女性のヒミコに倭国の判断を委ねる事にした。
倭国では荒潮が無くなり平和になったが
ヤマトの南にあるクナ一族が反対して争いがあった。
クナには祈祷師 こちらは男性のヒミヒコがいた。
ヒミ は祈祷師 コ(子)が女性、ヒコ(彦)が男性でしょうか。
集落の建物は祈祷の館や道具があります。
航海の成功を祈る祈祷師もいたようです。
他にも祈祷師は沢山いたでしょう。
当時の信仰は 祈祷だったようです。
台風など天災、土砂崩れや地震なども恐怖だったでしょう。
自然界の様々な出来事を神様と考えて
祈祷を行えば、死産会の神様が願いを聞いてくれる。
干害で雨が降らないと、雨ごいの祈祷を行っていたでしょう。
祈祷師は 自然界の神様と交流が出来る人という事です。
ヒミコも神様ではなく、自然界の神々と交流できる人間です。
縄文時代の信仰は八百万の神様で自然崇拝です。
大きな大木や岩に願いを伝えたり
実りを与えてくれる森や川には感謝をしていたようです。
弥生時代には、農耕などで自然をうまく生活に取り入れます。
それでも、どうしようもない自然界の力があります。
人々は祈祷師の存在を信じて願い、その信仰を強めたのでしょう。
鏡など神秘的な道具が広く使われています。

現代の神社で働く女性 巫女(ミコ)はヒミコからの伝承ではないでしょうか。
しかし、そのお仕事は自然界の神様との交流ではなく
天照大神に仕える事の様です。
後の古墳時代、大陸仏教伝来の飛鳥時代
日本古来の神道を復活させた平安時代
時代と共に信仰が変化しました。
最後にここまでのまとめを投稿しておきます。

弥生時代の信仰 祈祷①

2021-04-29 16:10:49 | 歴史
前に時代に遡ります。
弥生時代です。始まりは定かではありません。
縄文時代は日本に住んでいた倭人が大陸との交流もすくなく
独自の文化を営んでいました。
大陸が魏蜀呉の三国に分かれて争っていると
多くの大陸人が日本列島へ移住してきます。
農耕や建築などが日本へ伝わり
大陸人が縄文人と一緒になり、混血も進んでいきます。
地理的な理由もあり弥生文化は九州から徐々に東へ広がっていきます。
これが弥生時代の始まりが定かでない理由です。
村を作り、倉を建てて食料の保存も出来る様になります。
土器も縄文時代の分厚い縄文式土器から
薄くて大量生産が可能な弥生式土器に変わります。
生活は豊かになり、身分の上下も出来ます。
それぞれに仕事が与えられます。
当然、争いも増えて、集落の周囲は環濠で囲まれて
武器を持った武人が守ります。
大陸の史記「魏志倭人伝」では2世紀ぐらいは
「倭国大乱」国同士が争う時代が100年ほど続いていたようです。
当時の遺跡を見ると
・九州から中国地方が銅矛文化圏
 弥生時代初期の武器です。
 環濠集落も争いで亡くなった遺体も九州地方に多いです。
 倭国大乱は九州地方の出来事でしょう。
・近畿から東は銅鐸文化圏です。
 農耕の道具、或いは、豊作のお祈りに使われたいでしょうか。
 意外と争いごとは少なかったようです。

弥生時代で有名な方は
邪馬台国の女王 卑弥呼 でしょう。
そして
248年 卑弥呼が亡くなり
265年 大陸の魏も滅亡して、大陸も乱れてしまいます。
この時を境に弥生時代が終焉を迎えます。
人々が環濠集落を捨てて住まなくなります。
銅矛・銅鐸の文化も無くなります。
農耕などの生活が変わったわけではありません。
権力者と信仰が急に変わりました。
長くなるので、次に
魏志倭人伝に紹介される倭国の信仰を続いて紹介します。

