どうしてこう毎年、用事というのは溜まってしまって一気にやらなくてはならないのでしょうか。やっと年賀状に手をつけられるようになるのがどうしても25日ぐらいから。昨日もやっと年賀状にかかってどうにかこうにか大方は書き終わりました。いつも大変なのはご住所が変わった方の連絡先をどこにやったか、探しているうちに時間が過ぎていく虚しさ。以前もらったお手紙に書いてあるならそのお手紙を探します。住所録に書いてあるはずなんですが意外と漏れが多い。文字や絵を描いている時間より、そういった雑務にかける時間の方が多いのが現状です。ま、今年は無事に年賀状が書けるだけ順調な年だったんだなと感慨もひとしおです。
昨日は折しもクリスマス。仕事から返ってさあ年賀状に取り掛かる頃、毎年の「クリスマスの約束」がやっていました。あれって始まってから13年になるんですね。早いもんだ。振り返って見ていると、どんなに継続が難しい番組なんだということが分かります。ビックネームのアーティストが出ていれば視聴率が取れるというものでもないだろうし、ひとつの番組を作るには莫大な予算も必要だからそれに見合ったものが無いと自由に番組を作るなんて普通は出来ないですよね。でもそれって会社の方針とか企画とかでも一緒でしょうね。
「まったく前例のないことをやってみる」時のエネルギーって本当に歳を取れば取るほどなくなっていきます。そういう機会を作ることも減っていく。岡本太郎さんも同じように「他人のものはもちろん、たとえ自分の仕事でも、なぞってはならない」と言っています。
新しいことをやろうとだけするのも問題ですが、ゼロから何かを起こそうとするときの「っ・・・・!」という踏ん張りのような瞬間というのは創造者には命綱だなあ、と番組を見ていて思いました。それは白い紙を目の前に漫画のネタを作ろうとする時にも必要で、いつも頭を雑巾絞りするような感覚です。
古いものや既存のものは大事にしつつ、脳の活性化という意味において「新しいものを生み出す苦しさ」や「新しいことに挑戦することで得られるエネルギーとその放出」は別枠で試みていったほうが組織や仕組みとしては健全なのかなあとか思いました。例えばそれがテレビ局や番組制作という枠、会社という枠、国という枠になったときに内部が澱んでいくのを防ぐためには「そんな新しいことは難しいしやっても大丈夫なんだろうか」という事こそ、やる価値があるように思います。ただ闇雲に新しいこと、というのではなくて、番組で言えば小田さんが「何か良いものが出来るという確信はある」という言葉からも分かるように、そのあたりの感覚を信じて任せてみる、という懐の深いプロデュース感覚のある人が高い地位にあると最高ですね。そのへんが一種の「センス」なんだと思います。
来年はそういうことも踏まえてどんどん新しいことに挑戦する年にしていきたいと思います。
昨日は折しもクリスマス。仕事から返ってさあ年賀状に取り掛かる頃、毎年の「クリスマスの約束」がやっていました。あれって始まってから13年になるんですね。早いもんだ。振り返って見ていると、どんなに継続が難しい番組なんだということが分かります。ビックネームのアーティストが出ていれば視聴率が取れるというものでもないだろうし、ひとつの番組を作るには莫大な予算も必要だからそれに見合ったものが無いと自由に番組を作るなんて普通は出来ないですよね。でもそれって会社の方針とか企画とかでも一緒でしょうね。
「まったく前例のないことをやってみる」時のエネルギーって本当に歳を取れば取るほどなくなっていきます。そういう機会を作ることも減っていく。岡本太郎さんも同じように「他人のものはもちろん、たとえ自分の仕事でも、なぞってはならない」と言っています。
新しいことをやろうとだけするのも問題ですが、ゼロから何かを起こそうとするときの「っ・・・・!」という踏ん張りのような瞬間というのは創造者には命綱だなあ、と番組を見ていて思いました。それは白い紙を目の前に漫画のネタを作ろうとする時にも必要で、いつも頭を雑巾絞りするような感覚です。
古いものや既存のものは大事にしつつ、脳の活性化という意味において「新しいものを生み出す苦しさ」や「新しいことに挑戦することで得られるエネルギーとその放出」は別枠で試みていったほうが組織や仕組みとしては健全なのかなあとか思いました。例えばそれがテレビ局や番組制作という枠、会社という枠、国という枠になったときに内部が澱んでいくのを防ぐためには「そんな新しいことは難しいしやっても大丈夫なんだろうか」という事こそ、やる価値があるように思います。ただ闇雲に新しいこと、というのではなくて、番組で言えば小田さんが「何か良いものが出来るという確信はある」という言葉からも分かるように、そのあたりの感覚を信じて任せてみる、という懐の深いプロデュース感覚のある人が高い地位にあると最高ですね。そのへんが一種の「センス」なんだと思います。
来年はそういうことも踏まえてどんどん新しいことに挑戦する年にしていきたいと思います。