あの麻原が盲学校時代に、しきりに「松本千津男ショー」ってのをやっていたんですよ。
ほかの生徒はみんな目が不自由なのに、麻原だけは片目が見えた。また、柔道をやっていたんで腕力もそこそこあった。
だもんで、逆らえる生徒はいなかった。
で、麻原さんはだんだん独裁者的になっていったわけです。
放課後になると配下の生徒らをむりやり集めて、彼等をまえに西城秀樹の「ローラ」を熱唱したり、演説したりしていたそうです。
なんちゅうか、まさにジャイアン…。
そして、リチャードさんが最終的に目的にしているのは、僕はまさにこの「松本千津男ショー」だと思う。
実際、彼、高裁ロビーで「私のお尻になにか」を歌ってるもんね。
(注:ひとでごった返す混乱のロビー内で、私のお尻になにかを歌いながら、ゆっくり正門から退出しようと提案したのは僕)
演説で法悦に浸るのも一緒だし、RKが最終的に目指しているのはこの「ジャイアン・ショー」なんだと僕は読みたい。
彼、芸人なんですよ。
ひとことでいうなら「ヘイト芸者」?
行動と言動はカオスだけど、話はマジうまいし、自分がそんな風に輝ける承認の場として、独立党ってものを大事にしてるんじゃないのかな。
世直しなんて思ってないよ。
世直しだー! と虚空に向かって語りかけるときの、ヒーロー然とした自分の艶姿をまぶたにびんびん感じるのが好きなだけなんだと思う。
いわば、独立党は彼の舞台なんです。
失敗続きの前半生をどうにか生き延びて、ようやく浴びたスポットライトが独立党って花舞台だったわけなのさ。
この旅舞台のスケジュールを乱されたから、そこまでやるかー! と彼は僕等に噛みついてきたわけ。妨害だってあんなに騒いでさ。
大阪スターターとかいいだして僕の個人情報を晒してくれちゃったりもしたよねえ。
実際、彼の欲望基準の目線から見てみたら、僕等の講演阻止計画が妨害にしか見えなかったのもまあ分かる。
もう手放せないんだよね、ここ、彼の唯一の生き甲斐になり果てちゃっているから。
顔潰されようが恥をかかされようが、この自分の聴衆のまえでささやかな喝采さえ浴びることができたら、彼はもうそれでいいの。
彼の芝居の目的は、ただ彼の自尊心を満たし、自分を高揚させることだけなんだから。
数々の工作員騒動だって塵ほども後悔してないと思うよ。大事な宝の芝居小屋「独立党」において、いちばんの悪は大将の英傑芝居を邪魔することだからねえ。
彼は自分のすべてを傾けてこの芝居小屋を守ってきた。自分が無茶苦茶いっているのが分かっていたときもむろんあったでしょう。
でも、優先順位はなにをおいても「独立党」で語っていい気持ちになることーーいわばエクスタシーを体感することだから。
そのためにはなんでも許された。
工作員誹謗も個人情報晒しもすべてOK。
うさんくさい金集めも全部オーライ。
刺激的なヘイト罵言もウェールカム。
すべては独立党って「座」により多くの観客を呼びこむための宣伝ビラなんだもん。
それだけが彼の「善」ーー。
そして、それ以外の雑音は彼にとって全部「悪」ーー。
非常に単純な構造なんですよ、彼の内的な曼荼羅の階層は。
預かった個人情報を晒すことが社会的にいかんなんてことは、彼だって当然分かってる。
でも、どうでもいいんですよ、そんなのーー彼は僕等が住んでいる「あたりまえの世界」にはもう住んじゃいません。
「世直し」? それは、自分と自分の聴衆をつかのまの法悦に導くための真言です。
「ユダ金」「ハザールマフィア」「朝鮮悪」ーーこれらも彼の勧善懲悪劇に色を添えるための大事な仇役。
彼等がいなくちゃそもそもチャンバラ劇自体が上演できないからね。
仇役を揃えて、用意された席に座って、カメラが動いているのを確認して、「2時になりました。はじめます」と講演会の口火を切る。
その刹那に感じる身を切るような生命感ーーいまや彼、ほとんどそれを味わうためだけに生きている。
ま、筒井康隆風に分類するなら、やっぱり乱調人間ってあたりに収まるんじゃないのかな?
そんな彼の一時は流行った演目もようやく蔭りを見せはじめてきました。
コメント数も減ってきた。
裁判にもまわりを固められている。
段々とアンチの数も増えてきた。
まずいなあ、と感じているだろうとは思います。
でも、彼はいまの生き方とスタンスを変える気はさらさらないでしょう。
それにいまさらそんな成長路線に戻ろうったってねえーー柄じゃないよーーもともと彼は「現実」を棄て、虚構で暮らすことを選んだひとなんだから。
さあ大将、お時間ですーー散り際の芝居の演目、そろそろ決めちゃってくださいな。
客のあるうち見事に散ってみせるのが演劇人として最高の「花」なんじゃないか、と僕は思います…。(fin)
ーー誰も彼もがもっともだ、蔑もうが愛しもうが。(A・ランボー)