古墳時代~仏教伝来~日本神話

2021-04-29 14:39:13 | 歴史
3世紀後半に始まった古墳時代
各地の王が権力をもち、自分の死後も権力を持ち続けるために古墳を造ります。
もちろん、その子孫たちも古墳を使って祈祷を行い
「ご先祖様のお告げです」と家臣や民衆に伝えて権力を維持したでしょう。
日本の先祖崇拝の始まりです。

その流れに割って入ったのが
仏教伝来と漢字(文字)の普及です。
時代は6世紀(500年代)飛鳥時代と呼ばれています。
仏教を国の守護とすべきと蘇我氏一族
日本には古代から神道がある物部一族
の対立です。

あの聖徳太子も蘇我氏派閥で仏教派です。
結局は武力闘争に発展して
587年 丁未の乱(ていびのらん)
蘇我馬子らが物部守屋を襲撃、物部一族を滅ぼします。
権力を手中にした蘇我氏(蘇我入鹿)も
645年 乙巳の変(中大兄皇子・中臣鎌足らによる暗殺)で亡くなります。
「大化の改新」など改革があり
712年の「古事記」「日本書紀」が編集され
日本神話をベースに神社制度が確立します。
仏教の経典や大陸の歴史書「三国志」などを参考にしたでしょう。
もちろん、古墳時代の先祖崇拝とは大きな違いがあります。
・天地創造
・伊邪那岐、伊邪那美の国産み、神産み
仏教に負けない壮大な物語を追加します。
・天空の高天原と死後の世界 黄泉の国
こちらも仏教を意識していますが
古墳時代の先祖崇拝より上に、高天原の神様 天照大神を頂点にします。
出雲の神様 素戔嗚を天照大神と兄弟とする等
時の権力者に配慮もしています。
天照大神と月夜見の名前も新しいです。
漢字に意味を持たせて、昼の神(太陽神)と夜の神(月の神)です。
素戔嗚の名前は古代の神の名前をそのまま、漢字で当て字です。
天照大神に相当する別の名前の神様(ご先祖様)がいたのでしょうか
或いは、新たに加えられた何らかの神様でしょうか?
大和朝廷の祖は初代天皇 神武天皇です。
橿原神宮の近くに、神武天皇陵(古墳)も存在します。
大和朝廷の先祖崇拝は、神武天皇ですが
伊邪那岐、伊邪那美の国産み、神産みの神話の後に
天照大神、邇邇芸命天孫降臨、神武東征の話が盛り込まれています。
近畿のヤマト国から倭国統一の大和朝廷になった時代では
高天原の天照大神の神話は必須だったのでしょう。
天岩戸隠れの話が諸国の信仰を集めるほどの重要な話ではありません。
しかし、この神様の存在は大きく、諸国でも有名だったはずです。
この女性の太陽神が神武天皇のご先祖様と云う流れも必須でした。
古墳時代の各地方で信仰された先祖信仰より
各地で知られていた有名な神話が残っていたのでしょう。
この様な事情の全てを検討して
出来上がった平安時代(大和朝廷)の神社制度が
現在も残っています。
1300年の歴史を持つ信仰と天皇家は世界でも類を見ません。

神社(日本神道)は先祖崇拝

2021-04-29 12:57:13 | 歴史
平安時代に始まった現在の神社(日本神道)ですが
全ての神社には、祀られている神様がいます。
熱田神宮の様に、天照大神から授かった剣(草薙の剣)をご神体にしていたり
天照大神様から与えられた鏡を祀っている神社も沢山あります。
ご先祖様を神様として崇拝しています。
人神様は他の宗教でもあります。
キリスト教のイエスキリスト
仏教のお釈迦様
聖書や仏典に登場するこの方たちは、大変な苦悩の歴史を経験して
多くの人々の幸せを願っています。
さて、我が国の神道の祖」 天照大神様 ですが

