古代日本の歴史を謎解き

日本の古代史の謎に挑戦します。

邪馬台国は九州しか考えられない。

2018-03-18 10:02:20 | 歴史
過去の投稿で、邪馬台国九州説を唱えてきましたが、今一度、まとめておきます。
邪馬台国とは、魏志倭人伝に紹介されている倭国にあった大国です。
もし、魏志倭人伝がなかったら、見つからなかったら
邪馬台国の存在もわからなかったでしょう。
当時の倭国を大雑把に
・57年 漢より金印「漢委奴国王」が贈られる。
 実際に博多湾で発見されている。
 大陸の皇帝は周囲の国々や役人に、金印、銀印、銅印などを送っていた。
・倭国が乱れて大乱の時代が続いた。
 100年から180年位
・卑弥呼が女王となり祈祷で国をまとめる。
・238年(或いは239年)に、卑弥呼は魏へ貢物を贈り、金印「親魏倭王」を贈られる。
 その後も朝献は続いた。
・247年 敵対する狗奴国(男王 卑弥弓呼)との和睦のために文書(文)を贈る。
・248年 卑弥呼死す。
ざっとこんな感じです。

魏の国皇帝が、邪馬台国の女王卑弥呼へ金印など多数の贈り物をしています。
邪馬台国、卑弥呼が実在した事は事実でしょう。
しかし、残念柄、倭国には文字が無いので、卑弥呼も邪馬台国も大陸が充てた漢字です。
さて、魏志倭人伝から邪馬台国が九州である理由です。
1、(帯方)郡から女王国にいたるのに一万二千余里ある。
  帯方郡から伊都国、奴国(博多湾)までの道程も書いてあり、
  
  帯方郡~博多湾は、合計10,600里
  残り、1400里で邪馬台国
  ※近畿まで1400里では近すぎます。
2、南(行)して、邪馬台国の女王の都まで水行十日、陸行一月かかる。
  博多湾まで、水行十日、陸行6~7日 残り陸行20日ほどで邪馬台国です。
  陸行20日で近畿までたどり着けないでしょう。
  方向も東です。
3、女王国より以北には、とくに一大率(ひとりの身分の高い統率者)をおいて、諸国を検察させている。
  伊都国、奴国など玄界灘湾岸の国々は一大率が権力者で、その南に邪馬台国
4、女王国の東(方)に、千余里を渡海すると、また国がある。みな倭種である。
  東側が海で、千余里(水行1日)で陸地があり、倭人が住んでいる。
  ※周防灘を船で渡り、四国、或いは山口、広島(安芸)では
5、その南に狗奴国がある。男王に狗古智卑狗(菊池彦か)がある。女王に属していない。
  邪馬台国の南に、狗奴国がある。
6、侏儒(こびと)の国が、その南に(存)在する。女王(国)を去ること四千余里である。
  ※現在の鹿児島より南、屋久島、沖縄ではなかろうか。
7、裸国・黒歯国があり、 またその東南に在る。船行一年でいたることが可能であろう。
  フィリピンなど赤道に近い南国の国でしょう。
8、周旋すること(めぐりまわれば)五千余里ばかりである
  松浦半島(末盧国)から糸島半島(伊都国)まで500里ですので、周囲は、その10倍ほど

邪馬台国近畿説では
邪馬台国は南へ12000里は、奴国を東へ向かって12000里と南を東に置き換えて解釈します。
南を東に、東を北に置き換えると
東方の海にある国が、北にある倭種の国となるので日本海上になります。
南にある小人国、裸国が関東方面に
船を使わずに陸でいけますし、関東、東北で裸族の国は寒すぎです。

日本神話の国産みでは、九州は
筑紫国(玄界灘の一大卒が支配した国)
豊国(大分など周防灘側の国)
肥国(有明海側の国、たぶん邪馬台国があった)
熊曽国(男王 卑弥弓呼の狗奴国)

3世紀中ごろまであった邪馬台国は九州で間違いないでしょう。
5~6世紀に登場するヤマト王権との関係があるのか
「倭」と云う漢字を使い、ヤマトと発音(邪馬台もヤマトと読めます)
ここに空白の4世紀(古墳時代)が存在しているのです。
もちろん、卑弥呼の時代(弥生時代)に
山陰には出雲、山陽の安芸、吉備、大阪湾岸の国々、奈良盆地の国がありました。
ただ、魏志倭人伝に紹介されていないだけです。

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