・イザナギの子供として産まれる。
・兄弟 素戔嗚とは仲が悪い
・誓約で仲直りしようとするも納得せず
・天岩戸に隠れてしまう。
・周囲の神様に騙されて、やっと出てきます。
・素戔嗚は高天原を追放
特に国づくりの役立ち、人々(神様達)を助けた・・・
そんな方ではない様です。
産みの親 イザナギから「高天原に残り、この国を治めなさい」
と命令を受けただけで、日本神道のトップになります。
素戔嗚は出雲の国造りで、「八幡のオロチを退治しています」
もう一人神様 月夜見 は、死後の世界「黄泉の国」を治める事になり
その後登場機会もありません。
日本神話の繋がりですが
古墳時代から徐々に力を付けてきた近畿のヤマト朝廷
日本を治める為に必要なお話に都合よく書き換えられています。
古墳時代は各地の王が権力象徴の為に自分の墓(古墳)を作った時代です。
先祖崇拝そのもので、中には
権力で庶民を従わせたり、武力で他国を侵略したり
他の国の食料を分捕ったりして英雄になった人もいるでしょう。
この時代(古墳時代~平安時代)の信仰の流れを簡単に紹介します。

古代の信仰から日本神道(神社制度)

2021-04-29 12:19:27 | 歴史
皆さんもお正月には初詣
近くの神社にお参りされると思います。
この神社の制度は、何と約1300年前の
平安時代に原型が作られています。
その信ぴょう性と正当性を作り上げたのが
日本神話です。
日本神話は、平安時代(712年)の古事記、日本書紀で
きちんとした史記(本Iになりました。
その神社制度ですが、天皇家の始まり
天照大神を祀る伊勢神宮を始まりとする神宮
と出雲大社などその他の家系の人を祀る大社などに分けられます。

神宮
伊勢神宮 ・・・・・・天照大神
橿原神宮、宮崎神宮・・神武天皇
宇佐神宮 ・・・・・・応神天皇、神功皇后
などから
明治神宮 ・・・・・・明治天皇
大社
出雲大社 ・・・・・・大国主神(素戔嗚の血統)
多賀大社 ・・・・・・イザナギ、イザナミの命
宗像大社 ・・・・・・宗像三女神(天照と素戔嗚の誓約で産まれた女神)
諏訪大社 ・・・・・・ご神木で有名です。
熊野那智大社・・・・・那智の滝で有名です。
日本神話では
・イザナギとイザナミは夫婦神
・イザナミは神産みの最後に亡くなり黄泉の国へ
・イザナギが黄泉の国へ行き、帰りに禊を行って
・天照大神、月夜見、素戔嗚の三貴神を産む
・天照大神と素戔嗚で産まれた三女神と五男神
天照大神の生みの親 イザナギは大社
誓約で産まれた三女神は大社、五人の男神が直系血統です。

この神社制度も日本神話を含む「古事記」「日本書紀」も
平安時代の権力者 大和朝廷の正当性を明文化する為に作られて物です。
実際の歴史とは違う部分も多々あるでしょう。
1300年以上の歴史を現在も続けている神社制度(神道)から
当時の倭国や更に前の時代(古墳時代、弥生時代、縄文時代)を想像してみます。

韓国最大の古墳発掘されるが・・・

2021-03-28 12:22:57 | 歴史
最近のニュースですが
韓国で朝鮮半島最大の古墓再び埋める
簡単に紹介すると
韓国で朝鮮半島最大の古墳が発見され
発掘調査すると日本の古墳とそっくりだったため
再び埋められる。

他にも、朝鮮半島南部には沢山の前方後円墳が発見されています。

その中の一つ「長鼓峰古墳」を発掘調査したところ
5~6世紀の九州の古墳とそっくり
「長鼓峰古墳」は6世紀前半と推定されています。
ご存知の通り、日韓関係は戦前の歴史問題を発端に最悪の状態です。
この事実を素直に認めると
「5~6世紀 朝鮮半島の南部は倭人の王が支配していた」
現韓国政府が認めるわけにいかない現実です。
発掘調査後、間もなく埋められた理由はこれでしょう。

ここは、素直に考えてみましょう。
時代は百済、佳那、新羅の三韓時代
実は、百済の南、佳那の西方向に
倭人の国があった。
日本書紀に登場する「任那日本府(みまなにほんふ)」ではないか。
3世紀頃の倭国を紹介した魏志倭人伝では
倭国の始まりが 佳那韓国(現在のプサン周辺)から
壱岐、対馬を経由して九州の末露国を紹介しています。
当時の中国(魏国)が佳那韓国を倭人の国としたのか
佳那の国だったのかは解釈次第です。
弥生時代のお墓は、甕棺を使った集合墳ですが
卑弥呼の死後は古墳時代に変わり
王の墓は、前方後円墳が主流になります。
卑弥呼の墓が
最初の前方後円墳なのか
最後の集合墳なのか? 結論は無いです。
5~6世紀では、日本列島各地で前方後円墳が作られています。
九州では 筑紫、山陰では出雲
近畿では大和と国名を名乗り
大和が西日本を連合港としてまとめた時代です。
今回、韓国で発掘調査された前方後円墳の内部は
九州の前方後円墳とそっくり
装飾品は既に盗掘されていたが
倭国の物もあり、百済文化、佳那文化が含まれていた。
4世紀に九州北部は筑紫の国になり
5世紀には王族が朝鮮半島南部にの住んでいて
百済、佳那、佳那の他に、筑紫一族の国があった
この国が「任那日本府」だったのかは、結論が出ないですが
どうも事実です。
反日一色のお隣、韓国の主張は
・前方後円墳は韓国が発祥
・当時の倭人が真似をした
と言う事らしいですが
年代を考えると、どう考えても逆です。
魏蜀呉の三国が滅んで大陸が乱れていた時代。
高句麗(現在の北朝鮮付近)が力を付けます。
南下して百済、新羅とも争っていたようです。
百済経由で朝鮮文化、仏教などが倭国へ伝わった事も事実です。
意外と百済、新羅と倭国は友好的な関係だったのではないでしょうか。

九州の歴史と日本神話(天照、邇邇芸命、磐余彦尊)

2021-02-20 21:58:13 | 歴史
ここまでの投稿をご覧いただき如何でしょうか。
結論
弥生時代
・4邪馬台国の祈祷師 卑弥呼(天照)が九州の連合国の女王となる。
・卑弥呼の死後、邪馬台国の国王(男王)が連合国の代表となろうとする。
・卑弥呼の宗女 壱与 を代表とする事でまとまる。
・男王側が国を追われて日向で国造り(西都原遺跡:邇邇芸命)
・九州北部で力を付けた筑紫に壱与も追われる。
・お隣に豊国を作り分裂
・やがて、邇邇芸命一族も日向を捨てて神武東征(磐余彦尊)
卑弥呼の死後、古墳時代に起きた歴史ではないでしょうか。
天照大神を頂点とする大和朝廷が歴史背景が出来上がります。

日本神話と九州の遺跡

2021-02-20 21:44:13 | 歴史
九州で特に大きい?遺跡を三つ
福岡 平塚川添遺跡
佐賀 吉野ヶ里遺跡
宮崎 西都原遺跡
もちろん他にも沢山の遺跡がありますし
発見されていない遺跡もあるでしょう。
古代も現代も人間が住みやすい場所は同じです。
古代の遺跡が歴史の中で新しい都市に生まれ変わったでしょう。
福岡市など都会は、古代の発展都市だった可能性はあります。

さて、上記の三つの遺跡で時代が違う遺跡があります。
平塚川添遺跡、吉野ヶ里遺跡は弥生時代まで
西都原遺跡は、古墳時代からです。

福岡の宗像大社も古墳時代以降でしょうが
弥生時代の品々も沢山発見されています。
九州の縄文時代~弥生時代~古墳時代の遺品が集まっています。
九州北部(玄界灘側)の歴史が凝縮されています。
志賀島からは大陸の漢から贈られた金印「漢委奴国王」まで発見されてます。
弥生時代の倭国が九州の玄界灘周辺だ立ったことは間違いないでしょう。

魏志倭人伝に登場する大国
奴国  2万戸
投馬国 5万戸
邪馬台国7万戸 です。
卑弥呼の宮殿は
・建物から姿を見せない卑弥呼
・1000人の女性陣と暮らす
・周囲を兵士が守っている
こんな感じです。
ちなみに
吉野ヶ里遺跡の祖と環濠内が1200人程と云われています。
弥生時代の終焉(卑弥呼が亡くなった時代)環濠集落を捨てて
人が住まなくなっています。
時代も規模も卑弥呼の宮殿に一致するのですが
環濠内に王家の社があり
どうも邪馬台国の卑弥呼の宮殿ではないと云われています。
環濠外の人口も併せて5000人程と推測されていますので
戸数では千戸の単位でしょう。
邪馬台国7万戸はかなり大きな国です。
吉野ヶ里程の環濠集落が数十個あった事になります。
人口も都度が高いより、領土が広いと考える方が良いでしょう。
奴国5万戸も平塚川添集の様な環濠集落が博多湾を中心に
十個ほど集まって奴国だと思います。
卑弥呼が亡くなり、13歳の女王 壱与 の国が吉野ヶ里含む
玄界灘から有明海の九州北部であれば
魏志倭人伝の邪馬台国をはるかに超える規模の国です。

さて、日本神話の九州
ナンバー1の筑紫のほか
豊国、日向国、熊襲国
熊襲国が卑弥呼の邪馬台国と対立した狗奴国
残りの豊国と日向国は??
日本神話の邇邇芸命の天孫降臨で産まれて
発展した国ではないでしょうか。
西都原遺跡の時代と舟形の埴輪などが一致します。
そして、神武東征で日向を捨てて近畿へ移住
と云うストーリーです。
イザナギ=>天照大神=>邇邇芸命
この一族はどういった一族でしょうか?

日本神話に登場する真実

2021-02-20 17:24:38 | 歴史
前の投稿の続きになります。
日本神話には古代の九州の真実が含まれているようです。
登場する地名に
韓国(からくに)があります。
魏志倭人伝に登場する狗邪韓国でしょう。
実際には
有三種、一曰馬韓、二曰辰韓、三曰弁韓。
辰韓に南端が狗邪韓国で2~4世紀位です。
後に、新羅、伽耶、百済になり、その北には高句麗です。
後の神功皇后の三韓征伐も4世紀以前になります。
天孫降臨の時に 韓国の地名が登場します。
弥生時代、ちょうど卑弥呼の時代位でしょう。

しかし、魏志倭人伝に登場する30国の名前は登場しません。
伊都国、奴国を含み、めぐりまわって5千里ですので
九州北部にあったはずの国名です。
唯一、卑弥呼の敵国で、邪馬台国の南にあった
狗奴国は、熊襲国でしょうか。
当たり前でしょうが、大陸が勝手に使った漢字で表現された名前です。
大和朝廷が使うはずもないでしょう。
代わりに登場するのが、筑紫、豊国、日向国です。
伊都国、奴国~投馬国、邪馬台国をもって
魏志倭人伝に登場する30国でしょう。
似たような名前と云えば
卑弥呼の死後、女王となった壱与(イヨ、トヨ)の豊国(トヨ国)があります。
そして、卑弥呼の時代に大国であった博多湾を中心とした国々
伊都国、奴国が筑紫となり、九州朝廷の時代です。
古墳時代の始まりでしょう。
否定地がわからないのが、やはり
魏志倭人伝の邪馬台国(水行10日陸行一月)と投馬国(水行20日)
日本神話の 日向国 です。
国産みから天孫降臨は卑弥呼の死後
古墳時代の九州の事実ではないでしょうか?
天孫降臨したニニギの日向国の国造り
高天原からの移住で
神武東征は日向からの移住になります。
日本神話では、新しい土地の開拓の物語の様に描写されていますが
後に、九州征伐や筑紫磐井の乱など
九州を捨てて移住した歴史の様です。
高千穂への天孫降臨も筑紫を追われて
日向への移住ではないでしょうか。
卑弥呼の死後、日向国の国づくりを行った一族とは??
・筑紫に国を奪われた 伊都国、奴国の一族?
・卑弥呼の死後、男王に立ち敗れた一族??
弥生時代から古墳時代への変化期です。
多くの環濠集落が無くなります。
九州北部の小国が筑紫一族に迫られ
九州が大きく四つに分かれた時代です。
古事記の上巻、日本神話は卑弥呼の死後
古墳時代の始まりの真実ではないでしょうか。

日本神話と九州

2021-02-20 17:02:32 | 歴史
日本最古の歴史書「古事記」の上巻が日本神話の部分です。
高天原(神様の住む天空界)で神様が産まれて
・神産み、国産みのお話
・イザナギの禊で
・三貴子 アマテラス(天照)・ツクヨミ(月読)・スサノオ(須佐之男)が産まれて
・邇邇芸命が天孫降臨
・孫の磐余彦尊兄弟が神武東征を行う所までです。
中巻では
近畿では大和朝廷が出来上がるお話です。

国産みで九州は
筑紫の 島を生みき。この島もまた、身一つにして面四つあり。面毎に名あり。
故かれ
筑紫の 国は 白日別 と謂ひ、
豊国は 豊日別 と謂ひ、
肥の 国は 建日向日豊久士比泥別と謂ひ
熊曽の 国は 建日別 と謂ふ。
ふむふむ、筑紫は九州
肥の 国はが日向の様です。

イザナギの禊の場所は
竺紫つくし の 日向の 橘の 小門をど の 阿波岐原に到りまして
祓 ひたまひき
竺紫 は 筑紫?
宮崎の日向か、単に朝日が見える場所か?
ミカンの木が門の様に生えている
原っぱ?、禊なので水辺(海、川辺、池?)

天孫降臨の場所は
竺紫の 日向の 高千穂のくじふる 嶺 に天降りまさしめき。
イザナギの禊の場所とあまり離れてはいない様です。
「 此地ここ は 韓国 に向ひ、 笠沙 の 御前 を 真来通て
朝日の 直刺す国、夕日の日照る国なり」
現在の韓国の事ではなくて
弥生時代の狗邪韓国(魏志倭人伝に登場する朝鮮半島南端)
九州の高千穂からは見えないでしょう。
でも神様ですから、千里眼みたいな力があったのかもしれません。
朝日も夕日も照るので高台の地域でしょうか。
国全体が見渡せるような雰囲気です。

神武東征の出発地
すなはち 日向 より 発たて筑紫に 幸行い でましき。
このルートで間違いないでしょう。


他にも沢山のお話があります。
出雲へ渡った素戔嗚とその子孫のお話も半分くらいあります。

イザナミやイザナギが住む高天原
天照らが産まれた禊の土地は高天原と日向の境
天孫降臨以降は、間違いなく宮崎の日向 です。

登場する地名は
高天原(この場所は不明9
韓国、筑紫、高千穂、日向
出雲 です。
当時の天皇家の正当性を書いた「古事記」で
ご先祖様が九州生まれで、九州から移住した
と云う物語はどうでしょうか。
天孫降臨の場所を近畿の山奥にした方が
手っ取り早く、大和朝廷の歴史を強く表現できたと思うのですが。
ここに、決して譲ることが出来ない真実があったと考えています。